Ⅲ 予兆
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
1217年、春。
アウラガ。
遼舜が、戻ってきた。
「父上!」
遼海が駆け寄ってきた。
五歳になっていた。
背が伸び、しっかりとした少年になっていた。
「遼海!」
遼舜が遼海を抱き上げた。
「大きくなったな」
「うん」
遼海が笑った。
「父上、お帰りなさい」
星歌も、笑顔で迎えた。
「無事で、よかった」
「ああ」
遼舜が星歌を抱いた。
三人は、抱き合った。
その夜。
遼舜は、遼海に話を聞かせていた。
「西遼という国があってな」
「うん」
遼海が真剣に聞いている。
「その国の皇帝は、耶律直魯古という方だった」
「どんな人?」
「立派な方だった」
遼舜が答えた。
「最後まで、国を守ろうとした」
「すごい」
遼海が目を輝かせた。
「父上、俺も強くなりたい」
「ああ」
遼舜が頭を撫でた。
「お前も、いつか強くなる」
「だから、今は字を覚えろ」
「うん」
遼海が頷いた。
「明日も、教えて」
「ああ」
数日後。
チンギスが、将軍たちを集めた。
「諸君」
チンギスが地図を広げた。
「次は、ホラズムだ」
将軍たちが、地図を見る。
西の大国、ホラズム。
「ホラズムは、強大だ」
チンギスが続けた。
「金や西遼とは、比べものにならん」
「兵力は?」
ジョチが聞いた。
「推定で、四十万」
クビライが報告した。
「四十万...」
オゴデイが呟いた。
「多いな」
「ああ」
チンギスが頷いた。
「だが、倒せる」
「いつ、攻めますか?」
チャガタイが聞いた。
「来年だ」
チンギスが答えた。
「今年は、準備に充てる」
「兵を集め、物資を集める」
「そして、来年、ホラズムを攻める」
ホラズム。
グルガンジ。
アラーウッディーン・ムハンマドが、宮殿にいた。
「モンゴルが、西遼を滅ぼした?」
「はい」
宰相が答えた。
「耶律直魯古は、戦死したそうです」
「...」
ムハンマドは、黙った。
だが、すぐに笑った。
「西遼は、弱かった」
「我らとは、違う」
母のテルケン・ハトゥンが言った。
「ムハンマド、侮ってはいけません」
「母上」
ムハンマドが振り返った。
「モンゴルは、金も西遼も滅ぼした」
「我らも、備えるべきです」
「母上は、心配性だ」
ムハンマドが笑った。
「我らには、四十万の兵がいる」
「モンゴルなど、恐れることはない」
テルケン・ハトゥンは、溜息をついた。
だが。
側近のイナルチュクが言った。
「陛下の仰る通りです」
「我らホラズムは、無敵です」
イナルチュクは、オトラルの総督だった。
野心的で、傲慢な男だった。
「そうだ」
ムハンマドが笑った。
「イナルチュク、お前は分かっている」
テルケン・ハトゥンは、不安だった。
(この子は...)
(そして、イナルチュクも)
オトラル。
シルクロードの要衝だった。
イナルチュクは、この街を統治していた。
「総督」
部下のアジズが報告に来た。
「モンゴルの隊商が、近づいています」
「隊商?」
イナルチュクが興味を示した。
「何を運んでいる?」
「金、絹、宝石だそうです」
「...ほう」
イナルチュクの目が光った。
「面白い」
アウラガ。
チンギスは、商人たちを呼んでいた。
「お前たちに、頼みがある」
チンギスが言った。
「ホラズムに、行ってくれ」
商人の一人、バフティヤルが聞いた。
「何を、しに?」
「交易だ」
チンギスが答えた。
「金や絹を売り、ホラズムの品を買ってくる」
「それだけですか?」
「ああ」
チンギスが頷いた。
「だが、気をつけろ」
「ホラズムの人々がどんな者か、よく見てこい」
バフティヤルは、理解した。
(これは、偵察でもあるのか)
「承知しました」
バフティヤルが頭を下げた。
数ヶ月後。
バフティヤルたちの隊商が、オトラルに到着した。
四百人の大隊商だった。
「ようこそ」
イナルチュクが出迎えた。
「オトラルへ」
「ありがとうございます」
バフティヤルが頭を下げた。
「我らは、モンゴルから来ました」
「モンゴル...」
イナルチュクの目が光った。
「何を持ってきた?」
「金、絹、宝石です」
「見せてくれ」
バフティヤルが、荷を開いた。
金の延べ棒。
美しい絹。
輝く宝石。
イナルチュクの目が、貪欲に光った。
(これは...)
