Ⅲ 静謐と鳴動
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
ジャムカは死んだ。
遺体は彼と結局共に玉砕した配下と共に、バイカル湖を望む丘に葬られた。墓標はない。ただ、石が一つ置かれただけだった。
テムジンは三日三晩、その丘から動かなかった。
舜はその姿を遠くから見ていた。背中が小さく見えた。草原を統べる者の孤独を、舜は初めて理解した気がした。
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春も半ばを過ぎた頃、軍はアウラガへ戻った。
兵たちは疲れていた。戦はなかったが、半月の行軍は馬を消耗させる。
「まず馬を休ませろ」
テムジンの最初の命令はそれだった。
「草を食わせ、水を飲ませろ。一月は遠征に使うな」
ボオルチュが各部隊に伝令を飛ばす。兵たちはほっとした表情で厩へ向かった。
舜と星歌も自分たちの馬を労った。
「ガルザル、お疲れ」
星歌が馬の首を撫でる。馬は疲れた様子で鼻を鳴らした。
「ダライも疲れてるな」
舜も自分の馬に水を汲んでやる。二頭とも、草を貪るように食べ始めた。
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その夜、舜は一人でゲルの外に立っていた。
星が見えた。同じ星空を、日本でも見ていた。だが、ここで見る星は何か違って見えた。
「舜」
星歌が出てきた。
「ああ」
「眠れないの?」
「少し」
二人は並んで空を見上げた。
「ジャムカ...かわいそうだったね。
星歌が小さく言った。
「ああ」
舜は頷いた。
「でも、仕方なかったのかもしれない」
「仕方ない...か」
星歌が繰り返した。
「私たち、何を見てるんだろうね」
「歴史だよ」
舜が答えた。
「教科書に載ってる歴史じゃない。本物の、人が生きて死ぬ歴史」
星歌は黙っていた。
しばらくして、ぽつりと言った。
「怖い」
「俺もだ」
舜が正直に答えた。
「でも、見届けないといけない」
「...うん」
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翌朝、ボオルチュが二人を呼んだ。
「各国の情報を整理しろ」
机の上には、各地からの報告が山積みになっていた。
西夏、金、西遼、南宋。それぞれの使者や商人からもたらされた情報だ。
「まず西夏から」
舜が報告書を手に取った。
李純祐の病状が悪化している。政務を執れる日が減っている。軍の士気も低い。
「次、金」
星歌が別の報告を読み上げた。
章宗は相変わらず詩文、芸術に耽溺している。宰相と尚書が権力争いを続けている。北方への警戒は緩い。
「西遼は?」
舜がまた別の書簡を開いた。
耶律直魯古は健在。楊安仁との連携で国を何とか保っている。グチュルクはホラズムとの国境に配置された。
「南宋」
星歌が最後の報告に目を通した。
韓侂胄が北伐を計画している。だが、将軍たちの意見は割れている。呉義は四川で独自の動きを見せている。
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「どう思う?」
ボオルチュが二人に聞いた。
舜と星歌は顔を見合わせた。
「...西夏が一番弱いです」
舜が答えた。
「皇帝が病気で、軍も弱い。攻めやすいかと」
「金は?」
「内部で揉めてます。でも、まだ軍は強いはずです」
星歌が補足した。
「人口も多いし、城も堅固です。西夏よりは時間がかかると思います」
ボオルチュは頷いた。
「殿もそう考えている」
「では...」
「まず西夏だ」
ボオルチュが地図を広げた。
「西夏を抑えれば、交易路を握れる。金への道も開ける」
舜は地図を見つめた。中興府、甘州、涼州。西夏の主要都市が記されている。
「いつですか?」
「もうすぐだ」
ボオルチュが答えた。
「馬が回復したら、すぐに動く」
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一月が経った。
草原には緑が戻り、馬たちも元気を取り戻していた。
テムジンが全軍を集めた。
「聞け」
その声は、ジャムカを葬って以来、初めて力強さを取り戻していた。
「これより、西夏を攻める」
兵たちが静まった。
「西夏は豊かだ。絹も、穀物も、金銀も豊富にある」
「それを、我らのものにする」
テムジンの目が光った。
「ただし」
声が厳しくなった。
「略奪は許さん。降伏した者は殺すな。抵抗した者だけを討て」
「はっ!」
兵たちが答えた。
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作戦会議が開かれた。
テムジン、ボオルチュ、ムカリ、スブタイ、ジェベ。主だった将軍が集まっている。
舜と星歌も、記録係として同席していた。
「まず、甘州を攻める」
テムジンが地図を指差した。
「ここを落とせば、西夏の北部が我らの手に落ちる」
「抵抗は?」
スブタイが聞いた。
「激しくはないだろう」
ボオルチュが答えた。
「西夏の軍は、ここ十年で弱体化している」
「では、すぐに落とせますか」
ジェベが確認した。
「分からん」
テムジンが首を振った。
「城壁は高い。攻城戦は得意ではない」
「では、どうします」
「囲んで、飢えさせる」
テムジンが冷徹に言った。
「補給を絶ち、降伏を待つ」
将軍たちは頷いた。
舜は、その会話を黙って記録していた。
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会議が終わった後、舜と星歌は二人きりになった。
「舜」
「うん」
「これから...戦場に行くんだよね」
星歌が不安そうに言った。
「ああ」
「怖い?」
「怖い」
舜は正直に答えた。
「でも、行くしかない」
「...私も」
星歌が拳を握った。
「一緒に行く」
「ああ」
二人は頷き合った。
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出陣の三日前。
舜は市場を歩いていた。
商人たちが品物を並べている。だが、どこか落ち着かない様子だった。
「また戦か」
一人の商人が呟いた。
「西夏に行くらしいな」
「そうらしい」
別の商人が答えた。
「儲かるのか?」
「分からん。だが、危険なのは確かだ」
舜はその会話を聞いて、立ち止まった。
戦とは、兵だけのものではない。商人も、民も、皆が巻き込まれる。
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その夜、テムジンに呼ばれた。
「舜」
「はい」
「お前に、特別な役目を与える」
「何でしょうか」
「占領した都市で、記録を残せ」
テムジンが真剣な顔をした。
「人口、物資、建物。全てを記録しろ」
「...なぜですか」
「統治するためだ」
テムジンが答えた。
「ただ奪うだけでは、意味がない。統治しなければ、国にはならない」
舜は、この男は、本気で国を作ろうとしていると感じた。
「分かりました」
「頼んだぞ」
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出陣の前日。
舜と星歌は、準備を整えていた。
筆記用具、紙、着替え、そしてあの本も。
「これで全部かな」
星歌が確認した。
「ああ」
「明日から...」
星歌が言葉を切った。
「大丈夫」
舜が肩を叩いた。
「一緒だから」
「...うん」
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その夜、テムジンは一人でジャムカの墓を思い出していた。
友を殺した。だが、後悔はしていない。
これが、覇者の道だ。
明日から、新しい戦が始まる。
西夏。そして、その先。
金も、南宋も、西遼も。
全てを手に入れる。
地果て、海尽きるまで。
それが、テムジンの夢だった。
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払暁前。
全軍が集結していた。
数千騎。整然と並んでいる。
テムジンが馬上から見渡した。
「出陣する」
その声が、草原に響いた。
「目指すは、西夏!」
「おおっ!」
兵たちの雄叫びが上がった。
舜と星歌も、馬に乗っていた。
二人は顔を見合わせた。
そして、頷いた。
軍が動き出した。
西へ。
西夏へ。
新しい歴史が、始まろうとしていた。
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次回、初の外征。




