74話:命縫う血の糸針
「うっ……」
男が小さく呻く。構わず親指で強く押し込むと、やがて針は腹の中へと入っていき俺の手を完全に離れる。残ったのは開いたかどうかわからない程小さな穴と、そこから続く細い糸だけだ。
そこからしばらく静寂の時間が続く。
「んぐぅ⁉ あ、があ……ああああああああああああ――――――‼」
次の瞬間。男の絶叫が夜闇を切り裂いた。
一瞬、身体がビクンと跳ねたが、周りがしっかりと押さえつけていたおかげで、大きく動くことはなかった。
しかし、尋常ではない様子の男の様子に、見ていた皆は大きく動揺したようだ。
「お、おいバルク! どうした⁉ 大丈夫か⁉」
「があ、んぐ……んんんんんんんんんんんん――――――‼」
ゴルドの問いが聞こえなかったのか、聞こえていて答えられなかったのかはわからないが、男は俺が渡したナイフを噛み砕かんとばかりに歯を食いしばった。
「ちょっとアゼル! この人滅茶苦茶苦しんでるんだけど⁉ 大丈夫なの⁉」
「喧しい! 今集中してる。絶対に離すなよ。離したら死ぬぞ、こいつが!」
リアナの訴えに叱責を返して、俺は更に多くの魔力を針に送る。
男の体内に流れる精気の魔力のせいで、針に込めた俺の瘴気の魔力が阻害されて操作性が最悪だ。少しでも気を抜いたら、針に込めた魔力が剥がれて俺の制御下から離れてしまいそうだ。もしそうなったら、外から再び魔力を込めたところで制御権は取り戻せないため、また新しく針を入れなければならなくなる。体内に置き去りにされた針も回収しないと危険なため、余計な手間が増えてしまう。
そうならないためには、常に俺の魔力を送って精気の魔力の中でもその存在を保てるようにしなければいけない。
「ちっ、やっぱり脾臓と肝臓は破裂してやがる。なんとかして出血を抑えながらこいつ縫って……ちっ、胃にも穴が開いてる。だが、胃の中にも血が溜まっているおかげで、胃液で糸の支配権が離れることはないか……ちぃっ! 小腸も穴空いてやがる。糞が零れかけているじゃねえかクソが……」
「うぐぐぐぐぐ! ぐうううううう――――――!」
「文句言いながら怖いこと言ってる⁉ この人も滅茶苦茶痛そうだし! ねえ、本当に大丈夫なの⁉」
「だから今集中してるって言ってるだろ。黙って抑えてろ」
大胆に魔力を送りながら、同時に傷付いた箇所だけを正確に、かつ精密に縫い合わせてやらないといけない。
幸い針には俺の血を使い糸も俺の皮膚を引き延ばした物だから、通常とは比べ物にならないほどに魔術の操作性が良い。もしこれが他の誰かの血肉だったら、こんな悪環境の中で針を動かすなんてことはできなかっただろう。
「くそう、自分の身体や不死……死体は散々弄ったことがあるから人体の構造には詳しいが、生きている人間の体内を修復するのがこんなに大変だったとは」
無駄口を叩いている暇なんてないが、愚痴の一つでも言わなきゃやってらんねえ。なんでこんな面倒なことをやっちまったんだ俺は。
「ぐううう…………も、もう止めてくれ――――!」
「お、おい! さっきから何をやってんだよ⁉ 良くなるどころか一層苦しんでるじゃねえか!」
あまりの苦痛にとうとう男が中断を求めるように絶叫を上げ、その拍子に咥えさせたナイフが転がる。
仲間のそんな様子に堪らずゴルドも悲鳴に似た抗議を上げるが、それでも押さえつける力を緩めることはなかった。男の暴れようから、離せば却って危険だということを嫌でも感ていたからだ。
もしゴルドが拘束役に回らずくただ傍で見ているだけだったら、俺が徒に苦しめていると勘違いして治療を妨害していただろう。まあ、それを予想してゴルド達に拘束役を回したんだがな。
「胃、肝臓、腸、あとは……やっぱり。肋骨が全部折れてるな。だが肺は奇跡的に無事か。他は――」
僅かに残った糸の端で触れてながら損傷個所が残っていないかを確認し終えると、俺は指を上に曲げる。すると、男の腹を突き破って針だけが飛び出た。
さあて、ここからが重要だぞ。
「フィリア、メリル、縫合が終わった。俺がなぞった部位に縫い目があるから、そこに魔術をかけていけ。いいか? 失敗したらこれまでの作業が全部無駄になる上、二度目はできない。こいつを死なせたくなかったら、全力で癒せ!」
