花咲く枝
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
もう気づいたら、7月も半ばだねえ。
時の流れが早いときって、振り返るのに時間がかからないために、そう錯覚しているのだというのが持論だけど、そのときどきを必死に頑張っている証でもあるんじゃないかと思う。
何もしていなかったとしても、そいつはあえて「何もしない」ということを選択したということ。その身体を維持するための機能は働き続け、酸素なども外から取り込んで、活動はしようとしている。生理活動のためのもろもろの反応も起こり続けていよう。
世界への影響の与え方が変わるだけで、真に何もしないということはあり得ない。何気なくすぎてしまった時間と思っていても、そこには影響を与え続けている、いち個体としての自分がいるわけだ。
些細と思っていた行動すべてが、バタフライエフェクトとして将来に何をもたらしうるか……生きている我々があらかじめ知ることができない、というのも神様が与えてくれた精神防御の手段かもしれないな。
私も父から聞いた、ちょっとしたことの影響が広がった話があるんだ。耳に入れてみないか?
父が子供のときのこと。
当時は、今ほど暑い日は多くなかったから、その日のカンカン照りは印象に残っているらしかった。
ほんの数分の外出で、たっぷりとかく汗。しかし汗腺が働いているぶん、かえって熱中症には陥りづらい状態。暑熱順化が進みぎみだったといおうか。父は家の用事を頼まれた帰りに、それを見たのだという。
ひと目見たときは、モンシロチョウかと思ったそうだ。
用事の帰り道にある、某会社の駐車場。そこを取り囲む灰色のフェンスの網目の一ヶ所にはさまっていたらしい。
いかにも苦しげで、羽をしきりに閉じたり広げたりしている。身体の拘束に許される範囲内で。そして、フェンスの足元のコンクリートにはかすかに白い粉らしきものが、少しずつ降り積もっていく。
こいつはかわいそうだと、父は助けてあげることにした。
指で押してやるには、少し高い位置。父はそばに転がっていた木の枝を拾って、フォローを入れてやった。
軽く身体を横につつくと、ちょうど閉じていた羽がフェンスの下を潜り抜け、全身が縛めから解き放たれる。チョウはその勢いのまま、宙で羽ばたき始めた。
しばし滞空し、その触覚が父のほうへ少し向いたかと思うと、かなたへ飛び去っていく。あの白い粉を撒き続けながら。
「もう引っかかるなよ」
そう見送りながら、父は手に持った枝を放ろうとして「おや?」と思う。
あのチョウを押し出す時は変哲もない枝だったのが、いつの間にかその先端に花をつけている。それは早春の桜の花びらを思わせる様相だったとか。
――こうもあっという間に花がつくことがあるだろうか? 面白いものかもしれないぞ。
父はその純粋な好奇心から、枝を持ち帰り、部屋に飾っていたのだとか。
それから一週間ほどが経つと。
父を含めた地域一帯に居る人たちに、花粉症と酷似した症状がみられるようになっていく。
眼、鼻、のどなどをやられて、個人差はあるものの、ひどいときには日常生活に支障をきたす場合もあるほどに。
イネやブタクサなど、この時期に顕著なものであれば、ずっと前から苦しんでいる人がいる。それが、ここまでなんともなかった人たちが、一週間でティッシュを手放せないような状態に陥っていたんだ。
父もしょっちゅう鼻をかみながら、事態のおかしさを感じている。自分の症状もあるが、例の飾っていた枝へどんどんと新しい花が開き続けていくことが、妙だったんだ。
あくまで飾り。特別に世話を焼くつもりもなくて、放置状態だったもの。なのに、最初はひとつきりだった花が、今は枝に沿うかっこうで4つ花開いていたのだとか。
――もしかして、この枝が原因なのか? でも……。
花とともに花粉症らしきものが増え始めたとき、一度父はその時点での花をすべてむしってしまったことがあったそうだ。
しかし、事態はいっこうに収まる様子を見せず、枝にもまた勝手に花が咲き始めてしまう。関係がないのか……? と考えながらも、信じきれない父親は、やがてまた用事を頼まれて外出をすることに。
その帰り際、ふとあのチョウらしきものを助けた、フェンスの近くへ足を運んでみたのだとか。
思えば、あのチョウを助けて枝が変化を起こしてより、あっという間に花粉症が広がっていった。なにか手掛かりがあるんじゃないかと、考えたそうだ。
その想像は、おそらく当たりだと父にはすぐ見当がついた。
あのチョウがとらわれていたあたりのフェンスの網目を中心に、あの桜らしき花が無数にとりついていたんだ。
枝、ツタ、そのようなものは見られない。なぜなら、花が無数に連なってそれらの代わりを成しているから。フェンスしたのコンクリートまで数珠つなぎになりながら、垂れ下がり、横たわっていく花たちの姿は、誰かが意図的につむいだようにさえ思える。
もしやと、父は帰り道にある他の家々や駐車場などもちらちら見ていったが、例の花の姿が散見された。先のフェンスの密度とは比べ物にならないけれど、注意すればその姿はいくつも確認できたそうだ。
あれらを駆除しきれば、みんなの症状もおさまるのではないか。父はそう直感する。
でも、自分ひとりだけではアイデアが浮かばない……そこで、用事を頼んできた祖母に、帰宅がてら報告をしたそうだ。
話を聞いて、祖母は鼻を鳴らす。「あんた、助けなくていいものを助けちまったかもねえ」とも。
部屋の枝を持ってくるようにいわれる。出かけてから帰るまでのわずかな間に、もはや持つところに困るほど、花が埋め尽くしていた。
ずるずると鼻をすすりながら、祖母は「なるほど、これはいけない」とすぐに動いた。
仏壇の下の戸だな。線香などがしまってあるところから、ろうそくを一本取り出し、桜によく似た花に塗り付けていく。
ただのロウではないことは、父にもすぐわかった。母が取り出したときより、きっつい柑橘系の香りが鼻の奥を差したからだ。鼻水に苦しんでいた鼻腔がすぐに反応して、姿勢をただすかと思ったほどだ。
そのロウをまんべんなく塗りたくった枝を、祖母は玄関先の傘立てに乗っける。
するとどうだろう。数分とたたないうちに、あの日のチョウがいずこからか姿を見せたかと思うと、花咲く枝のてっぺんに腰を下ろし、羽を閉じたり広げたりし始めたんだ。
その盛んな開閉は、フェンスに引っかかっていたときとよく似ていたらしい。
祖母は、そのチョウを認めると例のロウソクをチョウ自身に押し当てた。
チョウは逃げ出さない。なぜなら、ロウを当てた先から、火であぶられた紙がそうであるように、身体が黒く変じて縮んでいき、やがて絞り切った雑巾のような見た目になって墜落してしまった。
それを追いかけるかのように、花たちもまた次々に色を失って黒ずみ、チョウらしきものに似た姿になって散っていく。そこからはもう、新しい花弁が咲き出す気配はなかった。
「あんたが助けたのは、去り行く季節の妖精さんだ。この夏の盛りに、まだ春の気配を宿したものがいたんだねえ。本来なら、話に聞いていた通りにフェンスにはさまっていなくなるばかりだったそいつを、あんたが助けた。だから張り切って、今回のようなことを起こしたんだろう。
気にすることはない。また季節がめぐればこいつらは現れるよ。それが自然の摂理なのだから」