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第41話 火のそばの距離

初めての客を迎えた蒼月亭。

食事が終わり、火を落とした後の広間に残ったのは、言葉と沈黙のあいだに揺れる空気だった。

まだ名乗らぬこと、まだ語らぬこと。

それでも、火のそばでは少しだけ心が緩む。

この夜は、誰にとっても「境目」になる夜だった。


煮込み鍋が空になり、木皿が下げられる。

広間の中央では、炉の火が静かに赤く残っていた。


「……ふう」


最初に息をついたのは、セレナの隣に座っていたエルフの女性だった。

淡い金髪を後ろでまとめ、弓を背にしたままの彼女は、両手で腹を押さえている。


「食べすぎた……」

「あなたが一番おかわりしていたでしょう」

セレナが淡々と指摘すると、彼女は小さく舌を出した。


「だって、あったかかったんだもの。

 里の保存食、最近は冷たいのばかりで」


もう一人のエルフが、火を見つめながらぽつりと言う。

「……久しぶりに、人の料理を食べた気がする」


ミレーヌはそれを聞いて、肩をすくめた。

「人だろうがエルフだろうが、腹に入れば同じさ。

 鍋は逃げない、ゆっくり食べな」


「……この人、強い」

金髪のエルフが小声で言う。

「別の意味で」


リディアが壁際で腕を組み、口元だけで笑った。

「わかる」


カイは少し居心地悪そうに、湯呑みを両手で持っている。

話題を探して視線を彷徨わせるが、ミレーヌが先に切り出した。


「ところでさ」

「はい?」と、三人のエルフが一斉に向く。


「この村、どう思った?」


一瞬、空気が張る。

だが、セレナは考えるように火を見つめてから答えた。


「……静かです。

 それに、怖くない」


「怖くない?」

ミレーヌが眉を上げる。


「はい。

 廃村は、普通は“居てはいけない場所”の匂いがします。

 でも、ここは……人が戻ってきている匂いがする」


カイは思わず目を瞬いた。

「匂い、ですか?」


「ええ」

セレナは微かに笑う。

「火、木、料理、修理した金属。

 “生活の音”がします」


金髪のエルフが頷く。

「それに、変な緊張がない。

 ここ、座ってても背中が冷えない」


「……それ、褒め言葉だよ」

ミレーヌは少し照れたように鼻を鳴らした。


リディアが湯を啜りながら言う。

「最初は、私も同じことを思った。

 だから、ここに残った」


三人のエルフが、初めてリディアをしっかり見る。

装備、立ち姿、間合い。

どこか“こちら側”に近い感覚。


「……あなた、里の外から?」

セレナが問う。


「まあね」

リディアは曖昧に笑った。

「遠回りしてる」


それ以上は踏み込まない。

その距離感が、心地よかった。


しばらく、薪が爆ぜる音だけが響く。


「ねえ」

金髪のエルフが、カイを見る。

「あなた、本当に“修理屋”なの?」


「え?」

「だって……さっきの弓。

 直した、って感じじゃなかった」


カイは少し考え、正直に答えた。

「……元に戻しただけです。

 持ち主が一番使いやすかった状態に」


「それが、できないから困ってた」

彼女は笑った。

「エルフでも」


ミレーヌが腕を組む。

「うちの修理屋は、腕だけは確かさ。

 性格はさておき」


「ちょ、ミレーヌさん」


笑いが、小さく広がった。


セレナは火を見つめたまま、静かに言う。

「……今夜は、よく眠れそうです」


「それはよかった」

ミレーヌは頷いた。

「宿屋冥利に尽きるね」


この場所は、まだ何者でもない。

ただの廃村の一軒家。

だが、この夜――

確かに“帰れる場所”として、誰かの中に刻まれ始めていた。

戦いも修理もない、ただ火を囲むだけの一夜を描きました。

警戒は消えていない。

だが、刃を抜く理由も、もうない。


蒼月亭はこの夜、

「泊まる場所」から「居ていい場所」へと、一段階変わります。

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