「「は、はい!」」
「よし! まずは脾臓だ。その次に肝臓、胃、小腸に行くぞ。肋骨は放っておけ、なくても死なん」
俺は男の肝臓の位置に指を置いて、今しがた縫ったばかりの傷の位置を指し示す。その指の位置に、メリルとフィリアの二人の両手がかざされる。
「準備は良いな、行くぞ――――三……二……一……今!」
「【癒滴】――!」
「【命脈の修復】――!」
二人が魔術の起動語を唱えると、指を置いた位置に魔力が集中する。その魔力の四割は体表を流れていったが、俺のアドバイスが効いたおかげか残り六割はしっかりと体内へと浸透し患部に届いたのが糸を通じて感じた。
「くっ……いいぞ。効いている……」
しかしそれにより、俺への負荷は倍以上の話では無くなった。
必死に繋ぎ止めている皮膚の糸に込められた瘴気が、二人が送っている圧倒的な量の精気によって掻き消えようとしている。それを防ぐために俺は先ほどよりも多くの魔力を注ぎ、何とか【血濡魔術】の効果を維持していた。
少し考えれば当然なのだが、皮膚を縫合糸にして臓器を縫うなんて普通はできない。衛生云々はこの際脇に置いておくとして、そんな柔な素材を更に細くしたのでは常に収縮する臓器を繋ぎ止めることは不可能だ。それを俺は【血濡魔術】による物質の強度増加を駆使して、どうにかこうにか縫合糸として成立させている。
俺の魔力が剥がされれば本来の強度に戻り、せっかく縫った所が簡単に千切れてしまう。しかし、瘴気の魔力が残っていれば、精気の魔力で動いている治療魔術の効果が落ちる。
かと言って、邪魔にならないようにと治療不完全のまますぐに糸を抜いていってしまえば、すぐに傷口が開いてしまう。ただでさえ外傷用の魔術の効果を誤魔化して、無理矢理内臓治療に活用しているのだから、大きく開いてしまった傷口には魔術が及ばなくなる可能性が高い。
「ぐ、ぬぬぬ……」
なら俺がするべきことは、脆い縫合糸の強度を保ちながら、かつ治療魔術を妨害しすぎないように注ぐ魔力の量を加減し、傷の治療具合を感覚で読み取りながら慎重に糸を抜いていくこと。
瘴気と精気は相反する性質の魔力とは言え、それは互いにぶつかり「阻害」するだけであって、決して打ち消し合う物ではない。そうでなければ身体が瘴気の魔力で満ちている俺たち固有魔術使い達は、魔術による治療が受けられない存在になってしまう。
「よし……よし……その調子だ……」
俺の魔力に妨害されながらも、二人の治療魔術は順調に破れた箇所を癒していく。俺は治った箇所の状態を慎重に見極めながら、治った端からゆっくりと糸を緩め抜いていく。
外傷用の魔術が効くとわかってからは治療は順調に進んだ。大量に消費されていう魔力にビビらず、ゆっくりと着実に脾臓から肝臓、胃、腸へと順番に治療魔術をかけていった。その治療が進むにつれて、男の苦痛に呻く声も徐々に落ち着いて来る。
それからどれほどの時間が経っただろうか。時間にして十分掛かったか掛からなかった程度だろうが、集中していたせいかその三倍は経過したような気もする。
最後の縫い目を抜き終えて、俺達はようやく息を吐くことができた。
「お、終わった、のか?」
「ああ、手当完了だ。とりあえず、今すぐ死ぬことはないだろう……おい、意識はあるか?」
俺の問いに対し、顔色はまだ悪いものの呼吸は安定し喋れるようになった男が恨みがましい目で抗議する。
「ああ……うう。何度も死ぬんじゃねえかと……いや、いっそ殺してくれと思ったか」
「はんっ、恨むなら夜狩熊に潰されて即死しなかった自分を恨むんだな。まったく、よくもまあ意識を保っていられたもんだ。あの状況で命を拾ったことと言い……存外、大物になれるかもしれんな。お前は」
治療行為とは言え、麻酔もなしで身体の内側を針で滅多刺しにされたのだ。その苦痛は常人では想像もつくまい。それを狂うことなく、また死に逃げることなく耐えきったことは素直に称賛に値する。
「はは……ガキに世辞を言われる日が来るとはな……」
「いいや、本心さ。経緯はどうあれ、死の淵で命を拾った奴は強くなるものだ」
とは言え、俺たちが行ったのはあくまで応急処置に過ぎない。すぐに町に戻って教会か修道院の治療を受けなければまた危険な状態になるだろう。
