Ⅺ 遼かなる西
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
今回は長めです。西遼&ホラズム・シャーという西の二雄の登場です。
1204年、西遼の都・虎思斡耳朶。
玉座の間。
第5代皇帝・耶律直魯古が鷹揚に座っている。
40代。堂々とした風格。
「陛下」
宰相の楊安仁が進み出た。
「グチュルクが、また軍の増強を求めております」
「ふむ」
直魯古は静かに頷いた。
「何度目だ?」
「これで三度目です」
「欲深い男だな」
直魯古が苦笑する。
その時、扉が開いた。
グチュルクが入ってきた。
20代半ば。鋭い目つき。
「陛下」
グチュルクが跪く。
「顔を上げよ、グチュルク」
「ありがとうございます」
グチュルクが立ち上がった。
「陛下、東からの脅威が増しております。モンゴルという部族が」
「知っている」
直魯古が静かに言った。
「だからこそ、我らは備えねばなりません。兵を増やし、城を固め―」
「グチュルク」
直魯古が遮った。
「お前に与えた兵で十分だ」
「ですが!」
「十分だ」
耶律の声は穏やかだが、有無を言わせぬ重みがあった。
グチュルクは歯噛みした。
「...承知しました」
グチュルクが退出した。
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グチュルクが去った後。
「陛下、グチュルクは危険です」
楊安仁が言った。
「分かっている」
直魯古が立ち上がった。
「だが、今は使える。ナイマンから逃げてきた時、奴は兵を連れてきた。貴重な戦力だ」
「しかし、野心が...」
「だからこそ、飼い殺しにするのだ」
直魯古が窓の外を見た。
「適度に褒め、適度に権限を与える。だが、決して核心には触れさせぬ」
楊安仁は感嘆した。
「さすがでございます」
「それに」
直魯古が微笑んだ。
「テムジンという男から、書簡が届いている」
「...!?」
楊安仁が驚いた。
「何と?」
「『グチュルクを信じるな』と。公的な文書と別にな」
直魯古が書簡を取り出した。
シンプルな文面。
だが、重みがある。
「テムジンも、グチュルクの危険性を知っているのだ」
「陛下は...どうなさいますか?」
「見張る。だが、今は泳がせておく」
直魯古が書簡を仕舞った。
「グチュルクは焦っている。焦る者は、いずれ墓穴を掘る」
「では、その時まで?」
「ああ。その時まで待つ」
直魯古は玉座に戻った。
「楊安仁」
「はい」
「グチュルクに、西の国境守備を任せよ」
「...西、ですか?」
「そうだ。ホラズムとの国境だ。そこで、好きなだけ『活躍』させてやれ」
直魯古が笑った。
「都から遠ざけ、小さな成功を与える。それで奴は満足するだろう」
「...なるほど」
楊安仁は深く頭を下げた。
「陛下の知恵、恐れ入ります」
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その夜。
グチュルクは自室で苛立っていた。
「くそっ...!」
拳を壁に叩きつける。
「俺は...ナイマンの王子だったんだぞ!」
だが、今は亡命者。
西遼の庇護の下にいる身。
「いつか...いつか必ず...」
グチュルクの目が光った。
「この国を、俺のものにする」
だが、彼はまだ知らない。
すべては直魯古の手の平の上だということを。
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翌日、グチュルクに命令が下された。
「西の国境守備を任じる」
グチュルクは喜んだ。
「ありがとうございます、陛下!」
(やっと認められた!)
