第7話 修理屋カイ、酒場にオープン
宿屋《月影亭》の食堂に設けられた、小さな修理台。
昨日まではただの宿泊客にすぎなかったカイが、女将ミレーヌの一言によって――「修理屋」として一歩を踏み出すことになった。
刃こぼれした剣、ヒビの入った盾、ゆるんだ鎧のベルト。冒険者たちの日常に潜む「壊れたもの」が、彼の手を待っている。
そして今日、ついに「修理屋カイ」の最初の日が幕を開ける。
◆酒場に置かれた小さな作業台
宿屋《月影亭》の奥。
そこにぽつんと設けられた作業台は、ほんの一畳ほどの狭い空間だった。
上には金槌とヤスリ、砥石に油布――最低限の道具しかない。だが、カイにとっては宝物のような場所だった。
「……本当に、ここでうまくやっていけるのかな」
椅子に腰掛け、カイは不安げに呟いた。
女将ミレーヌに「宿の椅子や机を直す代わりに場所を貸してやる」と言われたのは昨日。
その場の勢いで受けてしまったが、果たして冒険者相手に自分の腕が通用するのか――。胸の奥で緊張が渦を巻いていた。
◆最初の客
夕刻、酒場に冒険者たちが集まり始める。
笑い声と酒の匂いが立ち込める中、一人の男が作業台に近づいてきた。
「なあ、兄ちゃん。剣の刃こぼれ、見てくれないか?」
男は筋骨たくましい戦士風で、剣を無造作に差し出した。
「え、えっと……はい。少し見せてください」
カイは緊張で手を震わせながらも剣を受け取った。
刃を光にかざすと、細かい欠けが何か所もある。戦いの激しさを物語っていた。
彼は砥石を手に取り、刃を滑らせる。
カリカリ……シュッ……。
心地よい音が酒場のざわめきに溶け込み、周囲の冒険者たちの視線が自然と集まる。
やがて剣は艶を取り戻し、刃こぼれもきれいに整った。
「おお! まるで新品みたいだ!」
客は目を丸くし、思わず歓声を上げた。
「そ、そんな……道具さえあれば誰でも……」
カイは戸惑いながら首を振る。
だが男は豪快に笑い、背中をバンバンと叩いた。
「いやいや、こりゃ大した腕だぜ! これなら明日の依頼も安心だ!」
その声をきっかけに、次々と冒険者たちが列を作り始めた。
◆酒場の行列
「俺の盾も頼む!」
「槍の刃が曲がっちまってさ」
「この鎧のベルト、留め具が緩くて……」
気づけばカイの前には小さな行列ができていた。
食堂の奥は修理を待つ冒険者たちでごった返し、酒場全体が異様な熱気に包まれる。
「おい、順番を守れ!」
「押すなって! 酒がこぼれるだろ!」
「喧嘩すんなよ! 剣出すんじゃねぇ!」
興奮した冒険者たちが騒ぎ始め、場の空気は混乱寸前。
◆女将の一喝
「いい加減にしな!」
鋭い声が空気を切り裂いた。
腰に手を当てたミレーヌ女将が立っていた。
「ここは酒場だよ! 鍛冶場と間違えてんじゃないのかい!」
その迫力に、荒くれ者ぞろいの冒険者たちでさえ肩をすくめる。
「修理してもらうのは勝手だが、順番を守りな! あたしの酒場を壊すつもりなら、次は椅子じゃなくてあんたたちの尻を叩き直してやるよ!」
「へ、へい……」
冒険者たちはしゅんとなり、列を整然と作り直す。
その光景にカイは胸を撫で下ろした。自分一人ではとても収拾がつかなかっただろう。
「ふぅ……ありがとうございます、女将さん」
「礼はいい。アンタの腕が本物だから客が寄ってくるんだよ。しっかりやりな」
厳しい言葉とは裏腹に、その口調はどこか誇らしげだった。
◆夜更けの繁盛
夜が更けるころ、修理を終えた武具を手にした冒険者たちは満足げに酒をあおり、酒場はかつてないほどの活気に包まれていた。
「おかげで明日の依頼も安心だぜ!」
「修理代を払っても安いもんだ!」
「酒もう一杯! 景気がいい!」
笑い声と乾杯の音が重なり、《月影亭》は祭りのような賑わいを見せていた。
ミレーヌは笑みを浮かべながらジョッキを運び、冒険者たちの笑顔を眺める。
酒場の繁盛と修理屋の評判は、見事に相乗効果を生み出していた。
◆居場所を見つける
カイは疲れた手を膝に置き、ぽつりと呟いた。
「……ここなら、自分の居場所を作れるかもしれない」
その言葉を聞きつけたミレーヌが、ニヤリと笑った。
「甘えるんじゃないよ。アンタが頑張らなきゃ、誰も認めちゃくれないんだからね」
「は、はいっ!」
背筋を伸ばしたカイの返事が、酒場の笑い声に混ざって響いた。
こうして――《修理屋カイ》の最初の一日が終わった。
第7話では、ついに「修理屋カイ」が宿屋《月影亭》で本格的に始動しました。
冒険者たちとの最初のやり取り、ミレーヌの厳しくも温かい一喝、そして繁盛する酒場の雰囲気。
修理屋は単なる「生業」ではなく、人々を繋ぐ居場所であり、宿屋をさらに活気づける存在へと成長していきます。
次回以降は、常連客や個性的な冒険者たちが登場し、修理を通じてカイの人間関係が広がっていく予定。
彼の小さな作業台は、やがて大きな物語の起点となっていくでしょう。