(全て、欲しい)
その夜。
イナルチュクは、部下のアジズと話していた。
「アジズ」
「はい」
「あの隊商を、殺せ」
「...!」
アジズが驚いた。
「総督、それは...」
「あれだけの財宝だ」
イナルチュクが言った。
「モンゴルに渡すのは、もったいない」
「俺たちが、奪う」
「ですが、問題に...」
「問題ない」
イナルチュクが笑った。
「モンゴルの間者だと言えばいい。彼らは、偵察に来たのだと」
「...」
アジズは、迷った。
だが。
「...承知しました」
アジズが頭を下げた。
翌朝。
バフティヤルたちが、オトラルを出ようとしていた。
その時。
イナルチュクの兵が、囲んだ。
「何だ?」
バフティヤルが驚いた。
「お前たちは、間者だ」
イナルチュクが言った。
「モンゴルの偵察隊だろう」
「違う!」
バフティヤルが叫んだ。
「我らは、ただの商人だ!」
「嘘をつくな」
イナルチュクが剣を抜いた。
「殺せ」
「総督、お待ちを!」
バフティヤルが叫んだ。
だが。
兵たちが、襲いかかった。
「ぐあっ!」
商人たちが、次々と倒れる。
バフティヤルも、剣で斬られた。
「チンギス...様...」
バフティヤルは、息絶えた。
四百人全員が、殺された。
イナルチュクは、財宝を全て奪った。
「これで、俺は金持ちだ」
イナルチュクが笑った。
アジズは、震えていた。
(これは...大変なことになる)
数ヶ月後。
生き残った一人の商人が、アウラガに戻ってきた。
傷だらけだった。
「殿...」
商人が呻いた。
「バフティヤルたちは...」
「全員、殺されました...」
「...!」
チンギスの顔が、変わった。
「誰に」
「オトラルの総督...イナルチュクという男に...」
「イナルチュク...」
チンギスが、その名を覚えた。
「財宝も、全て奪われました...」
商人は、そう言って倒れた。
チンギスは、立ち上がった。
「ボオルチュ」
「はい」
「使者を送れ」
チンギスが命じた。
「ホラズムに」
「イナルチュクの引き渡しを要求しろ」
「もし断れば...」
チンギスの目が、冷たく光った。
「戦だ」
グルガンジ。
ムハンマドが、チンギスからの使者を迎えていた。
使者は、三人のモンゴル人だった。
一人は、イスラム教徒だった。
「チンギス・ハンからの要求です」
使者が言った。
「オトラルの総督、イナルチュクを引き渡せ」
「...」
ムハンマドは、黙った。
「イナルチュクは、我らの商人を殺した」
「四百人を」
「そして、財宝を奪った」
使者が続けた。
「これは、許されざる行為だ」
「イナルチュクを引き渡せ」
「そうすれば、戦は避けられる」
ムハンマドは、迷った。
だが。
イナルチュクが前に出た。
「陛下」
「うむ」
「彼らは、間者でした」
イナルチュクが言った。
「モンゴルの偵察隊です」
「俺は、正しいことをしました」
「...」
ムハンマドは、考えた。
そして。
「使者よ」
ムハンマドが言った。
「イナルチュクは、正しいことをした」
「引き渡すことは、できない」
「...!」
使者が驚いた。
「それは...戦を意味します」
「ならば、戦おう」
ムハンマドが笑った。
「モンゴルなど、恐れはせん」
使者は、頭を下げた。
「...承知しました」
「では、お伝えします」
使者が出ていこうとした時。
ムハンマドが、さらに言った。
「待て」
「...はい」
「お前たちのうち、イスラム教徒以外は殺す」
「...!」
「モンゴルへの、伝言だ」
兵が、二人の使者を捕らえた。
「やめろ!」
使者が叫んだ。
だが。
兵たちが、二人を斬った。
イスラム教徒の使者だけが、生き残った。
「帰れ」
ムハンマドが言った。
「チンギスに、伝えろ」
「ホラズムは、戦う準備ができていると」
使者は、震えながら走り去った。
アウラガ。
チンギスが、使者の報告を聞いた。
「イナルチュクを引き渡さず」
「そして、使者を殺した...」
チンギスの目が、怒りに燃えた。
「許さん」
チンギスが立ち上がった。
「全軍に告げろ」
「ホラズムを、滅ぼす」
将軍たちが、跪いた。
「はっ!」
遼舜は、記録を取っていた。
「1218年、オトラル事件」
「イナルチュク、モンゴル商人四百人を殺害」
「ムハンマド、使者を殺害」
「チンギス、ホラズム侵攻を決意」
遼舜は、思った。
(これが、大戦の始まりか)
(ホラズムは、終わった)
1218年の冬は、終わろうとしていた。
だが、嵐が近づいていた。
モンゴルの怒りが、西へ向かおうとしていた。
チンギスは、ホラズムを滅ぼすと誓った。
イナルチュクとムハンマドの傲慢が、国を滅ぼすことになる。
遼舜は、記録を続けた。
歴史の証人として。
草原の風が、激しく吹き始めていた。
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