だが、楊安仁は冷ややかに見ていた。
(愚か者め。都から追い出されたことにも気づかぬか)
直魯古は静かに微笑んでいた。
(さて、どこまで泳ぐか。見ものだな)
1204年、サマルカンド
ホラズム・シャー朝の都。
玉座の間に、アラーウッディーン・ムハンマドが座っていた。
30代。野心に満ちた目。
「陛下」
宰相が進み出た。
「西のバグダードより、カリフからの使者が参りました」
「カリフか」
アラーが鼻で笑った。
「あの無能な坊主どもが、何の用だ?」
「それは...」
宰相が困惑する。
「通せ」
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カリフの使者が入ってきた。
黒い衣をまとった老人。
「シャー・アラーウッディーン・ムハンマド陛下。我らがカリフ、アン・ナースィルより、ご挨拶を」
「挨拶はいい。用件を言え」
アラーが横柄に言った。
使者は眉をひそめた。
「...陛下の最近の行動について、カリフは懸念しておられます」
「懸念?」
アラーが立ち上がった。
「俺が何をした?」
「カリフの許可なく、領土を拡大し、近隣諸国を攻めておられる。これは...」
「黙れ」
アラーの声が響いた。
「俺がこの国を強くして、何が悪い?」
「シャーは、カリフの臣下であるはず―」
「臣下?」
アラーが笑った。
「俺がカリフの臣下だと?」
アラーが使者に近づいた。
「いいか、よく聞け。カリフなど、名ばかりの存在だ。実際に軍を動かし、領土を広げているのは、この俺だ」
使者は青ざめた。
「それは...神への冒涜です!」
「冒涜?」
アラーが嘲笑う。
「神がもし本当に偉大なら、なぜカリフはバグダードの小さな都にしがみついている?」
「陛下!」
「出ていけ」
アラーが命じた。
「カリフに伝えろ。『お前の時代は終わった』とな」
使者は震えながら退出した。
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使者が去った後。
「陛下...」
宰相が心配そうに言った。
「カリフを怒らせては...」
「構わん」
アラーが手を振った。
「あんな老いぼれ、恐れる必要などない」
「ですが、イスラム世界全体を敵に回すことに...」
「恐れているのか?」
アラーが睨みつけた。
宰相は黙った。
「いいか」
アラーが玉座に座り直した。
「この世界は、強い者が支配する。弱い者は滅びる。それだけだ」
「俺はホラズムを、世界最強の国にする」
アラーの目が光った。
「ペルシア、アフガニスタン、西遼。全てを手に入れる」
「そして―」
アラーが東を見た。
「いずれは、あの金国も、草原も、全て俺のものだ」
宰相は何も言えなかった。
(陛下は...狂っている)
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その夜、別室。
若きジャラール・ウッディーン(5歳)が、祖母と共にいた。
「お祖母様、父上は...なぜいつも怒っているのですか?」
幼いジャラールが聞いた。
祖母、テルケン・ハトゥンが溜息をついた。
「お前の父は...野心の塊なのです」
「野心?」
「全てを手に入れたい。全てを支配したい。そういう人なのです」
テルケン・ハトゥンは孫を抱きしめた。
「でも、それは...危険なことでもあります」
「危険?」
「いつか、身を滅ぼすかもしれません」
祖母の声が震えた。
「ジャラール、あなたは...父のようになってはいけません」
「...はい」
幼いジャラールは、まだ理解できなかった。
だが、この言葉が、後に彼の運命を決めることになる。
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一方、宮廷の一角。
側近たちが密かに集まっていた。
「陛下は危険だ」
「カリフまで敵に回した」
「このままでは...」
「静かにしろ」
筆頭の将軍・イナチュクが言った。
「陛下は強い。それは認めざるを得ない」
「だが、傲慢すぎる」
「いずれ...誰かが陛下を止めるだろう」
「誰が?」
「分からぬ。だが...」
イナチュクが東を見た。
「東に、何か感じる。嵐のような...」
「西遼ですか?」
「まさか、モンゴル?」
「あんな辺境の部族が?」
「分からぬ。だが...何かが来る」
イナチュクは立ち上がった。
「我らは、その時に備えるしかない」
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1204年。
ホラズムは隆盛していた。
だが、その傲慢さが、後の破滅を招くことになる。
アラーウッディーン・ムハンマドは、まだ知らない。
東の草原で、一人の男が台頭していることを。
チンギス・カンと名乗ることになる男を。
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の地図を見てくだされば、当時の西アジアは理解しやすいと思います。




