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第19話 名門の影

蒼月亭の喧騒は、今日もいつも通りだった。

酒と笑い声、そして修理台の金槌の音。

――だが、昼下がり。店の前に止まった数台の馬車が、その「いつも」を切り裂く。

◆繁盛する蒼月亭


オルフェンの街は、近ごろ以前にも増して活気にあふれていた。

夕刻になれば蒼月亭には冒険者や商人が集まり、修理屋カイの作業台は昼夜を問わず忙しい。


「カイ、頼むよ。この槍の穂先が歪んじまって……」

「わかりました。明日の昼までには直しておきます」


手際よく作業を進めるカイの姿は、今や蒼月亭の象徴になりつつあった。

冒険者は酒を飲み、笑い、修理を待つ。その繰り返しが街に活気を呼び込み、ミレーヌも満足げに目を細める。


「まったく、あんたが来てからは店の売り上げもうなぎのぼりだよ」


言い方はいつも通りぶっきらぼうだが、視線だけはどこか温かい。

カイは照れくさくなって、金槌を握り直した。


その「いつも」が崩れたのは、昼下がりのことだった。


◆不意の訪問


店の外に数台の馬車が止まり、通りがざわめいた。

艶のある塗装、金糸の飾り、御者の制服まで揃っている。――明らかに、街の誰もが普段見ない種類の馬車だ。


「貴族の馬車じゃないか……」

「どうしてこんな街に?」


扉が開き、香水の匂いが薄く流れ込む。

降り立ったのは金糸の刺繍を施した衣服をまとった中年の男と、揃いの装いをした従者たちだった。


男は蒼月亭の店内を一瞥し、まるで埃でも払うように鼻で笑った。

視線がカイで止まる。唇が薄く歪んだ。


「ここが……例の“修理屋”ですか」


「は、はい。修理屋のカイです」


「――カイ=クローディア」


その言葉だけで、酒場の空気が凍りついた。


「クローディア……?」

「まさか、王都の名門……」


囁きが広がり、客たちの視線が一斉にカイへ向いた。

背中に冷たいものが這う感覚。喉が、きゅっと締まる。


(……来たのか)


カイは工具を置いたまま、ほんの一瞬だけ指先が震えるのを感じた。


◆クローディア家の“要請”


男は扇を開き、淡々と続ける。


「我らクローディア家は、武器の修繕に窮しております。老鍛冶師が病に倒れたためです」


「オヤジさんが……」


声がかすれた。

胸の奥が、嫌な形で痛む。


男はその反応を楽しむように、言葉を整えて告げた。


「命に別状はないと聞きました。ですが、第一線には戻れない。

 そこで“あなたの出番”というわけです」


“要請”という言葉なのに、拒否の余地は最初からない口調。

カイの記憶の底に沈めていた冷たい食卓と、笑い声と、無視された視線が浮かび上がる。


「貴族の血を引く身が、宿屋の片隅で金槌を叩いているのは――実に不釣り合いです。

 王都へ戻り、家の工房に入りなさい。あなたの腕は“家のため”にある」


それは命令だった。


カイは言葉を失った。

オヤジの病が心配なのは本当だ。だが、“家のため”という言葉の裏にあるものは、はっきり分かる。


(必要になったから呼ぶ。……いらない時は捨てたのに)


喉の奥が苦くなる。

その時だった。


◆蒼月亭の反撃


「ちょっと待ちな」


カウンターの奥から、ミレーヌが立ち上がった。

声は低い。だけど店中に通る。


「ここはあんたらが勝手に出入りする場所じゃない。

 カイは、うちの“修理屋”だよ」


従者の一人が眉をひそめた。


「女将風情が口を挟むとは。――失礼ながら、あなた方が決めることではないでしょう」


言葉は丁寧だ。だからこそ刺さる。

客たちが息を飲む。


ミレーヌは一歩も引かない。


「決めるのはカイだよ。

 それに、うちは酒場だ。脅し文句を持ち込むなら、客商売が立ち行かなくなる」


「脅し? ……誤解です」


男は扇を閉じ、静かな笑みを浮かべた。


「ただ――家の意志に逆らった者が、安穏に商売を続けられるかどうか。

 それは、世のことわりでしょう」


その瞬間、蒼月亭の空気が変わった。


椅子が軋む音。

ジョッキが置かれる音。

鞘から少しだけ刃が滑る音。


「……冗談じゃねえ」

「カイはオルフェンの修理屋だ」

「勝手に連れて行かせるかよ」


冒険者たちが立ち上がり、背中で店を守るように並ぶ。

剣を抜く者はいない。だが、ここは“戦える場所”だと示すには十分だった。


男は一度、店内を見回した。

そして、薄く笑った。


「面白い」


扇を鳴らし、踵を返す。


「覚えておきなさい。

 あなたが“どこに属するか”を、家は忘れません」


従者たちと共に馬車へ戻り、通りを去っていった。


◆残されたもの


扉が閉まると、遅れて息が戻る。

ざわめきが小さく揺れ、やがて誰かが笑って誤魔化すように言った。


「……ったく、貴族様ってのは風通しが悪ぃな」


肩を叩かれ、背中を叩かれ、カイはようやく工具を握り直した。

だが指先はまだ少し冷たい。


ミレーヌが隣に立ち、短く言う。


「大丈夫さ。あんたはここにいていい」


カイは深く頷いた。

胸の奥に、固いものが沈む。


(来てしまった。……でも、もう逃げない)


作業台の上には、直しかけの槍があった。

カイは砥石を取り、いつもの音を取り戻すように、静かに刃を当てた。

蒼月亭の喧騒に、ひとつだけ冷たい影が落ちました。

それでも、金槌の音は止まりません。

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