表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第四話

音がなかった。

 帝都中枢、技術院の最上階。

 分厚い防弾ガラスの向こうには、灰色の空と摩天楼が広がっている。だが、下界の騒音はここには届かない。

 聞こえるのは、壁一面に埋め込まれた巨大な時計の、規則正しい駆動音だけだ。

 カチ、カチ、カチ。

 それは、帝国の心臓の鼓動に似ていた。

 ヴィクター・K・ホーンは、書類にペンを走らせていた。

 ペン先が紙を擦る音。インクの匂い。

 彼は手を止め、カップに口をつけた。冷めたコーヒーは、泥のような味がした。

 右腕が微かに唸る。

 真鍮と鋼鉄でできた義手だ。指の関節から蒸気が漏れ、ピストンが伸縮する。

 痛みはない。痛みを感じる神経は、とうの昔に切り捨てた。


 扉が開いた。

 ノックもなしに入ってきたのは、軍服を着た肥満体の男だった。胸に、無数の勲章をぶら下げている。

 近衛師団長、ゲルハルト。

 名門貴族の出だが、頭の中身は脂で詰まっている。

「摂政閣下!」

 ゲルハルトが大仰に叫んだ。

「由々しき事態ですぞ。資源管理官が暗殺された件、犯人は『鬼』とかいう都市伝説だという噂が……」

 ヴィクターは顔を上げなかった。

「報告書は読んだ」

「読んだ、ではありません! 帝国の威信に関わる問題です。直ちにスラム街を封鎖し、不審者を全員処刑すべきだ!」

 唾を飛ばして喚く男を見上げ、ヴィクターは静かに言った。

「それで?」

「は?」

「封鎖にいくらかかる。処刑にどれだけの人員を割く。その間の工場稼働率の低下は、誰が補填するのだ」

 ヴィクターは義手の指で、机を軽く叩いた。

 カツン、という硬質な音が響く。

「感情で動くな、ゲルハルト。システムを維持するのは、計算と効率だ」

「し、しかし……」

「犯人は単独ではない」

 ヴィクターは、一枚の写真を取り出した。現場近くの監視カメラが捉えた、粗い画像だ。

 路地裏。倒れた兵士たち。

 そして、剣を構える少年の後ろ姿。

「剣、ですか」

「旧式の武器だ。だが、兵士の傷口は的確に急所を外している。躊躇いと、甘さがある」

 ヴィクターは目を細めた。

 甘い。

 かつての自分を見るようだ。

「『鬼』と呼ばれる狙撃手。そして、この剣使い。不確定要素バグだ」

「ならば、やはり捜索隊を」

「必要ない」

 ヴィクターは立ち上がった。

 長身の影が、ゲルハルトを飲み込む。

 彼は壁際の棚から、一本の杖を手に取った。黒檀のように見えるが、内部には精緻な投影機が組み込まれている。

 杖を一振りする。

 空中に、帝都の立体地図が青白い光で浮かび上がった。

「第七地区」

 ヴィクターが呟くと、地図の一角が赤く点滅した。

「ここの人口密度は限界を超えている。衛生状態も最悪だ。暴動の種火が燻っている」

「はあ……」

「外科手術を行う」

 ヴィクターの声には、一片の温度もなかった。

「患部は、切り取るに限る」

 杖先で、赤いエリアを突く。

「明朝、機甲師団を投入する。名目は再開発だが、実態は浄化だ。バグが潜んでいるなら、この地区ごと焼き払えばいい」

 ゲルハルトが息を呑んだ。

「住人は、どうするのです」

「選別する余裕はない。それに」

 ヴィクターは窓の外を見た。黒煙を吐き出す煙突の群れ。その下で蠢く、数百万の命。

「彼らにとっても、救済だろう。秩序なき生よりは、管理された死の方が幸福だ」

 狂気ではない。

 それは、極限まで研ぎ澄まされた理性の結論だった。

 ゲルハルトは青ざめ、逃げるように部屋を出て行った。


     *


 部屋に、再び静寂が戻った。

 ヴィクターは義足を引きずり、窓辺に立った。

 駆動音が、カシュン、カシュンと響く。

 ガラスに映る自分の顔を見る。

 深く刻まれた皺。感情の死滅した瞳。

 ――ケイ。

 遠い昔、誰かが自分をそう呼んだ気がした。泥水を啜り、残飯を奪い合っていた頃の記憶。

 あの頃、自分は何を望んでいたか。

 温かいスープか。柔らかいベッドか。

 いや、違う。

 力が欲しかった。誰にも踏みにじられない、絶対的な力が。

「……感傷だな」

 ヴィクターは独りごちた。

 過去は死んだ。ここにあるのは、鋼鉄の秩序だけだ。

 彼は机に戻り、通信機のスイッチを入れた。

「機甲師団、第一大隊へ告ぐ」

 マイクに向かう声は、氷のように冷徹だった。

「作戦開始時刻を、予定通り明朝0600とする。投入するのは新型の『重装歩兵ヘビィ・ギア』だ。生存者は必要ない」

 通信を切る。

 ヴィクターは再びペンを執った。

 書類の山。予算案。技術開発計画。

 彼が休むことはない。

 この巨大な帝国という機械は、彼が回し続けなければ、一瞬で瓦解するのだから。

 カチ、カチ、カチ。

 時計の音が、時を刻み続ける。

 それは、第七地区の最期へのカウントダウンでもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