Ⅻ 生きる術
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
コイテンでの生活が始まった。
アーチャイは無口だった。
朝、星歌を起こしに来る。
「起きろ」
それだけ言って、外で待っている。
星歌は慌てて身支度を整えた。
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最初の一週間は、乗馬の訓練だった。
「馬に乗れ」
「はい」
星歌は何度も馬から落ちた。
痛い。
でも、アーチャイは容赦しない。
「もう一度」
「はい...」
立ち上がり、また乗る。
落ちる。
また乗る。
三日目、やっと常歩で安定して乗れるようになった。
「少しは良くなったな」
アーチャイが初めて褒めた。
星歌は嬉しかった。
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四日目、速歩を教わった。
「腰を使え。馬の動きに合わせろ」
「難しい...!」
揺れる。
でも、少しずつコツが掴めてきた。
「そうだ。上手い」
アーチャイの声に、励まされる。
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一週間が経った頃。
「明日から、弓を教える」
「弓...ですか?」
「草原で生きるなら、弓は必須だ」
アーチャイが弓を持ってきた。
「構えてみろ」
星歌は弓を持った。
重い。
「弦を引け」
引いてみる。
硬い。
「もっと力を入れろ」
「うっ...」
なんとか引いた。
「放て」
矢が飛んだ。
的から大きく外れた。
「...下手だな」
「すみません...」
「だが、初めてにしては良い」
アーチャイが少し笑った。
星歌は驚いた。
(この人、笑うんだ...)
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二週目。
弓の訓練が続いた。
毎日、何十本も矢を放った。
手が痛い。
肩が痛い。
でも、少しずつ的に当たるようになった。
「やった!」
星歌が喜ぶ。
「調子に乗るな。まだまだだ」
アーチャイが厳しく言う。
でも、その目は少し優しかった。
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十日目。
「今日は狩りに行く」
アーチャイが言った。
「狩り...ですか?」
「そうだ。訓練だけでは身につかん。実戦だ」
アーチャイが弓と矢筒を持ってきた。
「ついて来い」
二人は馬に乗り、草原を進んだ。
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しばらく行くと、アーチャイが手を上げた。
「静かに」
星歌は馬を止めた。
アーチャイが指差す。
草の陰に、小さな動物がいた。
「タルバガンだ」
アーチャイが小声で言った。
「タルバガン...?」
「マーモットのことだ。食える」
星歌は動物を見た。
可愛らしい顔をしている。
「お前が射ろ」
「...え?」
「訓練の成果を見せてみろ」
アーチャイが促す。
星歌は震える手で弓を構えた。
(的と違って...生き物だ)
狙いを定める。
呼吸を整える。
(落ち着いて...)
弦を引く。
タルバガンが少し動いた。
(今だ!)
放つ。
シュッ
矢が飛んだ。
「...当たった」
星歌が呟いた。
タルバガンが倒れている。
「よくやった」
アーチャイが馬を降りた。
星歌も後を追った。
タルバガンに近づく。
まだ息があった。
「アーチャイ殿...」
「すぐに楽にしてやる」
アーチャイが短剣を取り出した。
だが、地面には刺さなかった。
首を一瞬で切った。
血が、アーチャイの手の中に流れ込む。
一滴も地面に落ちない。
「...!?」
星歌は驚いた。
「草原では、血を大地に零してはならん」
アーチャイが説明した。
「なぜ...?」
「天と地への敬意だ。命をいただく時は、大地を汚してはならない」
アーチャイが血を革袋に移した。
「これも、後で使う」
「...」
「お前の矢は良かった。急所に近かった」
アーチャイがタルバガンを袋に入れた。
「今夜、これを食う」
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その夜、キャンプを張った。
アーチャイがタルバガンを捌いている。
手際が良い。
「星歌、火を起こせ」
「はい」
星歌は薪を集め、火を起こした。
何度も失敗したが、やっと火がついた。
「よし」
アーチャイが肉を串に刺した。
火にかざす。