「――――グルルルルルル!」
「ん…………ああ、忘れてた」
怒りに満ちた唸り声に振り向くと、身体を小刻みに振るわせた夜狩熊が居る。血染布による拘束は、俺の魔力が大幅に減ったことで強度が下がったのか、一本、また一本と引き千切られていき、そしてついには全ての拘束が解かれた。
「グオオオオオオオオオオオオ――――――!」
「いけないっ――【魔術障壁】!」
拘束から解放された夜狩熊が両の腕を振り上げた姿を確認すると、フィリアはなけなしの魔力を注ぎ込んで前方に魔術障壁を張った。
腕が振り下ろされた次の瞬間には無数の風の刃が放たれ、その全てが着弾すると同時に障壁が軽やかな音と共に砕け散る。
「障壁が……!」
「マズイ、今度は突っ込んでくるぞ!」
カイルの警告に全員が回避行動に移ろうとするが、治療を終えたばかりの男は当然動ける状態ではない。ゴルドやその仲間の動きに遅れが生じ、メリルも難易度の高い魔術を長時間に渡って使用し続けたことですぐに魔術を使える程の集中力がない。フィリアもさっきの魔術で魔力が尽きたのか、疲労困憊といった様子で再度障壁を張ることは不可能のようだ。まあもっとも、フィリアの魔術障壁であの突進を防げるかどうかは怪しいところではあるがな。
焦る皆とは反対に、俺は気怠い調子ながらも立ち上がり、夜狩熊に向かって両手を突き出した。
「ちょっ⁉ 危な――――――ええ、ウソぉ……」
リアナの鋭い警告が、次の瞬間には戸惑いとも呆れともとれるような声に変わる。他の者も似たような表情だ。
全力の風の魔力を身に纏い最高速度で突っ込んで来た夜狩熊は、しかし俺の突き出した二本の腕によってその勢いを完全に止めた。
「……やったことない作業で疲れてるってのに、せっかちな奴だ。お前の相手は俺じゃねえんだ、よっ――!」
「グフゥッ⁉」
両手で押さえつけた格好のまま脚で胸を蹴ると、夜狩熊は突っ込んで来た時と同等の速度で来た道を戻って行った。
「ふうー、繊細な作業を終えた後に身体を動かすのはやっぱり気分が良いな」
「ふう……じゃないわよ。アンタどんだけ人間離れしてんのよ」
「し、信じられん……夜狩熊が、Cランクの魔物が、あんな風に……」
戸惑いを隠せないといった様子のカイル達が俺の顔を見るが、一旦それらを無視して俺はゴルドの方へと視線を向ける。
「おいゴルド。あれは俺達が貰う。文句があるなら聞くが?」
「……いや。もうねえよ」
俺の言葉にゴルドは驚いた顔をした後、僅かに項垂れながらも静かな口調でそう言った。その様子はまるで、憑き物が落ちたかのようだった。
ほう、随分と素直に頷くな?
「……なら早くそいつを抱えて町に戻れ。内臓はある程度修復したから余程のことが無ければ帰りの道中で死ぬことはない。が、そもそも外傷用の治療魔術で無理矢理治したものだから、腹を圧迫したり激しく揺らしたりしたら、せっかく癒した箇所がまた裂けるかもしれない。移動中は丁寧に、かつ迅速に運べ。ああそれから、腹の中の洗浄とかしてないし皮膚片なんかが残っているかもしれないから、もしかしたら数日後に病気やら炎症やらが出るかもしれん。治療師には念のため、解毒の魔術やら異物排除の魔術やらをかけてもらえ」
「長えよ……もっとわかりやすく言え」
「慎重に運べ。治療師には傷を治すほか解毒の魔術もかけてもらえ。後のことはきちんと怪我の経緯を説明すれば、治療師はわかるはずだから」
「わかった、恩に着る。それと……悪かった」
ゴルドは男を腕で抱えると、ポツリとそれだけ言って仲間と共にこの場から離れた。
走り去るゴルド達の背中を夜狩熊が一瞬追いかける素振りを見せたが、殺気をぶつけてそれを阻止する。
「悪かった……か。まさか、あんな風に言われるとはねえ」
俺はてっきり「それとこれとは話が別」みたいな厚かましいことを言われると思っていたんだが……。
お仲間の治療をしてやったとは言え、つい先程までは他者を蹴落としてでも手柄を取ろうとしていた卑しい人間がこの短時間でああも素直になるとはな。
「アゼル、腕は大丈夫か? ゴルドの仲間を死にかけに追いやったあの突進を、まさか素手で防ぐなんて……」
