第17話 送り出す手
霊峰へ向かった仲間を見送ったあと、オルフェンはまたいつもの顔に戻った。
――と思った矢先、ギルドの掲示板が騒がしくなる。
王都まで続く長い街道。商隊護衛の依頼。
そして夕刻、蒼月亭の戸が開く。
修理屋カイの前へ、ひとりの冒険者が歩いてきた。
◆街を包むざわめき
オルフェンのギルドは朝から落ち着きがなかった。
掲示板の前にできた人だかりは、剥がれかけた張り紙一枚を中心に渦を巻く。
「王都までの商隊護衛だってよ」
「長えぞ。途中、盗賊も出るって話だ」
「でも報酬がな……あれは捨てがたい」
視線の先には、街道の名と日程、積荷の規模、護衛の人数――数字と文字が並んでいるだけなのに、妙に胸をざわつかせた。
王都ベインハルトへ続く大街道。
無事に届けば街は潤い、途中で潰れれば笑顔の数が減る。そういう依頼だ。
カイは掲示板から少し離れた場所で、ただその熱気を眺めていた。
彼の仕事場はギルドではなく、蒼月亭の片隅だ。
けれど、張り紙が揺らす空気の変化は、酒場にも必ず届く。
◆修理屋を訪れる影
夕刻。蒼月亭の扉が軋み、酒と肉の匂いがいっせいに流れ出た。
入ってきたのは女の冒険者だった。
肩までの黒髪を無造作に束ね、軽鎧に身を包む。
目は落ち着いているのに、歩みには癖がない。
戦い慣れた者の歩き方――カイはそう判断した。
女はざわつく店内を横目に、迷いなく作業台へ来る。
「失礼します。……修理屋さんはこちらで?」
「はい。僕が修理屋カイです」
カイが工具を置くと、女は腰の剣を外し、机に置いた。
刃こぼれが深い。柄の革も擦り切れている。
次いで盾、鎧。傷はごまかさず、むしろ“生き延びた証”みたいに刻まれていた。
「王都までの護衛依頼を受けました。出発までに、全部調整をお願いできますか」
その一言に、近くの席の冒険者がわずかに顔を上げた。
王都行き。
それだけで、この街の会話の温度が一段上がる。
「剣、盾、防具……全部ですね」
カイは受け取った装備を手に取り、重さを確かめ、継ぎ目に指を滑らせた。
「出発まで二日。……やります。全力で」
女は短く息を吐き、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
その礼は、丁寧なのに余計なことがない。
きっとこの人は、誰かに頼ることにも慣れていない。
カイはそう感じた。
◆女将の一言
女が部屋へ引き上げたあと、カウンターの方からミレーヌの声が飛ぶ。
「ソロの女冒険者かい。危ねえ道を選ぶもんだね」
「……でも、受けるって決めたんですね」
「決めたから装備を置いてったんだろ。カイ、しっかりやってやりな」
叱るようでいて、背中を押す声。
カイは頷き、修理台へ向き直る。
「僕にできることは……ここですから」
◆命を守る修理
砥石に刃を当てると、金属が鳴いた。
ざらり、と音の底に小さな引っかかりがある。刃こぼれの痕だ。
(この剣も、この盾も……この人を守ってきた)
カイにとって修理は“直す”だけの作業じゃない。
明日を“使える形”で手渡すこと。
次の一歩を踏み出せるように、道具に息を吹き込むこと。
夜の蒼月亭はいつも通り賑わっていた。
笑い声、ジョッキの音、歌。
その片隅で、金槌が小気味よく鳴り続ける。
ミレーヌは腕を組み、ちらりとこちらを見た。
それだけで、見張られているのか見守られているのか、どちらだか分からない。
カイは少しだけ口元を緩め、手を止めずに作業を続けた。
◆仕上げの朝
二日目の朝、修理台には剣と盾と鎧が整然と並んでいた。
刃は光を返し、盾の縁は補強され、鎧の継ぎ目は滑らかに動く。
カイは最後の点検を終え、深呼吸する。
「……よし」
ほどなく女が降りてきた。
眠っていない目だ。けれど揺れてはいない。
「できる限りをしました。刃も整えました。……無理はしないでください」
「分かりました」
女は剣を抜き、ゆっくりと刃を確かめる。
次に盾を背負い、鎧の肩を回した。
動作は少ないのに、判断が早い。
「……すごい。見違えました」
それだけ言うと、女は少し迷ってから言葉を足した。
「無事に終えられたら……お礼に来ます」
「ええ。待っています。どうか無事に」
その返答に、女は頷くだけで背を向けた。
言葉の代わりに、歩き方が少し軽くなった気がした。
◆広場の熱気
昼下がり、街の中央広場は人で埋まっていた。
幌を張った荷馬車が連なり、積荷は山。
御者が手綱を整え、商隊員が荷を確かめ、護衛が列を作る。
「すげぇ数だな……」
「Bクラスが何組もいるってよ」
子どもは荷車を見上げ、老人は手を合わせる。
出発前の広場には、祈りと期待と不安が混ざっていた。
女の冒険者も列の中にいた。
剣は腰、盾は背、視線はまっすぐ前。
カイは人混みの後ろから、その背中を見つめる。
祈るしかできないのが悔しいわけじゃない。
祈る資格だけは、手に入れたと思えた。
◆女将の言葉
広場の端で、ミレーヌがぽつりと言った。
「大仕事だねぇ。王都までの護衛なんざ、ちょっとした戦場だ」
「僕にできるのは、ここまでです」
「それで充分だろ」
ミレーヌは短く言い切り、頬を掻く。
「戦う奴だけが街を回してるんじゃない。直す奴がいるから、次の戦いに行ける。――忘れんな」
カイは照れくさくなって頷いた。
「……はい」
◆旅立ちの時
やがて、商隊長の声が広場に響く。
「――出発だ!」
列がゆっくり動き出す。
車輪の軋み、馬のいななき、掛け声。
住民たちは手を振り、子どもは叫ぶ。
女の冒険者が一度だけ振り返った。
街を見渡し、視線がどこかを掠める。
――こちらを見た気がしたのは、きっと気のせいだ。
それでもカイは、列が見えなくなるまで立ち尽くした。
(どうか無事に。……帰ってきたら、また直そう)
空は晴れていて、風は冷たかった。
祈りは声にならず、胸の奥に沈んでいった。
王都行きの商隊護衛は、街を少しだけ浮き足立たせます。
修理屋としてできるのは、送り出す準備を整えること。
蒼月亭の片隅で鳴る金槌の音もまた、旅路の一部です。




