第16話 黒鉄の塔へ向かう影
霊峰カディールへ向かった冒険者たちを見送った翌日。
蒼月亭はいつも通り――修理と酒と笑い声で回っていた。
けれど夕刻、扉が開いた瞬間。
この酒場の空気が、音を立てて変わる。
◆日常の修理屋
霊峰へ向かった冒険者たちの姿が門の外に消えてからも、蒼月亭の喧騒は途切れることがなかった。
修理屋カイの作業台には、相変わらず壊れた剣や歪んだ盾、使い古された鎧が持ち込まれる。
「カイ、頼む、この槍の石突が緩んじまってな」
「はい、すぐ締め直します。明日の依頼には間に合いますよ」
カイの指先は迷いなく動き、金槌の音が小気味よく響く。
修理が終われば依頼人の冒険者は笑顔を見せ、そのまま酒場で仲間と杯を交わしていく。
昼は修理、夜は酒場。
それが蒼月亭とカイの日常であり、この街の呼吸そのものになりつつあった。
◆不意の来訪者
そんなある日の夕刻、重々しい音と共に酒場の扉が開いた。
「……!」
ざわめいていた酒場が一瞬で静まり返る。
そこに立っていたのは、王都ベインハルトからやってきた名うての冒険者たち。
鋭い眼差しを持つ剣士、全身を魔導具で固めた魔術師、巨躯の戦士、そして俊敏そうな盗賊。
彼らは王都ギルドで唯一のSクラスと称される最強の一団――《暁光の刃》だった。
「まさか……」
「《暁光の刃》が、この街に……」
「何の用だ?」
居合わせた冒険者たちは驚きと畏怖の混じった声を漏らす。
「聞いた話じゃ、“黒鉄の塔”に行くらしいぞ。王様から直々に勅命を受けてるってよ」
その噂が広がると、空気はさらに張り詰めた。
◆英雄の宿
《暁光の刃》の一行は堂々と酒場に歩み入り、カウンターへ向かう。
リーダー格と思しき剣士が、迷いのない声で言った。
「宿と食事を頼む」
ミレーヌは動じることなく応じる。
「はいよ。部屋は二つ空いてる、食事はすぐに用意するよ」
冒険者たちは感嘆の目で彼らを見送った。
Sクラスに選ばれるほどの者たちが、数ある宿の中から蒼月亭を“最後の宿”として選んだ。
それだけで、この酒場の格は一段も二段も上がったように感じられた。
◆修理屋への誘い
その時、一人の冒険者が声を上げた。
「おい! ここには修理屋があるんだぜ! 武器を見てもらった方がいいんじゃないか?」
視線が一斉にカイへと集まる。
彼は作業台の前で、いつも通り壊れた剣を研ぎ直していた。
《暁光の刃》のリーダーは振り向き、静かに笑った。
「必要ない。我らの装備は王都の鍛冶師が仕上げたものだ。調整はすでに済んでいる」
その言葉に、周囲の冒険者たちは納得の声を漏らす。
「なるほど……王都の鍛冶屋か」
「じゃあ間違いねえな」
カイの脳裏に浮かんだのは、かつて自分を支えてくれた鍛冶屋の親方――“オヤジ”の姿だった。
(……オヤジさんの仕上げた武器なら、俺の出る幕じゃない)
——そう思ったのに、胸の奥がほんの少しだけ、きゅっと鳴った。
そう心の中で呟き、再び手元の修理へと集中した。
◆女将の視線
その様子を見ていたミレーヌは、じっと二人を見比べていた。
「ふん、Sクラス様か」
口元を歪め、ぼそりと呟く。
「まあ、あの態度じゃカイの出番はないね」
そう言いつつも、彼女の視線は作業に没頭するカイの姿に注がれる。
壊れかけた剣を一心に磨き、まるで目の前の依頼だけに全てを注ぎ込むその姿。
それは派手さこそないが、確かな信頼を積み重ねる“職人”の姿だった。
ミレーヌの口元にわずかな笑みが浮かんだ。
「まあ、あんたはあんたのやり方で十分さ」
◆旅立ちの朝
翌朝。
《暁光の刃》の一行は、街の視線を一身に浴びながら蒼月亭を後にした。
「いよいよか……」
「“黒鉄の塔”に挑むなんて、王都の勅命ならではだな」
「失敗するはずがない」
冒険者や市民が口々に噂を交わす。
その背中は確かに英雄のものだった。
カイは一瞬だけその背を見送り、視線を落とす。
作業台の上には、磨き途中の剣。指先には鉄の匂い。
(俺は、俺の場所で——できることをやる)
金槌を握り直す。
小気味いい音が、蒼月亭の日常をもう一度動かした。
蒼月亭に訪れた“S級”。
格の違いを見せつけられながらも、カイは自分の仕事へ戻ります。
次は、王都と「親方」に繋がる気配が少しずつ近づいてきます。