「そうよ! 腕、折れてたりして無いわよね? 私達を守るためとは言え、あんな無茶を……喰血哭の時と言い、自分の身を軽んじ過ぎよ」
俺が人の変化にというものにしみじみと感じ入っていたところに、カイルとエマが小言を言いながら俺の前へ進み武器を構える。特にエマはあの夜のことを思い出したのか、俺の黒歴史を引き合いに出してきた。
言いたいのはわかるが、アレとコレとは状況が違うだろ。
「心配してくれんのはわかるが、あの程度を突進を受けてられない俺じゃねえよ。村にいた時ならともかく、今の俺の肉体ならCランクの魔物相手なら身体強化無しでも受け止めることくらいできる」
「いや、流石にそれは言い過ぎじゃ……」
「言い過ぎなもんか。むしろそれができなきゃ、Bランクの壁を突破できるものか」
「は、それはどういう――」
カイルが言葉の意味を尋ねるが、残念ながらそれを言い切る前に遥か前方へと蹴り飛ばされた夜狩熊が若干ふらつきながら起き上がってきた。
「グルルル……グオオオオオオッ!」
散々転がされてコケにされた夜狩熊はもはや怒り心頭といった様子なのか、前脚を持ち上げ直立の体勢を取ると森中に響き渡るのではないかという咆哮を上げて威嚇する。
「くっ、もう話している暇はないか。みんな、準備は良いか! あいつを倒すぞ!」
「ええ! メリル、行ける?」
「うん。さっきの治療で魔力が大分減っちゃったけど、補給用の魔石を使えば防御くらいはできるよ!」
夜狩熊の威圧に怯まずカイルが全員を鼓舞する。もとよりカイルとエマは何もしていないため体力、闘志共に万全だ。
メリルの方は想定外の魔力消費をしたから戦闘に参加できるか心配だったのが、補給用の魔石があるなら魔術の行使は問題は無さそうだな。
「おーおー、その意気だ――――――じゃ、頑張れー」
「「「「「……え?」」」」」
俺の応援に、何故かこの場に居る全員が呆けたような顔をしてこちらを見る。いや、そんな不思議そうな顔をされても……。
「ちょ、ちょっと待ってよ! アゼル、アンタまさか自分は不参加だって言うつもり⁉ ここまで来て⁉」
「何をそんなに驚いているんだ、リアナ? 不参加も何も、俺たちがここに居るのは端からカイル達「ステップトレイル」の夜狩熊討伐の手助けをするために来たんだろ?」
「そ、そうよね? じゃあ何で後方に下がる気満々なの⁉ いや、魔力的にきついなら止めないけど、手伝うなら前に行かないとだよね?」
「いや、だから下がるんだが……お前、カイル達が何のために夜狩熊の討伐に来たか忘れたのか?」
「それは………………あ」
ここまで言ってようやくリアナは思い出したらしい。
そう――カイル達は、冒険者として成長するための足掛かりとして夜狩熊の討伐に乗り出したのだ。俺達に同行を依頼したのは、実力が足りず危険に晒された時のための、万が一の保険だ。
つまり――――――
「この討伐、俺達は極力手を出さず、「ステップトレイル」の三人で討伐しなければ意味がない。だろ、メリル?」
「あ、はい……そう、でした、ね……そういえば、そういう話でした」
「いや、確かに最初はそうだったが……あれを、俺達だけで?」
カイル達がぎこちない動きで前方を見やる。
そこには、ゴルド達によって肩や脇、手足に無数の傷を負わされ、フィリアの【紅蓮の焔槍】によって横腹に重度の火傷を負わされ、メリルの魔術と俺によって何度も地べたを転がされたことで、鼻息を荒くさせた夜狩熊の姿が…………うむ、殺意に塗れた良い目をしている。
「大丈夫。致命傷になりそうな攻撃が来ても、俺が俺が止めてやる。さっきやられた男みたいに死にかけになることは無いから安心して、だが決して油断せず、されど断じて安全措置に甘えることなく、全力かつ死ぬ気で戦い抜け」
それだけ言うと、疲労困憊のフィリアと戸惑うリアナの手を引いて俺は再び樹冠脚竜の山の影へと引っ込んだ。
残されたカイル達はその様子を信じられない物を見る目で見送る。
「そ、それってつまり、致命傷にならない攻撃からは守らないってことじゃないか――!」
「グオオオオオオ――――――!」
カイルの絶叫と夜狩熊の咆哮が重なる。そうしてようやく、「ステップトレイル」による夜狩熊との戦闘が始まったのだった。




