①困り事はありません
「お久しぶりです、国王陛下」
ヤクは緊張した面持ちで深々と頭を下げた。
「顔を上げるがよい」
恐る恐る身を起こすと、眩いシャンデリアの光とそれらを反射する細かな装飾の散りばめられた絨毯とが視界に飛び込んできた。思わず目を細める。その先にいる国王は、自身の治める国の紋章の象られた王座に腰掛けてこちらを見下ろしている。細身のその身体は艶やかなファー・トリム・マント包まれ、ヤクと同じ色の金髪には深紅の宝石が埋め込まれた王冠が煌めいていた。
(久しぶりだな……この感覚)
あの芸術祭から一週間。第一会場こと、学園の最南端にある大部屋の爆破については、ムレイスやシキが示唆した通り表沙汰にならぬよう処理されていた。ただ、それでもやはりあれだけの規模の爆発を無かったことにはできない。学生たちの中で広がる不安や校舎の修復といった面を考慮して、全学生に一時的な帰郷の指示が与えられたのだった。ヤクももちろん例外ではない。そしてこの懐かしい王宮に戻って暮らすこと数日、突然国王__すなわち父親に呼びつけられたのである。
「学園での生活はどうだ? 困り事はないか?」
「全く。楽しいです、とっても。いろんな人がいて、ご飯も美味しいし、グラウンドは広いし……」
「それは良いな。ところで……」
国王は心なしか目つきを鋭くしてヤクを見据えた。
「お前が王子だということ、誰にも知られていないだろうな?」
「……えっと」
(や、やっぱり聞かれたー!)
冷や汗がだらだらと流れていくのを感じる。誰にも正体を明かさないこと。それが入学前に散々口を酸っぱくして言われたことだった。
「どうした?」
「いや……その……」
(あーもう! なるようになれ!)
ヤクは一息に言い切った。
「ルームメイトに僕が王子だと教えました」
「…………」
(む、無言の圧を感じる……)
まともに目を合わせることもできず、ヤクは足元の絨毯に目を落とした。毛の長いそれは靴越しにもその柔らかさが伝わってきて、まるで新雪を踏みしめているような気分になる。しかし雪よりも冷たい空気が今、ヤクを取り巻いているのだった。
「あ、あの……ごめんなさい……」
「お前のルームメイトは、ジェージニアント家の一人息子だったな」
「え? は、はい」
「お前が自ら話したのか? それとも先に見抜かれたのか?」
「先に、見抜かれました……」
(あの時のシキくんはちょっと怖かったな……)
すると国王は片手で顔を覆い、くつくつと笑い出した。
「ち、父上……?」
「いつかはそうなるだろうと思ってはいたが……想像以上だな。奴が噂通りに優れているのかお前が不注意だったのかはまだわからんがな」
「え……?」
国王はヤクに向き直ると、先程よりは表情を和らげて言った。
「あのジェージニアント家の息子は、お前の補佐役にと私が選んだのだ。彼にはお前の素性が知れても構わん。どうだ、役に立っているか?」
「そ、それを早く言ってください……」
ヤクはへなへなと脱力した。
「この一ヶ月間、僕がどれだけ悩んだことか……」
「困り事はないと言ったではないか」
「あ、あれはそういう場面というか……」
もごもごと不満を吐き出すヤクを遮って、国王は再び口を開いた。
「今後の学園生活について、お前に話しておきたいことがある。だがその際、先週の爆発事件にお前とともに直面した三人を隣席させようと思っている。近々彼らとともに再びお前をここに招くだろう」
「お、お待ちください」
国王がヤクを退席させる素振りを見せたので、ヤクは慌てて食い下がった。
「お話ってなんですか? 今ここでお聞きするわけにはいかないんですか」
「何をそんなに焦っているのだ」
「だって……そのお話って、もしかして」
ヤクはぎゅっと胸の前で両手を握り合わせた。
「僕にもう、学園に行くなってことですか?」
「端的に言えば、そうなるな」
ヤクは思わず息を呑んだ。それから静かにため息をつく。当たり前と言えば当たり前だ。あれだけ危険な目にあったのだ。それに入学式の襲撃事件も、猛獣騒ぎも全て国王の耳に入っているに違いない。そのうえ、国王の想定内とはいえ随分と早くシキに正体がバレてしまった。この先さらに他の者にバレないとも限らない。
(忘れちゃいけない。この国の王子は今、僕一人なんだ)
けれど退学は嫌だった。シキ、ハツ、セナ、風変わりな先輩たち、少しおっかない先生、クラスメート、セナが手入れした木々、歩くとギィと鳴る木造りの校舎、廊下よりも心なしか温かい寮の部屋……。一つ前の季節の頃にはまだ知らなかったそれらは、いつの間にかヤクの中でかけがえのないものになっていた。
「父上、お願いします。退学はやめてください。僕、もう誰にも王子だってバレないように気をつけるから……」
「しかし」
「お願いです、僕は……」
ヤクは高鳴る鼓動を抑えて声を振り絞った。
「ちょっと前までは、この王宮が僕の世界の全てだった。でも今は__今は違う! 楽しいんだ、ずっと……どこにいても誰かの声が聞こえて、みんな僕を覚えてくれて、話してくれて……嬉しいんだよ、だから」
なぜだか涙が込み上げてきた。そう、
(僕はあそこに__帰りたい!)
