⑦開演
「皆様、本日はこの王立学園芸術祭にお越しいただき誠に感謝申し上げます。さて、この栄えある芸術祭のフィナーレとして、今世界中でその名を轟かせる少年歌手、アキュレイト・カンシオン氏による演奏を…」
「スピーカーの調子は良いようだな」
コンサートホールの外に待機したシキが一人呟く。シキ、ヤク、ハツ、セナはホールからある程度離れた四方向にそれぞれ待機し、侵入者がどこにいてもすぐに追いかけられるよう手筈を整えていた。司会者の挨拶が終わると、少しして割れんばかりの拍手が聞こえてきた。どうやらアキュレイトが入場したらしい。
(いよいよ始まるな…)
しばらく沈黙が下りる。コンサートホール内の期待一色の張り詰めた空気がスピーカー越しに伝わってくる。と、不意にその静寂が破られた。
(こ、これは…)
シキは一瞬、本来の目的を忘れて呆気に取られた。アキュレイトの歌い出した曲は有名なメジアストの民謡だったが、調が違っていた。しかしシキが呆然としたのはそんなことではなかった。女性のものとも男性とも思えない何よりも高く澄みきったその歌声で紡がれる音の並びは、初めて聴くような鮮明なみずみずしさを聴く者に与えていた。なんてことない歌詞のひとつひとつが、どんな偉人の名言よりも光り輝く道標のように温かく自分を取り巻いていく。
(これが歌手……!これが、世界を股にかける天才歌手の実力……!)
時と感情の激流に丸裸で投げ出されたような混乱にシキは狼狽えていた。不安定な自由。何にも縛られていないのに指一つ思うように動かせない。それなのになぜか心地よい。いっそ全身を委ねてしまって、その流れが行き着く先へいざなわれたい__そんな衝動。
(この感覚を…俺は知っている)
激流の先に一つの景色が見える。
__僕がこの国の王子だからだよ
そう。あの冴えわたる月夜の中で、溺れたような朦朧とした意識を錯覚させるあの青白い夜の中で、自身を突き刺した瑠璃色の瞳。生まれついたこの世界でごく当然に受け入れられる生命の優劣に抗う、ごくシンプルな、それゆえに揺るぎない一筋の光。同時に、自身の核が崩れ落ちるような、自身の輪郭を形作る枠が砕けるような、落ち着きのない感覚。けれど。
(もしかしたら……あいつなら……)
無意識のうちに押さえていた右腕に目をやった。掌が熱い。
(ヤク……おまえは……)
そこでふと思考が途絶えた。歌が終わったのだ。途端に周囲の景色が、音が、戻ってくる。
(何を考えていたんだ俺は)
額の汗を拭って、シキは頭上のスピーカーを睨みつけた。僅かにたくし上げられた右の袖を引っ張り下ろしてから、そっと二の腕を撫でる。
(今の曲は数年前に作られたもの……ならば、アキュレイトもこの記憶は覗けない)
「それにしても転調とは……うまい手を考える」
転調されても聴いた者が既知の歌と同一のものと見做せば記憶が覗けるのだろう。一方であれだけ原曲からかけ離れた調ならば使う音は一つも掠りそうもない。
(この誰もが知る有名曲で侵入者は特定できたはず。となれば作戦は次の段階に移行する……)
シキは思わずほくそ笑んだ。
「うまくやれよ、天才歌手」
「たんたんたんたんたんたん…いち…いち…いちにーさんいちにーさんいちにーさん! 三拍子! 僕だ!」
コンサートホールから見て南の方角に待機していたヤクは弾みをつけて駆け出した。アキュレイトの提案した侵入者の居場所の伝達方法。それは曲の拍を利用したものだった。
__二拍子なら北、三拍子なら南、四拍子なら東、八分の六拍子なら西だ。調の判別よりはやりやすいでしょ。
音楽なら多少、王宮で教育を受けたこともある。
(楽器はどれも難しかったけれど……リズム取りは楽しかったもん、覚えててよかった!)
南は正面玄関のある場所だ。コンサートで人が出払っているとはいえ、警備は特に厳重。そこからの逃走の可能性は最も低いと考えたシキがここにヤクを配置したのだが、そうでもなかったらしい。
(……! 四拍子に変わった……ってことは、あそこの突き当たりは東側に曲がって……)
先程とは違う有名曲の中で拍子を変えながら、侵入者の居場所をより細かく伝達する。これだけのことをしておきながらこれまで聴いてきた有名歌手たちに引けをとらないその歌声にヤクは嘆息せずにはいられなかった。とそこで、さらに拍子が切り替わる。
「……え?」
(これは……七拍子?どの方角でもない、変拍子…)
ミスか。いや……
「そっか! ストップだ!」
(どの方角でもない、それはつまり侵入者はどこにも向かっていない……その場に留まってるってことだ)
ヤクは息を切らしながらも、床を蹴る足に力を込めた。
(気づいたんだ、きっと……アキュレイトさんがわざと違う音を歌っていること……自分の爆弾が、もう起動しないことを……!)




