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第七話

看板などない。

 地下三層の突き当たり。カビと鉄錆の匂いが充満する穴蔵に、その店はあった。

 カウンターといっても、古びた鉄板を渡しただけのものだ。椅子は木箱。

 客はまばらだった。誰もが、泥と油にまみれ、押し黙ってグラスを傾けている。

 ここは、言葉を失くした男たちが流れ着く、吹き溜まりだ。


 鬼は、一番端の席に腰を下ろした。

 店主が無言でボトルとグラスを置く。

 酒とは名ばかりの、工業用アルコールを薄めたような液体だ。

 だが、今の鬼には、それが相応しかった。

 グラスに注ぐ。琥珀色ではなく、濁った褐色をしている。

 一気に煽った。

 喉が焼け、胃袋に熱い塊が落ちる。

「……ふぅ」

 息を吐くと、肺の奥から硝煙の臭いが戻ってきた。


 カイは、隠れ家で泥のように眠っている。

 あばらが二本、ヒビが入っていた。全身打撲。だが、命に別状はない。

 ガルドが応急処置をしてくれた。

『無茶をさせやがって』

 義手の職人は、そう言いながらも、カイを見る目は優しかった。

 あの剣士が生きて戻ったことが、奇跡に思えたのだろう。


 鬼は、二杯目を注いだ。

 グラスの中で、液面が揺れる。

 そこに、あの紅蓮の炎が映っている気がした。

 第七地区は消えた。

 女たちの悲鳴。子供たちの泣き声。そして、鋼鉄の巨人が全てを踏み潰す音。

 守れなかった。

 完敗だ。

 四十年のキャリアなど、圧倒的な物量の前には無力だった。

 俺は、ただの老いぼれた狙撃手だ。

 世界を変える? 笑わせるな。

 自嘲の笑みが漏れる。

 グラスを強く握った。指の関節が白くなる。

 悔しい。

 そう思った。

 四十年生きてきて、初めて感じる種類の感情だった。

 金を取り損ねた悔しさではない。標的を外した悔しさでもない。

 理不尽な力に、何もできずに屈したことへの、猛烈な怒りと悔恨。

 それが、腹の底で渦を巻いている。


 ――畜生。

 地下水道で、カイはそう叫んだ。

 あの少年の涙が、俺の枯れた心に火をつけたのだ。

 まだ、終わっていない。

 鬼は葉巻を取り出した。最後の湿った一本だ。

 火をつける。

 紫煙が、薄暗い店内に昇っていく。

 俺たちは生き延びた。

 負けたが、死んではいない。

 カイの剣は折れていない。俺の銃も、まだ弾を吐ける。

 ヴィクター・K・ホーン。

 あの冷徹な独裁者の顔が脳裏に浮かぶ。

 奴は計算高い。俺たちを「バグ」と呼んで排除しようとした。

 だが、バグは残った。

 システムを食い破るまで、増殖し続ける。


「親父」

 鬼は、初めて店主に声をかけた。

「ボトルごと貰う」

 札をカウンターに置く。

 店主は眉ひとつ動かさず、頷いた。

 鬼はボトルを掴み、立ち上がった。

 足取りは重い。だが、ふらつきはしなかった。

 帰ろう。

 傷ついた狼が待つ巣穴へ。

 傷を舐め合い、牙を研ぐ時間は終わった。

 次は、喉笛を食いちぎる。

 安酒の苦味は、明日の勝利への糧だ。

 鬼は扉を押し開けた。

 地下の湿った風が、熱った頬を撫でた。

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