「これからも僕を学園に行かせて!」
そう言ってヤクは勢いよく頭を下げた。ぎゅっと目を瞑って父の返事を待つ。立ち上がったのだろうか、衣擦れの音がした。
「顔を上げなさい、ユリヤクス」
先程とは打って変わって挑むように顔を上げるヤクに、国王は落ち着いた様子で語りかけた。
「お前がそれほど学園での暮らしを気に入っていたとはな。ここでの暮らしは、やはり窮屈だったか?」
「……そんなつもりは」
「良いのだ。お前は王子……今は隠された存在だとしても、いずれはこの王座に身を納めこの国を率いていく者だ。こんな王宮程度で満足されては困る」
思わぬ言葉にヤクは目を見開いた。
「いいだろう。元々、退学については完全に決めた話ではなかった。ただ無意味にお前を危険に晒す必要はないと考えてのことだったが……あそこでの暮らしはお前にとって有意義なものであるようだ。凄惨な経験でさえもお前を引き留められぬほどにな」
「父上……」
学園で出会った数々の体験が、ヤクに何の痛みも残さなかったと言えば嘘になる。顔も知らない学生たちを襲う冷酷さ、罪のない動物たちを使い友人を騙してまで他者を貶めようとする卑劣さ、そして人の命を奪う残虐さ。自分と同じ人間の見せたそのような側面は、ヤクにとっていまだおとぎ話のように非現実的なものだった。それでも、シキの体温のない手や生温かい血の感触、焦げたにおい、動かなくなった人々から発せられる沈黙は、ヤクの五感にこびりついて離れなかった。王宮に戻ってからも、いや、戻ったからこそ記憶の断片は悪夢のようにヤクを苦しめていた。
「今日の話はここまでだ。お前が学園での暮らしを続けるのならば、それに関してやはり他の三人を含めて話をするつもりだ。良いな?」
「……はい。お心遣いに感謝します」
一礼して去ろうとすると、扉を開けたところで国王に呼び止められた。
「ユリヤクス。王家は代々、この王宮内で教育を受けてきた。学園に通う王子などお前が初めてだ」
「はい」
国王はふっと頰を緩めた。
「楽しむがいい」
「……はい!」
重々しい扉をなるべく静かに閉めてから、ヤクはほっと一息ついた。ヤクが出歩く時にはこの謁見の間付近は人払いがなされている。それでもなんとなく足音を忍ばせながら廊下を進んでいたが、やがてヤクはふと足を止めた。すぐそばの壁には大きな肖像画が飾られている。
描かれているのはヤクより少し大人びた青年だった。輝かんばかりの純白の衣装に身を包み、気品溢れる顔立ちの中で淡い碧の瞳が優しげな光を湛え、肩にかかる長い金髪は一本一本が金糸のように煌めいている。
「……兄上様」
それはヤクが幼い頃に病没した、今は亡き第一王子ユリディネスの肖像画だった。現在のヤクの年齢と僅かしか違わない生前の彼を模したその姿は、記憶よりもいくらか幼く見える。
(兄上様__僕、学園で頑張ることにしたんだ。友達もできたよ。とっても頼りになる友達なんだ。まるで、兄上様にとっての……)
不意に扉の開く音がして、ヤクははっと振り返った。一人の中年の男が謁見の間から出てくるところだった。
(あの人は、父上のお付きの……僕が来るせいでいなくなってた人たちを呼び戻しに行くんだ)
どうも長居しすぎたらしい。ヤクは抜き足差し足であわあわと自室に逃げ帰った。




