Ⅰ 地を統べる
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
1206年、春。
雪解けが始まった頃、オノン川のほとりに巨大な天幕が張られた。
クリルタイの会場だ。
舜と星歌は、その準備に追われていた。
「舜、この配置でいい?」
星歌が図面を見せた。
「ああ、中央に殿の座を。周りに各部族長の席を」
二人は何日もかけて、会場の設計をしていた。
参加者は数千人。モンゴル全土から、部族長たちが集まる。
「すごいね...」
星歌が呟いた。
「歴史の瞬間に、立ち会うんだ」
「ああ」
舜も頷いた。
胸が高鳴っていた。
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クリルタイの前日。
テムジンは一人、オノン川を見ていた。
ここは、彼が生まれたコイテンに近い。
父イェスゲイも、この川で水を飲んだ。
「父上...」
テムジンが呟いた。
「明日、俺は大ハンになります」
風が吹いた。
まるで、イエスゲイが答えているかのようだった。
「見ていてください」
テムジンが空を見上げた。
「俺は、世界を変えます」
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その夜、ボオルチュがテムジンを訪ねた。
「殿」
「ボオルチュか」
「明日の式次第を確認に参りました」
ボオルチュが書類を差し出した。
テムジンは目を通した。
「これでいい」
「はい」
しばらく、沈黙が続いた。
「ボオルチュ」
「はい」
「お前は、どう思う」
テムジンが聞いた。
「俺が、大ハンになることを」
ボオルチュは少し考えた。
「当然のことだと思います」
「...」
「殿は、草原を統一されました」
「誰もが認める、唯一の主です」
ボオルチュがテムジンを見た。
「ですが」
「ですが?」
「これは、始まりに過ぎません」
ボオルチュが真剣な顔をした。
「本当の戦いは、これからです」
テムジンは笑った。
「その通りだ」
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クリルタイの朝。
夜明け前から、人々が集まり始めた。
各部族の長たち。将軍たち。そして、無数の民衆。
舜と星歌は、記録係として式典の準備を確認していた。
「緊張する...」
星歌が小声で言った。
「俺も」
舜も同じだった。
二人は手を握り合った。
太陽が昇った。
ボオルチュが前に出た。
「これより、クリルタイを開催する!」
その声が、草原に響いた。
人々が静まり返った。
「モンゴルの部族長たちよ」
ボオルチュが続けた。
「我らは長年、争ってきた」
「タタル、ケレイト、ナイマン。数え切れぬ血が流れた」
「だが」
ボオルチュの声が大きくなった。
「今、草原は一つになった」
「それを成し遂げた男がいる」
ボオルチュがテムジンを指差した。
「テムジン!」
テムジンが前に出た。
群衆が沸いた。
「テムジン!テムジン!」
叫び声が上がる。
テムジンは、ゆっくりと歩いた。
中央の高座に登る。
そして、振り返った。
「諸君」
テムジンの声が響いた。
「俺は、ただの男だ」
「イェスゲイの息子。九歳で父を失い、追われ、飢えた」
「だが」
テムジンの目が光った。
「俺には、夢があった」
「草原を一つにする。争いを終わらせる」
「そして...」
テムジンが拳を握った。
「世界を、一つにする」
群衆がざわついた。
「世界...?」
「何を言っている」
だが、テムジンは続けた。
「国境など、人が勝手に引いた線に過ぎない」
「草原も、砂漠も、山も、海も」
「全ては繋がっている」
テムジンが空を見上げた。
「天が広がるところまで、地が続くところまで」
「それを、統べる」
「それが、俺の夢だ」
シャーマンが前に出た。
白い髭を蓄えた老人だ。
「テムジン」
「はい」
「天は、汝を選んだ」
シャーマンが祈りを捧げた。
「蒼き狼の末裔よ」
「白き牝鹿の子孫よ」
「天命を受け、地を統べよ」
シャーマンがテムジンに白い布を渡した。
九つの白い纛だ。
「これより、汝を」
シャーマンが宣言した。
「チンギス・ハンと呼ぶ!」
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「チンギス・ハン!」
群衆が叫んだ。
「チンギス・ハン!チンギス・ハン!」
その声が、草原に轟いた。
舜は、その光景を見ていた。
涙が出そうになった。
歴史の瞬間だ。
チンギス・ハンが、誕生した。
ユーラシア、いや世界の誰もが知る英雄。
星歌も、目を潤ませていた。
