II 陥落
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
1213年、秋。
中都包囲は、三ヶ月が過ぎていた。
モンゴル軍は、城を完全に囲んでいる。
出入りする者は、誰もいない。
「殿」
ボオルチュが報告した。
「城内から、煙が上がっています」
「食事の煙か」
チンギスが城壁を見た。
「まだ、食料があるようだな」
「はい」
「焦る必要はない。待てばいい」
チンギスは、悠然と構えていた。
時間は、モンゴルの味方だった。
城内の食料は、いずれ尽きる。
それまで、待てばいい。
遼舜は、記録を取りながら思った。
(これが、包囲戦か)
(戦わずに、ただ待つ)
(だが、これが一番確実な方法だ)
城内。
中都の民衆は、不安に怯えていた。
「いつまで、続くんだ...」
「食料が、減ってきた」
「モンゴル軍は、いつ攻めてくるんだ」
民衆の声が、街に溢れていた。
完顔遠理は、城壁の上に立っていた。
遠くに、モンゴルの陣営が見える。
無数の天幕。
無数の兵。
「...」
完顔遠理は、歯噛みした。
(奴らは、待つつもりだ)
(城攻めはしない)
(食料が尽きるのを、待っている)
耶律楚材が登ってきた。
「遠理殿」
「うむ」
「食料の状況ですが」
耶律楚材が報告書を見せた。
「あと三ヶ月分です」
「...三ヶ月か」
完顔遠理が呻いた。
「配給を減らせば、四ヶ月は持ちます」
「減らせ」
「はい」
耶律楚材が頷いた。
「ですが、民衆の不満が...」
「分かっている」
完顔遠理が拳を握った。
「だが、やるしかない」
数日後。
食料の配給が減らされた。
民衆は、不満を爆発させた。
「足りない!」
「これでは、飢え死にする!」
「モンゴルに降伏しろ!」
叫び声が、街に響く。
完顔遠理は、兵を出して鎮圧した。
「静まれ!」
「陛下の命令だ!」
だが、民衆の怒りは収まらなかった。
耶律楚材は、執務室で頭を抱えていた。
(このままでは...)
(民衆が、暴動を起こす)
宮廷。
衛紹王は、震えていた。
「民衆が...暴動を?」
「はい」
完顔遠理が報告した。
「ですが、鎮圧しました」
「そ、そうか...」
衛紹王は、何も判断できない。
ただ、怯えているだけだった。
「陛下」
完顔遠理が言った。
「このまま籠城を続けます」
「...ああ」
衛紹王が力なく頷いた。
「頼む...」
完顔遠理は、溜息をついた。
(この方は...本当に)
モンゴルの陣営。
遼舜は、アウラガから手紙を受け取った。
星歌からだ。
「遼海は、元気です」
「よく笑うようになりました」
「早く、帰ってきてください」
遼舜は、手紙を大事にしまった。
(遼海...)
(会いたいな)
だが。
(この戦は、まだ終わらない)
遼舜は、空を見上げた。
冬が、近づいていた。
1213年、冬。
包囲は、半年を超えた。
城内では、ついに疫病が発生した。
「咳が止まらない...」
「熱が下がらない...」
民衆が次々と倒れていく。
医者も、手が足りない。
「薬がない!」
「水も足りない!」
街は、地獄と化していた。
完顔遠理は、必死に対応した。
「病人を隔離しろ!」
「水を配れ!」
だが、追いつかなかった。
死者が、増えていく。
耶律楚材は、死者の数を記録していた。
「一日で、百人...」
「このままでは...」
耶律楚材の顔が、青ざめていた。
モンゴルの陣営。
七星の一星が報告に来た。
「城内で、疫病が流行っています」
「ほう」
チンギスが興味を示した。
「死者は?」
「日に百人を超えています」
「そうか」
チンギスが頷いた。
「もう、時間の問題だな」
ボオルチュが聞いた。
「殿、城攻めはしないのですか?」
「する必要がない」
チンギスが答えた。
「疫病と飢えが、城を落としてくれる」
「我らは、ただ待てばいい」
遼舜は、その冷徹さに震えた。
(これが、戦か)
(敵が自滅するのを、待つ)
1214年、春。
包囲は、一年近くになろうとしていた。
城内の状況は、最悪だった。
食料は、ほぼ尽きていた。
疫病は、収まらない。
死者は、数千を超えた。
街には、死体が転がっている。
民衆は、絶望していた。
「もう、だめだ...」
「誰か、助けてくれ...」
完顔遠理は、城壁の上に立っていた。
もう、限界だった。
(これ以上は...)
