第31話「戻ってきた手土産」
廃村に辿り着いてから、数日が過ぎていた。
雨を凌ぎ、火を起こし、屋根を直し、厨房を整え、ようやく“泊まれる場所”として形を成し始めた蒼月亭。
だが、暮らしはまだ不安定だった。
畑の準備は進んでいるものの、種は足りない。
食料も、道具も、長くはもたない。
そんな中――
オルフェンの街へ向かっていたリディアが、帰ってくる。
彼女の背にあったのは、これからの日々を支える“重み”だった。
昼下がり。
廃村に吹く風が、乾いた草を揺らしていた。
カイが中庭で工具を片付けていると、遠くから砂利を踏む音が聞こえた。
規則正しい足音。迷いのない歩調。
「……帰ってきた」
ミレーヌも顔を上げる。
次の瞬間、村の入口に人影が現れた。
肩から背にかけて、大きな背負い袋。
両脇にも、縄で縛った荷物を提げている。
「おかえり、リディア!」
声をかけると、彼女は短く手を上げた。
「ただいま。……ちょっと重いから、先に下ろす」
中庭に荷が置かれると、乾いた音と共に土煙が上がった。
袋を解いた途端、中から次々と物が姿を現す。
穀物の袋。
乾燥肉。
塩。
油。
酒瓶――それも一つや二つではない。
「……すごい量だね」
カイが思わず声を漏らすと、リディアは肩を回した。
「食料と種。それから、使えそうな鍋と食器」
そう言って、最後に取り出したのは、見覚えのある金属製の鍋だった。
縁に歪みはあるが、底は厚く、まだ使える。
ミレーヌが目を見開く。
「それ……」
「前の蒼月亭に残ってた。
崩れた壁の裏にまとめてあった分。
持てるだけ、持ってきた」
鍋、皿、木製のトレイ、欠けたが補修できそうな食器。
どれも、かつて客を迎えていた“道具”だった。
ミレーヌは一つひとつを手に取り、静かに息を吐く。
「……助かるよ。ほんとに」
「これで数日間は大丈夫」
リディアは淡々と言った。
「畑が回り始めるまでの“つなぎ”。
食料も、酒も、最低限は揃えた」
酒瓶を一本持ち上げ、光に透かす。
「客はいないけど、女将がいるなら酒は要るでしょ」
ミレーヌが苦笑する。
「まったく……分かってるね」
カイは袋の中から、布に包まれた小袋を取り出した。
「これは……?」
「種」
リディアは指折り数えた。
「芋と豆は、前に拾った分があるって聞いたから追加分だけ。
それと、根菜類」
「……ミレーヌさんが言ってたやつだ」
「ああ」
ミレーヌは頷いた。
「失敗しにくいし、保存もきく。
最初はそれでいい」
リディアは続ける。
「仕入れは、当分私がやる」
二人が同時に顔を上げた。
「街道は把握してる。
この場所なら、往復もできる。
人に会わない道もある」
「危険じゃないかい?」
ミレーヌが言うと、リディアは肩をすくめた。
「一人の方が楽」
それだけ言って、彼女は荷物を整理し始めた。
鍋は厨房へ。
食料は倉庫代わりの部屋へ。
酒は、一番奥の棚へ。
動きに無駄がなく、まるで何年もここで暮らしてきたかのようだった。
カイはその背中を見つめながら、静かに思う。
(ここは、もう“仮の場所”じゃない)
火があり、水があり、食料がある。
外と繋がる道も、担う人もいる。
ミレーヌが鍋を一つ持ち上げ、笑った。
「今夜は、煮込みだね」
「賛成」
リディアは短く答える。
蒼月亭の厨房に、久しぶりに複数の鍋が並ぶ。
火が入り、湯気が立ち、匂いが広がる。
客はいない。
だが、宿は確かに“動いていた”。
第31話では、リディアの帰還によって蒼月亭の生活基盤が大きく前進しました。
種、食料、酒、そしてかつての蒼月亭から運び出された鍋や食器。
彼女は戦う者であると同時に、「外と宿を繋ぐ役割」を担い始めます。
仕入れを引き受けるという決断は、蒼月亭が“根を張る”覚悟の表れでもありました。
火と水と食事。
それが揃った時、宿は初めて「生きる場所」になります。
廃村の静けさの中で、蒼月亭はまた一歩、前へ進みました。




