⑨ひどい人
「ヤク! 状況は⁉︎」
「シキくん!」
聞き慣れた声に振り返ると、今の時間で追いついたらしいシキ、ハツ、セナの3人がこちらに駆けてきた。
「あの人だよ! 氷像の下敷きになってた……なんでかわかんないけど、第一会場に向かってるみたい!」
ヤクはほっとして早口にそう説明した。シキがいれば、きっと捕まえられる。
「ちっ、何企んでやがるんだ。とりあえず……」
シキが左手を構える。特能を使うのだろう。すると、侵入者はこちらを振り返って__にやりと笑った。
「⁉︎」
先程の笛を口元に当てて、素早く吹き鳴らす。
“ビィーーーーッ”
空気を震わすその音にヤクがぞくりとした直後だった。
“ドンッ”
「ぐッ……あ」
低い爆発音とうめき声が鳴って、ヤクは横から突き飛ばされた。そのままの勢いで壁際まで転がってから顔を上げると、目の前に薄い煙と真っ赤な液体が広がっていくのが見えた。その中心にいるのは___
「……シキ……くん?」
転んだ体勢のまま這うようにして近づくと、手のひらにびちゃりと生温かい感触が広がった。
「……あ」
立ちこめる錆びた鉄のにおい。煙が目に入って視界が滲んだ。それでも構わず進んでいくと、何か柔らかいものを踏んだ感じがした。手だった。黒手袋に覆われた、ヤクより一回り大きい手。
「シキ……くん、シキくん、シキくん! シキくんッ!」
何が何だかわからぬまま、ヤクはひたすらにルームメイトの名を呼び続けた。血溜まりの中で横たわっていたのは他でもないシキだった。血の気の引いた青白い顔は真っ赤に染まる床の上で鮮やかなほどに目立っていて、手のひらの中の彼の手は急速に冷えていく。もう片方を握ろうと手を伸ばせばその先には何もなく、ひしゃげた肉片が彼の左半身を形作っていた。
「シキくん……シキくん……!」
「落ち着けヤクッ」
ハツが無理やりヤクをシキから引き剥がした。しかしヤクはハツなど見えない様子でまたも手を伸ばそうとする。
(くそ! こいつ、こんな時だけ力強ぇ……)
ヤクの震える指先がシキの頰に触れる。と、シキは僅かに目を開けた。
「シキくん!」
ヤクは思わず泣き出しそうになった。だがシキは冷たい目でヤクを見つめ返すと、途切れ途切れで声を振り絞った。
「ヤク……なに……して……る」
「え?」
「はやく……追え、よ……」
「そんな場合じゃ……」
「こいつの言う通りだ!」
ハツがまたもヤクを引っ張った。
「こいつはセナに任せて、オレたちは奴を追うぞ」
「じゃあ僕もここに残る!」
「甘ったれんなッ!」
ハツの恫喝にヤクは思わず身をすくめた。しかしハツはお構いなしに同じ調子で捲し立てる。
「テメーがここにいて何ができる⁉︎ セナみたくこいつの身体を治せるわけでもねぇのによ! テメーがやること思い出せよッ! ギャーギャー喚くだけのガキかよテメーはよッ!」
「は、はーくん、そこまで言わなくても……」
セナが止めに入るも、ハツは止まらなかった。
「こいつをこんな目に合わせた奴許せねぇって……殺してやるって思えねぇんならよ……お前こいつの友達なんかじゃねーよ!」
「……ハツくん」
ヤクははっとしてハツを見つめた。怒りに燃えるその瞳はいつものようにヤクを睨みつけていたが、その中にようやく見知った光を見つけた気がした。
(この人はきっとそうやって、友達を……セナくんを守ってきたんだ)
「……ごめん、ハツくん」
ヤクは立ち上がって、ずれた靴を履き直した。
「僕も行く! あいつを絶対に捕まえてみせる!」
「ったく、そう来なくちゃな。行くぞ!」
「セナくん、シキくんをよろしくね!」
「任せてよ!」
足はとっくに疲れきっているはずなのに、麻痺したように感覚がなくて軽い。もはやヤクには、侵入者の去ったその先しか見えていなかった。
(あいつはシキくんに爆弾を仕掛けた……多分、第一会場で助けられた時に……)
握り込んだ拳に爪が食い込んだ。血を反転した緑の残像が頭上で明滅する。
(ひどい……!こんなひどい人がいるなんて…信じたく、なかった……!)
「あの部屋だ!」
ハツが叫んだ。ぽっかり穴の空いた第一会場の床が現れる。突き当たりのそこに人影はない。二人は迷わずその穴に飛び込んだ。




