第四章 嘘の正体
朝、
雨は上がっていた。
雲の切れ間から、
弱い光が差し込む。
工房の中は、
昨夜の熱がまだ残っていた。
炉は冷え、
灰だけが静かに眠っている。
ナタリーは、
一睡もしていなかった。
机の上には、
灰色の薬瓶。
布で包み、
誰にも見えないようにしてある。
――まだ、
渡さない。
彼女は、
そう決めていた。
扉を叩く音が、
静寂を破る。
一度。
二度。
そして、
乱暴な三度目。
ナタリーは、
嫌な予感を覚えた。
扉を開ける。
外には、
見慣れない男たちが立っていた。
黒い外套。
腰には、
装飾の多い剣。
この街の人間ではない。
「ここに、
若い男が来ていないか」
低い声。
ナタリーは、
瞬時に理解する。
――追手だ。
「知りません」
即答だった。
男は、
彼女を見下ろす。
「病人だ。
咳がひどく、
血を吐く」
ナタリーの心臓が、
一度だけ跳ねる。
だが、
顔には出さない。
「この街には、
そういう人は多いです」
男は、
一瞬だけ目を細めた。
「……そうか」
その背後で、
足音がした。
「待て」
リオの声だった。
ナタリーの背中に、
冷たいものが走る。
彼は、
ゆっくりと姿を現す。
顔色は悪い。
だが、
背筋は伸びていた。
「探しているのは、
俺だ」
男たちが、
一斉に膝をつく。
「――殿下」
その言葉が、
工房に落ちる。
重く、
はっきりと。
ナタリーは、
黙ってそれを聞いた。
やはり、
そうだった。
確認しただけ。
「迎えに来た」
男の一人が言う。
「もう、
逃げられません」
リオは、
小さく息を吐く。
そして、
ナタリーを見る。
その目には、
迷いと、
謝罪があった。
「……ごめん」
ナタリーは、
首を振る。
「謝る必要は、
ありません」
「俺は、
嘘を――」
「いいんです」
彼女の声は、
驚くほど穏やかだった。
「あなたが誰でも、
関係ありません」
それは、
半分は本当で、
半分は嘘だった。
男たちは、
工房の外で待つ。
二人だけが、
残された。
沈黙が、
長い。
「気づいて、
いたんだろ」
リオが、
ぽつりと言う。
「はい」
「いつから」
「最初から、
ではありません」
ナタリーは、
少し考える。
「でも、
途中で」
「それでも、
聞かなかった」
「はい」
彼は、
苦しそうに笑う。
「どうして」
ナタリーは、
答えを知っている。
けれど、
言葉にすると、
壊れてしまいそうだった。
「……知ると、
救えなくなるからです」
リオは、
目を見開く。
「救う?」
ナタリーは、
灰色の薬瓶を、
そっと撫でる。
「あなたは、
この街に必要です」
「違う」
彼は、
強く言った。
「俺は、
君のそばにいたい」
その言葉に、
胸が締め付けられる。
――だめだ。
「それは、
できません」
ナタリーは、
はっきり言う。
「あなたは、
王子です」
「それが、
なんだ」
「重すぎます」
この街には。
この工房には。
この私には。
リオは、
何も言えなくなる。
外で、
男が呼ぶ。
「殿下。
時間です」
リオは、
最後に一歩、
彼女へ近づく。
「……名前を、
教えてほしい」
ナタリーは、
一瞬、
躊躇う。
けれど、
答えた。
「ナタリー・エモンズ」
その名を、
彼は胸に刻むように、
繰り返す。
「ナタリー」
それだけで、
十分だった。
扉が閉まる。
足音が、
遠ざかる。
ナタリーは、
その場に立ち尽くす。
灰色の薬瓶を、
強く抱きしめて。
――まだ、
終わっていない。
彼女は、
そう思った。
これからが、
本当の始まりだ。