「舜...」
「ああ」
「すごい...」
二人は、感動的な思いでチンギスを見つめた。
チンギスが立ち上がった。
「諸君!」
「俺は、チンギス・ハンとして、誓う」
「この草原を守り、民を守り、世界へ進む」
「俺についてこい!」
「おおっ!」
全員が立ち上がった。
拳を掲げた。
「チンギス・ハン!」
「チンギス・ハン!」
式典が終わった後。
チンギス・ハンは各部族長と会った。
一人一人に声をかけ、労をねぎらった。
「よく来てくれた」
「これからも、頼む」
部族長たちは、皆頭を下げた。
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夜になった。
大宴会が開かれた。
酒が振る舞われ、肉が焼かれた。
歌が歌われ、踊りが踊られた。
チンギス・ハンも、群臣に混じって笑っていた。
舜と星歌は、少し離れた場所で座っていた。
「終わったね」
星歌が言った。
「ああ」
「チンギス・ハンが、生まれた」
「うん」
二人は、夜空を見上げた。
星が輝いていた。
「舜」
「うん」
「これから、どうなるんだろう」
「...分からない」
舜が正直に答えた。
「でも、きっと」
「きっと?」
「世界が、変わる」
舜が星歌を見た。
「俺たちは、それを見届ける」
星歌は頷いた。
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その頃、チンギスはボオルチュと話していた。
「ボオルチュ」
「はい」
「明日から、準備を始める」
「何の準備ですか」
「西夏の完全征服だ」
チンギスの目が光った。
「李純祐は死に、李安全が簒奪した」
「混乱している今こそ、好機だ」
ボオルチュは頷いた。
「承知しました」
「そして」
チンギスが続けた。
「その次は、金だ」
「...金ですか」
「ああ」
チンギスが拳を握った。
「父の仇を討つ」
「タタルは滅ぼした。だが、タタルを使っていたのは金だ」
「金を倒さねば、真の復讐にはならない」
ボオルチュは何も言わなかった。
ただ、頭を下げた。
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翌朝。
チンギス・ハンが全軍を集めた。
「諸君」
「昨日、俺は大ハンになった」
「だが、これは始まりに過ぎない」
チンギス・ハンが剣を抜いた。
「西夏を征服する」
「金を倒す」
「そして、その先へ進む」
兵たちが叫んだ。
「おおっ!」
「準備しろ。夏になったら、出陣する」
「はっ!」
舜と星歌は、その様子を見ていた。
「また、戦が始まるんだ」
星歌が不安そうに言った。
「ああ」
舜も頷いた。
「でも、これが歴史なんだ」
「...」
「俺たちは、見届けないといけない」
星歌は、舜の手を握った。
「怖いけど...一緒なら、大丈夫」
「ああ」
舜も握り返した。
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中興府。
李純祐は、前年の冬に亡くなっていた。
そして、李安全が新しい皇帝になった。
だが、国は混乱していた。
「陛下」
臣下が進言した。
「モンゴルが、また動くでしょう」
「分かっている」
李安全が苛立った声で言った。
「だが、どうする」
「軍は弱体化しています。民の支持もありません」
李安全は歯噛みした。
簒奪によって皇帝になった。だが、それ故に誰も信用してくれない。
「くそっ...」
李安全が拳を握った。
「テムジン...いや、チンギスめ」
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金。中都。
耶律楚材が、チンギス・ハン即位の報を受けた。
「ついに...」
完顔遠理も隣にいた。
「来ますね」
「ああ」
耶律楚材が頷いた。
「チンギス・ハンは、必ず金を狙う」
「朝廷は...」
「相変わらず、何も分かっていません」
完顔遠理が溜息をついた。
「では、我らだけでも準備を」
「はい」
二人は、静かに決意を固めた。
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アウラガ。
チンギス・ハンは、地図を見ていた。
西夏。金。その先には、南宋、西遼、ホラズム。
広大な世界が広がっている。
「全てを、手に入れる」
チンギス・ハンが呟いた。
「天が広がるところまで」
「地が続くところまで」
彼の目は、遠くを見つめていた。
新しい時代が、始まろうとしていた。
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