香りと恋とを存分に混ぜ合わせ
まだ私も十代だった頃、好んでホワイトムスクの香りを楽しんでいた時期がありました。小瓶の蓋を恭しく開け、手首にワンプッシュ。撫でつけ、それを首筋にも撫でる。すっかり気分はジェーン・バーキンと言ったところなのですが、少し汗もかいて、自分の体臭と混じった麝香の香りがまたよくてうっとり陶然としていた記憶があります。その時の友からは、ムスクって麝香鹿っていう鹿の、微妙なところの匂いなんだよ、わかってる? とにやにやされた事もあって、意外な気持ちにもなったものでした。だからいいのに、とその甘さに魅了され尽くした私でした。
枕草子の時代にも、貴族は薫物を嗜んでいました。平安貴族たちは、お風呂に入らない体臭をごまかすため、薫物をしたようです。枕草子第二十六段「心ときめきするもの」では「よき薫物たきて、ひとり臥したる」とあります。ひとり寝転がり、いい薫物をした綿衣を纏う清少納言。酸化した自分の汗の匂いとも混じって、懐かしいようなくすぐったいような体験が思い起こされる。まどろみ、なかなか寝付けないでいるのを楽しむように、寝返りしながら、ひとりときめき、存分に香りを楽しんでいたのではないかと思うのです。
香りで恋をも楽しむ。平安の男女の逢瀬も、香りを焚きしめて女を訪れ、相手を感じる度、その香りが一層その逢瀬を燃え上がらせたのではないか。一人寝の頃、膨らませたときめきも、逢瀬にスパイスを与える薫物も、その幸福感はえも言えぬものだったと思えます。
恋愛感情の波が押し寄せる十代。香りと恋とを存分に混ぜ合わせ、おしゃれな女の子を演じていた十代。ときめきが叶うことも夢みて陶然と。