じゅうじゅうと音がする。
良い匂いがしてきた。
「食え」
アーチャイが串を渡してきた。
「いただきます」
星歌は一口食べた。
「...美味しい」
素朴な味。
でも、今まで食べたどの肉より美味しく感じた。
「自分で獲った獲物は、美味いだろう」
アーチャイも食べている。
「はい...」
星歌は複雑な気持ちだった。
(私が...殺したんだ)
でも、これが草原で生きるということ。
「命をいただいた。感謝しろ」
アーチャイが言った。
「...はい」
星歌は手を合わせた。
「ありがとうございます」
タルバガンに、心の中で祈った。
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火が静かに燃えている。
「星歌」
「はい」
「お前、良い目をしている」
アーチャイが珍しく饒舌だった。
「...え?」
「弓を射る時の目だ。集中している」
「ありがとうございます」
「だが、まだ迷いがある」
「...」
「生き物を殺すことに、躊躇っている」
アーチャイが星を見上げた。
「それは悪いことではない。だが、草原では命取りになる」
「...はい」
「いずれ、人を殺さねばならん時が来るかもしれん」
星歌は震えた。
「その時、迷うな。迷えば、自分が死ぬ」
アーチャイが星歌を見た。
「生きたいなら、強くなれ」
「...はい」
二人は黙って火を見つめた。
草原の夜は、静かで、厳しい。
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翌朝。
「よく寝たか?」
「はい」
「では、帰るぞ」
二人は馬に乗った。
コイテンへ向かう。
星歌は、昨日のタルバガンのことを思い出していた。
(命をいただく、か...)
(ここでは、それが当たり前なんだ)
星歌は前を見た。
(強くなって、生き延びなきゃ)
星歌は手綱を握り直した。
草原の風が、髪を揺らした。
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ある日の夕方。
「星歌」
アーチャイが呼んだ。
「はい」
「お前、なぜここに来た?」
星歌は困った。
「それは...覚えていないと言いましたよね」
「嘘だろう」
アーチャイが見つめてくる。
「...」
「まあいい。お前の事情は聞かん」
アーチャイが視線を逸らした。
「だが、一つ言っておく」
「はい」
「草原は厳しい。弱い者は死ぬ」
「...」
「お前が生き延びたければ、強くなれ」
アーチャイが立ち上がった。
「明日も訓練だ。早く寝ろ」
「はい」
星歌はアーチャイの背中を見つめた。
(この人...優しい、、のか?)
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半月が経った。
星歌は馬にかなり上手く乗れるようになり、弓も当たるようになった。
「よくやった」
アーチャイが言った。
「まだ、一人前とは言えんが、最低限は身についた」
「ありがとうございます」
「礼を言うな」
アーチャイが馬に乗った。
「明日、アウラガに向かう」
「...アウラガ?」
「殿の本拠地だ。ボオルチュ殿もおられるはず」
(殿...チンギス・ハンのこと?)
「ついて来い」
「はい!」
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その夜、星歌は緑の本を取り出した。
ずっと一つだけある机に置いたままだった。
開いてみる。
日本語が書かれている。
だが、読み進めようとすると強い魔力に襲われたようになって頭痛で読めない。
それもどうもテムジンが草原を統一したところからだ。
(この本...何なんだろう)
「もう一人、同じ本を持っている人がいます」
夢で会った子供の言葉を思い出した。
(その人...どこにいるんだろう)
星歌は本を閉じた。
(明日から、新しい場所)
(もしかしたら...その人に会えるかもしれない)
星歌は横になった。
外では、風が草を揺らしている。
星歌は目を閉じた。
明日への期待と、不安を抱えて。
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翌朝。
「行くぞ」
アーチャイが馬を引いてきた。
「はい」
星歌は馬に乗った。
半月前とは違う。
もう、落ちることはない。
「育ったな」
アーチャイが呟いた。
「え?」
「何でもない。行くぞ」
二人は南へ向かった。
アウラガへ–
テムジンがいる場所へ−
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