第三話
陽は昇らない。
ダスク・ディストリクトに、朝は来ないのだ。上層から垂れ流される黒煙が、太陽を殺している。
あるのは、夜と、少し明るい夜だけだ。
俺とカイは、錆びた鉄階段を下りていた。
湿気がまとわりつく。腐った油と、下水の匂い。
「どこへ行く」
背後でカイが聞いた。声が硬い。警戒している証拠だ。
「地獄の底だ」
俺は短く答え、足元のネズミを蹴散らした。
帝国の監視網は、地下までは及ばない。だが、ここには別の掟がある。弱ければ死ぬ。それだけの、単純な掟だ。
地下三層。
迷路のように入り組んだ配管の隙間に、その店はあった。
看板はない。ただ、扉に古びた歯車のマークが刻まれている。
俺は扉を叩いた。三回。一拍置いて、二回。
重い音がして、覗き窓が開く。濁った瞳が俺を見た。
「……死神か」
鍵が開く音がした。
中に入ると、熱気が顔を打った。旋盤の回る音。ハンマーが鉄を叩く音。
狭い店内には、ガラクタの山に見せかけた宝が眠っている。
奥から、ひとりの男が現れた。
ガルド。
右腕が肩から先、無骨な機械義手になっている。蒸気で動く旧式だが、馬力だけはある。
「生きていたか、鬼」
ガルドは油で汚れた布で手を拭いながら、歯の抜けた口で笑った。
「辛うじてな」
「で、そっちの坊主は?」
ガルドの視線がカイに向く。値踏みするような目だ。
「連れだ」
「ふん。お前が連れを作るたぁ、天変地異でも起きるんじゃねえか」
ガルドはカウンターに酒瓶を置いた。琥珀色の液体が揺れる。
「仕事だ、ガルド。道具がいる」
俺は酒には手をつけず、ライフルをカウンターに置いた。
ガルドの目が職人のものに変わる。
「整備か?」
「それと、弾だ。徹甲弾(AP)がいる。三十発」
「相手は?」
「アイアン・フットだ」
ガルドの手が止まった。店内の空気が凍りつく。
「……本気か。帝国の機甲兵だぞ。あいつらの装甲は、半端な鉛じゃ傷一つつかねえ」
「だから頼んでいる。タングステンの芯が入ったやつだ。在庫があるはずだ」
ガルドは溜息をつき、義手の指を器用に動かして、奥の棚を探り始めた。
*
カイは黙って、壁に掛けられた武器を眺めていた。
安物の銃ではない。どれも手入れが行き届き、実戦で血を吸ってきた匂いがする。
「坊主」
ガルドが重い箱をカウンターに置きながら、声をかけた。
「いい剣を持ってるな」
カイが振り返る。
「わかるか」
「鉄を見ればわかる。だが、悲鳴を上げてるぜ」
ガルドは顎でしゃくった。「見せてみろ」
カイは躊躇したが、俺が頷くと、腰の剣を抜いて渡した。
刀身が、薄暗い照明の中で鈍く光る。
ガルドは義手の万力で剣を固定し、指で刃を弾いた。澄んだ音が響く。
「刃こぼれがある。力任せに叩き斬ったな」
「……装甲が厚かったんだ」
カイが言い訳のように呟く。
「剣は鈍器じゃねえ。鉄の継ぎ目、装甲の隙間。そこを流れるように通すんだ。力でねじ伏せようとすれば、いつか折れるぞ。お前の命ごとな」
ガルドは砥石を取り出し、研ぎ始めた。
シュッ、シュッ。
リズミカルな音が、店内に満ちる。
俺は葉巻に火をつけた。
「ガルド。街の様子はどうだ」
本題だった。
ガルドの手は止まらない。視線は刃先に落としたままだ。
「最悪だ。ネズミたちが騒いでやがる」
「ネズミ?」
「情報屋どもだよ。上層からの『お達し』が出たらしい」
ガルドは顔を上げ、声を潜めた。
「『大掃除』だ」
俺は紫煙を吸い込んだ。肺が焼けるような感覚。
「詳しく話せ」
「摂政閣下、ヴィクター・K・ホーンの名で命令書が出た。第七地区の全区画整理だ。名目は再開発だが、実態は違う」
研ぐ音が、激しくなる。
「焼き払う気だ。あそこの住人もろともな」
バン、とカイがカウンターを叩いた。
「なんだって……!」
「落ち着け」俺はカイの肩を掴んだ。「いつだ」
「明日の夜明け。機甲師団の一個小隊が動くらしい。テスト運用だとよ。新型の焼夷兵器のな」
ガルドは研ぎ終わった剣を、布で拭ってカイに返した。
「切れ味は戻った。だが、相手は鉄の化け物だ。死にに行くようなもんだぞ」
カイは剣を受け取り、鞘に納めた。カチン、と硬質な音が鳴る。
「行くさ」
カイの目に、迷いはなかった。
「あそこの地区には、子供がたくさんいる。俺のような、親のいない子供たちが」
青い炎だ、と俺は思った。
静かだが、決して消えない怒りの炎。
かつての俺には、それがなかった。ただ冷たい憎悪があっただけだ。
「……金は、これでいいか」
俺は懐から、なけなしの札束を出した。
ガルドは首を振った。
「いらねえよ。餞別だ」
「商売にならんだろう」
「俺も、この街のガラクタのひとつでね。たまには、デカい歯車に噛み付いてみたいのさ」
ガルドは義手で拳を作った。
「弾は特別製だ。装甲の薄い関節部を狙え。そこなら抜ける」
「ああ」
「死ぬなよ、鬼。お前が死んだら、誰が俺の最高傑作を使うんだ」
俺はライフルを肩に担いだ。
重みが、心地よかった。
*
店を出ると、外の空気は一層重くなっていた。
明日の夜明け。
タイムリミットは短い。
カイが前を歩く。その背中は、店に入る前よりも大きく見えた。
「やるんだな」
俺は聞いた。
「止めても無駄だろう?」
カイは振り返らずに答えた。
「俺一人でも行く。あんたはどうする」
試すような口調だった。
俺は口元の葉巻を噛んだ。
「俺は、高い場所が好きでな」
カイが足を止め、こちらを振り返った。ニヤリと笑っている。
「特等席を用意するよ。最高の狙撃ができる場所を」
「期待しておこう」
俺たちは歩き出した。
向かう先は第七地区。
死地だ。
だが、不思議と恐怖はなかった。四十年間、ただ消費してきた俺の命が、初めて何かのために燃えようとしている。
蒸気の霧が、俺たちの姿を隠すように立ち込めていた。
遠くで、工場のサイレンが鳴った。
それは、戦いの始まりを告げる号砲のように聞こえた。




