Ⅴ 凱旋と星影
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
アウラガが見えてきた。
舜は馬上から、懐かしい景色を眺めた。四十日ぶりの帰還だった。
「帰ってきたね」
星歌が隣で言った。
「ああ」
二人は顔を見合わせて、笑った。
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城門をくぐると、民衆が出迎えていた。
「殿が帰られた!」
「勝ったぞ!」
歓声が上がる。子供たちが駆け寄ってくる。
テムジンが馬上から手を振った。民衆がさらに沸いた。
舜は、その光景を見ていた。
これが、勝者の帰還か。
その夜、大きなゲルで宴が開かれた。
将軍たち、部族長たち、そして従者たちが集まっている。
テムジンが立ち上がった。
「諸君、よくやった」
「今回の戦、誰一人として臆することなく戦った」
「特に」
テムジンが将軍三人を指差した。
「スブタイ、ジェベ、ムカリ。お前たちの功は大きい」
三人が前に出た。
まず、スブタイが呼ばれた。
二十代半ば。精悍な顔つきの男だ。
「スブタイ」
「はっ」
「お前の戦術は見事だった。李安全の軍を翻弄した」
「恐れ入ります」
テムジンが笑った。
「お前は鍛冶屋の息子だったな」
「はい」
スブタイが頷いた。
「父は、刀を作っていました」
「その父は、何と言っている」
「...父は、私が軍人になることを反対しました」
スブタイの目が遠くを見た。
「『お前は刀を作る側だ。振るう側ではない』と」
「だが、お前は軍人を選んだ」
「はい」
スブタイが真剣な顔をした。
「私は、戦を終わらせたかったのです」
場が静まりかえる。
「草原では、いつも争いがありました。部族同士で殺し合っていました」
「だから、私は思ったのです」
スブタイがテムジンを見た。
「草原を統一すれば、争いは終わる。そのために、殿に仕えようと」
テムジンは頷いた。
「お前の願いは、いずれ叶う。いや、俺が叶える。
次に、ジェベが呼ばれた。
三十代。弓の名手だ。
「ジェベ」
「はっ」
「お前も、よくやった」
「ありがとうございます」
ジェベが頭を下げた。
だが、その顔には複雑な表情があった。
「殿」
「何だ」
「私は...かつて、殿の馬を射ました」
場がざわついた。
舜も驚いた。敵だったのか。
「ああ」
テムジンが笑った。
「覚えている。あの時、お前の矢は見事だった」
「...」
「俺は思った。『この男を味方にしたい』と」
テムジンがジェベの肩を叩いた。
「だから、許した。そして、お前を『神の矢』と名付けた」
ジェベの目に、涙が浮かんでいた。
「殿...」
「お前は、俺を裏切らなかった。もうそれは忘れろ」
ジェベは深く頭を下げた。
最後に、ムカリが呼ばれた。
四十代。落ち着いた雰囲気の男だ。
「ムカリ」
「はい」
「お前は、幼い頃から俺に仕えていたな」
「はい。殿も俺も十五歳の頃からです」
ムカリが静かに答えた。
「お前の父は?」
「父は、知りません」
「そうだったな」
テムジンが遠くを見た。
「あの頃は、何もなかった。食べるものもなく、逃げ回っていた」
「はい」
「だが、お前は逃げなかった」
「...」
「なぜだ」
テムジンが聞いた。
ムカリは少し考えて、答えた。
「殿が、諦めなかったからです」
「...」
「どんなに苦しくても、殿は前を向いていました」
「だから、私もついていこうと思いました」
テムジンは黙っていた。
そして、ムカリを抱きしめた。
「ありがとう」
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その時、ボオルチュが舜と星歌に近づいてきた。
「舜、星歌」
「はい」
「少し来い」
二人はボオルチュについていった。
ゲルの奥の部屋。
そこには、七人の男たちがいた。
だが、誰も顔を見せていない。皆、頭巾で覆っている。
「この者たちが、七星だ」
ボオルチュが紹介した。
「七星...?」
舜が聞いた。
「情報を集める者たちだ」
ボオルチュが説明した。
「各地に潜伏し、敵の動きを探る」
「名前は?」
「ない」
ボオルチュが首を振った。
「一星、二星...と呼ばれるだけだ」
舜と星歌は息を呑んだ。
一星が前に出た。
「西夏の報告をします」
声は低く、抑揚がない。
「李純祐は、もう起き上がれません。太后が実権を握っています。李安全は、簒奪の機会を窺っています」
「いつ?」
ボオルチュが聞いた。
