表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/58

第29話 風を通す家

井戸の水を得て、最低限の生活が成り立つとわかった廃村。

次に必要なのは「眠れる場所」だった。

蒼月亭として使うことを決めたこの大きな家を、人が泊まれる場所へ――

静かな復興の一歩が、今日もまた積み重ねられていく。

◆埃の匂い


朝の光が、割れた窓から斜めに差し込んでいた。

その光の中で、埃がゆっくりと舞っている。


「……やっぱり広いねぇ」


ミレーヌは腰に手を当て、家の中を見渡した。

廃村で一番大きな建物。

壁は厚く、柱も太い。天井も高い。


「元は……集会所か、村長の家だったんでしょうね」

カイが言う。


広間の中央には、長机が並んでいた痕跡。

壁際には掲示板の名残。

柱には、子どもの背丈を刻んだような細い傷も残っている。


「人が集まる家だったのは間違いないね」

ミレーヌはそう言って、袖をまくった。

「だったら、また集まれるようにすりゃいい」


◆洗えるもの、使えるもの


最初に手を付けたのは、布だった。


押し入れの奥から引きずり出したシーツ、毛布、カーテン。

色はくすみ、匂いも強いが、破れてはいない。


「これは洗えば使える」

ミレーヌが即断する。


「全部ですか?」

「全部。

 布は貴重だよ。宿をやるなら尚更さ」


井戸水を汲み、桶に張る。

灰を少し混ぜ、踏み洗いをする。


「……誰も来ないのに、宿の準備を?」

カイがぽつりと聞いた。


ミレーヌは笑った。

「来ない“今”だからできるんだよ。

 客が来てからじゃ遅い」


◆風を通す


次は部屋だった。


蒼月亭として使う予定の個室。

扉を開け、窓を外し、風を通す。


「カビは……少ないですね」

カイが梁を確認しながら言う。


「人が急にいなくなった感じだね」

ミレーヌが応じる。

「疫病じゃない。争いでもない。

 ……だから家が生きてる」


屋根の一部は、カイがすでに直していた。

昨夜の雨が、床を濡らしていない。


「直した屋根、役に立ってるよ」

ミレーヌが言う。


「……よかった」

カイは小さく息を吐いた。


各部屋の床を拭き、埃を払い、

使える寝台を一か所に集める。


数は少ない。

だが、泊まれる。


◆「まだ」だけど「もう」


作業が一段落した頃、広間に二人が集まった。


「客は、いない」

ミレーヌが言う。


「看板も、出してない」

カイが続ける。


「でも――」

リディアが静かに言った。

「泊まれる」


その一言に、空気が少し変わった。


「そう。

 宿ってのはね、“泊まれる”だけで成立する」

ミレーヌは頷く。

「酒も料理も、あとからでいい」


「近いうちに……誰か来るでしょうか」

カイが聞く。


「来るさ」

ミレーヌは迷いなく言った。

「ダリウスみたいな人もいる。

 それに――」


少し間を置いて、笑う。


「人が行かない場所に、わざわざ行く商人もいる」


カイはその言葉を胸に刻んだ。


◆夜の蒼月亭


その夜。

広間の隅に灯した小さな明かりの下で、二人は簡単な食事を取った。


まだ客はいない。

でも、家はもう“宿の顔”をし始めている。


カイは壁を見回し、心の中で呟いた。


(……いつでも、開けられる)


蒼月亭は、静かに息を整えていた。

蒼月亭を「人が泊まれる場所」にするための静かな準備が描かれました。

洗われたシーツ、風を通した部屋、直された屋根。

まだ客は来ない――けれど、宿としての条件は整い始めています。


次にこの扉を叩くのは、旧知の人物か、それとも異質な行商人か。

蒼月亭は、開店の日を待たずして、すでに“宿”になっていました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