(持たない)
耶律楚材が来た。
「遠理殿」
「...うむ」
「陛下が、お呼びです」
「分かった」
完顔遠理は、重い足取りで宮廷に向かった。
宮廷。
衛紹王が、完顔遠理を待っていた。
「遠理」
「はい」
「も、もう...無理だ」
衛紹王が震えながら言った。
「降伏しよう」
「陛下...」
「頼む。モンゴルと、講和してくれ」
完顔遠理は、黙った。
だが。
(これ以上は、本当に無理だ)
「...承知しました」
完顔遠理が頭を下げた。
「陛下のお言葉、モンゴルに伝えます」
数日後。
金の使者が、白旗を掲げてモンゴルの陣営に来た。
「チンギス様」
使者が深く頭を下げた。
「我が陛下より、講和の申し出です」
「ほう」
チンギスが笑った。
「ようやくか」
「はい...」
使者が震えている。
「条件は?」
「...金五千斤、絹五万匹、馬一万頭」
「そして」
使者が続けた。
「皇女を、人質として差し出します」
「...!」
将軍たちがざわついた。
皇女を人質に出すとは。
それほど、金は追い詰められていた。
チンギスは、しばらく考えた。
そして。
「よかろう」
チンギスが頷いた。
「だが、一つ条件を加える」
「何でしょうか」
「開封府まで、撤退しろ」
「...!」
使者が驚いた。
「中都を、捨てろと?」
「そうだ」
チンギスが冷たく言った。
「中都は、もはや廃墟だ」
「そこに留まっても、意味がない」
「開封府に移れ」
使者は、震えた。
だが。
(断れば、包囲は続く)
(それでは、全員が死ぬ)
「...承知しました」
使者が頭を下げた。
「陛下に、お伝えします」
中都。
完顔遠理が、チンギスの条件を聞いた。
「中都を...捨てろと」
「はい」
使者が答えた。
「開封府への撤退を、求められました」
完顔遠理は、拳を握った。
(中都を、捨てる...)
(この都を)
だが。
(仕方ない)
「分かった」
完顔遠理が頷いた。
「陛下に、報告しよう」
衛紹王は、すぐに承諾した。
「わ、分かった」
「開封府に移る」
「中都は、捨てる」
衛紹王には、もう選択肢がなかった。
完顔遠理と耶律楚材は、撤退の準備を始めた。
「民衆も、連れて行きます」
耶律楚材が言った。
「ああ」
完顔遠理が頷いた。
「残せば、モンゴルに殺される」
「全員、開封府に移す」
数週間後。
金は、中都から撤退した。
衛紹王、完顔遠理、耶律楚材。
そして、生き残った民衆たち。
長い行列が、南へ向かった。
完顔遠理は、一度だけ振り返った。
中都の城壁が見える。
かつての首都。
だが、今は廃墟だ。
「...さらばだ」
完顔遠理が呟いた。
モンゴル軍が、中都に入った。
「殿」
ボオルチュが報告した。
「城内は、廃墟です」
「死体が、そこら中に転がっています」
「そうか」
チンギスが頷いた。
「掃除しろ。そして、使える建物は修復しろ」
「はい」
「ここを、拠点にする」
チンギスが宣言した。
「中都は、今日からモンゴルのものだ」
遼舜は、中都の門をくぐった。
廃墟と化した街。
死体が、転がっている。
疫病の臭い。
飢えの痕跡。
(これが...戦の結末か)
遼舜は、記録を取った。
「1214年春、中都陥落」
「金、開封府に撤退」
「中都、モンゴルの手に落ちる」
遼舜は、空を見上げた。
(遼海...)
(お前が大きくなる頃)
(この世界は、どうなっているんだろう)
アウラガ。
星歌が、遼海を抱いていた。
遼海は、もう一歳になろうとしていた。
「ちちうえ」
遼海が笑った。
「そうだよ。お父さんはね、遠くにいるの」
星歌が微笑んだ。
「でも、もうすぐ帰ってくるよ」
星歌は、空を見上げた。
(舜...)
(無事でいてね)
1214年の春は、終わろうとしていた。
中都は陥落し、金は南へ逃げた。
だが、戦はまだ終わらない。
チンギスは、さらに南を目指すだろう。
開封府を。
そして、金を完全に滅ぼすために。
遼舜は、その全てを記録し続ける。
歴史の証人として。
草原の風が、廃墟と化した中都を吹き抜けていった。
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