「おそらく、来年中には」
一星が答えた。
「李純祐は、長くありません」
ボオルチュは頷いた。
「分かった。引き続き監視しろ」
「はっ」
七人が、音もなく消えた。
三人だけになった。
「ボオルチュ殿...あれは」
舜が言葉を探した。
「影だ」
ボオルチュが答えた。
「表にタリゲーンやアーチャイがいる。だが、裏にも支える者がいる」
「それが、七星」
「そうだ」
ボオルチュが窓の外を見た。
「国を動かすには、光だけでは足りない。影も必要だ」
舜は黙っていた。
国の裏側を、初めて見た気がした。
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その夜、舜と星歌は二人でゲルに戻った。
「疲れたね」
星歌が横になった。
「ああ」
舜も隣に座った。
しばらく、沈黙が続いた。
「舜」
「うん」
「日本のこと、覚えてる?」
星歌が聞いた。
「...ああ」
舜が答えた。
「少しずつ、忘れかけてるけど」
「私も」
星歌が天井を見た。
「学校とか、友達とか...もう遠い気がする」
「...」
「でも」
星歌が舜を見た。
「あなたのことは、覚えてる」
「え?」
「ネットで話してた時のこと」
星歌が笑った。
「『叡帝舜』って名乗ってたよね」
「...ああ」
舜も笑った。
「お前は『音楽好き』だった」
「うん」
二人は笑い合った。
「舜」
「うん」
「もし...もし、日本に帰れたら」
星歌が真剣な顔をした。
「会おうね。ちゃんと、顔を見て」
「...ああ」
舜が頷いた。
「約束する」
星歌が手を差し出した。
舜も手を差し出した。
二人の手が、重なった。
その瞬間、舜の胸が高鳴った。
星歌の手は、温かかった。
「星歌」
「うん」
「俺...」
舜が言葉を探した。
だが、言えなかった。
星歌が微笑んだ。
「大丈夫。私も」
「...え?」
「同じ気持ちだよ」
星歌が舜の手を握った。
「ここに来て、あなたに会えて...よかった」
「俺も」
舜も握り返した。
二人は、見つめ合った。
「舜...」
「ああ」
「これから、一緒にいようね」
「...ああ」
二人は、抱きしめ合った。
外では、星が輝いていた。
同じ星空を、日本でも見ていた。
だが、今は二人で見ている。
それだけで、十分だった。
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中興府。
李純祐は、もう意識が朦朧としていた。
「陛下...」
侍医が呼びかけるが、反応がない。
太后が部屋に入ってきた。
李安全も一緒だ。
「もう、長くありませんね」
太后が冷たく言った。
「そのようです」
李安全が答えた。
「では」
太后が李安全を見た。
「準備を」
「はい」
李安全が頷いた。
二人は、李純祐を見下ろした。
その目には、憐れみも何もなかった。
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李純祐は、夢を見ていた。
父と遊んだ、幼い頃の夢。
あの頃は、幸せだった。
「父上...」
李純祐が呟いた。
そして、静かに目を閉じた。
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趙元は、モンゴルの陣営にいた。
降伏後、捕虜として扱われている。
だが、虐待されてはいない。
食事も与えられ、寝床もある。
「なぜ...」
趙元が呟いた。
「なぜ、殺さない」
その時、テムジンが来た。
「趙元」
「...はい」
「お前を、使いたい」
「...何を」
「西夏を統治する手助けをしてもらう」
テムジンが言った。
「お前は、西夏を知っている。民のことも、土地のことも」
「...」
「俺は、ただ奪うだけでは意味がないと思っている」
「統治しなければ、国にはならない」
テムジンが趙元を見た。
「手を貸してくれ」
趙元は、長い間黙っていた。
そして。
「...分かりました」
頭を下げた。
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アウラガ。
テムジンが、クリルタイの準備を命じた。
「来春、正式に大ハンに即位する」
「各部族長に通達しろ」
ボオルチュが頷いた。
「承知しました」
舜と星歌も、その準備に関わることになった。
歴史の転換点が、近づいていた。
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