73話:命狩る夜の風
「バルク、ディルは左右から槍で注意を逸らせ! 俺とロッツが前を張る!」
不意に檄が飛んだかと思うと、ゴルドは三人の仲間と共に夜狩熊へと飛びかかった。
「あ、おい!」
カイルが慌てて静止の声を上げるも、ゴルドはそれを無視し戦斧を振り下ろした。
脳天を狙った全力の一撃だったが、夜狩熊は素早く頭と身体を逸らすことで、肩を掠める程度に留めた。
しかし、ゴルドにとってはその一撃こそが肝要だったようだ。
「手前ら、こいつは俺たち「鉄牙団」の獲物だ! 横取りしたら殺すぞ!」
ゴルドが声高々に宣言すると、それを受けたカイル達は何故だか悔しそうな様子で顔を顰めた。
「ちょっと! 横取りしてるのはどっちよ⁉︎ そもそも私達の罠で来たのに――」
憤慨するフィリアだったが、しかしそれを制したのは意外なことにリアナだった。
「いいえフィリア。気持ちはわかるけど。先に手を出された以上、私達が手を出すのはルール違反というものよ……」
どう言うことかと問うと、リアナは不機嫌そうに説明した。
「別の冒険者が同じ獲物を追って鉢合わせるっていうのはよくあるの。そうなると当然獲物の取り合いになるわけだから、その獲物をどっちが獲るかを決めなくちゃならないの。基本的には相手方と話し合ってこちらに譲ってもらうか、反対にこちらが別の個体を探すかして丸く収まることが多いんだけど……たまに一つしかない獲物を取り合って、話し合いでは収まらないケースもある。今回みたいにね。そうなった時にどうやって獲物の獲得権を決めるかわかる?」
「どうって……殴って黙らせる?」
「それもひとつの手ではあるけど、そのことが協会にバレたら何らかの処罰が下されるわね。相手に深刻な怪我でも与えたりしたら最悪ランクの降格だってある。もし行き過ぎて相手を殺しちゃったりでもしたら、冒険者の規則どころか法律にアウトだしね」
そりゃそうか。なら下手に暴力に訴えるのも無理だな。
話し合いや暴力が無理となると、他に何があるかな?
「……もしかして、早い者勝ち?」
フィリアの戸惑うような回答に先輩冒険者達が重々しく頷いた。
「採取物に関しては言わずもなが先に手に入れた冒険者に所有権が渡るが、討伐対象に関しては先に戦いを始めた奴が獲物と戦う優先権を渡すのがマナー……暗黙の決まりになってる」
「だからゴルドさん達はあんなにも早く動いたんですよ。他の冒険者が戦っている最中に他の人が割り込むのは、一種の妨害……救援の要請があれば話は別ですが、相手に断りもなく割り込んだら悪意ある妨害と変わりませんからね。それで大事があったら勿論、大事無くても冒険者からは顰蹙を買いますね。下手したら、それが噂になって関係のない冒険者からも嫌われかねません」
なるほどなあ。荒くれの集まりのような冒険者にも、色々なしがらみやらルールやらがあるんだな。
「……いやそれで言ったら、俺たちの仕込みで誘き寄せた獲物を横取りしているあいつ等は、まるっきりマナー違反じゃねぇか? あれは良いのかよ?」
疑問に思い訊ねると、皆は何とも言えない様子で苦い顔をする。そんな先輩冒険者を代表してエマが、少し申し訳なさそうな、それでいて厳しそうな声音で答えた。
「もちろん駄目よ。れっきとしたルール違反だし、手柄泥棒も良いところ。だけど、かと言って今下手に戦闘に割り込んだりしたら命に関わる可能性があるの。その上、今のあいつらが相手しているのは夜狩熊……横取りされたのは腹立たしいけど、足の引っ張り合いをして誰かが死んだりするくらいなら、泣き寝入りしたほうがマシね。まったくコーネルといいゴルドといい……最近の私達ついてないわね。せいぜい私たちにできるのは、この事を協会に報告して軽い処罰を下してもらうことを期待するだけ」
額に手を当てる言うエマに釣られて、他の面々も溜息を吐いた。
確かに、無理やりあそこに混ざっても、夜狩熊以外からも攻撃が飛んできそうだ。
「そう言うことなら仕方ないな。あいつ等が終わるまで、離れて待機しておこうか」
俺は抜いた剣を鞘に収めて、皆を樹冠脚竜の山の裏へ避難するよう促した。
あっさりと剣を収めたのが不思議だったのか、フィリアは誘導に従いながら小首を傾げた。
「……意外と冷静なのね? アゼルはあれに対して怒ってないの?」
「怒りというか、まあ不快感はあるが……俺達より先に動いたのは事実だし、変に足引っ張られて怪我するのも面白くない。泣き寝入りするつもりは俺には毛頭ないが、今はとりあえず奴等の好きにさせてやるさ。それに……」
そこで言葉を一時止めて、俺は前方に顔を向けた。
既に槍持ち二人が夜狩熊を左右から挟み込んで、その動きを牽制するために必死に槍先を突いている。
剣持ちが槍のサポートを受けながら正面に立って注意を引きつつ隙を作り、その隙を狙ってゴルドの戦斧で大きなダメージを狙う。
そんなところか。うん……やっぱりだな。
「ありゃ駄目だ。すぐに終わる。三人とも、今のうちに戦う準備を整えておけ」
「駄目って……どういうこと? 見たところ順調にダメージを与えているように見えるんだけど……」
「いや、全然駄目だな。もっとよく見てみろ」
俺が夜狩熊を指し示すと、丁度夜狩熊が右腕を振り上げているところだった。
すかさず右側に控えている男が空いた脇腹に槍を突き出し、反対側に居る男も体勢を崩そうと支えとなっている左腕に向かって槍を突く。
槍の先端は夜狩熊の皮膚に食い込みそこから僅かに血が流れたものの、穂先はそれ以上進むことなく皮膚の先にある筋肉には届いていない。
夜狩熊も苛立たし気に唸っただけで大して効いた様子はなく、槍に構わず右腕をゴルドのいる場所へ振り下ろした。
「ちいっ……!」
ゴルドは舌打ちを一つしてその場から大きく後方へ跳ぶと、間一髪のところで腕はゴルドが立っていた地面を砕くだけに留めた。
その隙を狙ってゴルドが戦斧を真横に振るったが、夜狩熊は両前足を上げて一時的に直立の姿勢をとることで回避した。
「ゴルド無事か!」
「無事だ! だがお前ら、もっと頑張って止めろ!」
「わ、悪い!」
ゴルドの軽い叱責に槍持ちの二人が謝りつつ、横薙ぎに大きく振るわれた夜狩熊の腕を回避する。
槍持ちの二人が後退したタイミングを狙って夜狩熊も包囲網を抜けようとする様子を見せたが、それを見抜いてか剣の男が夜狩熊の顔を掠めるように剣を軽く振るう。夜狩熊が咄嗟に顔を逸らしたことで県は頬を掠める程度で収まったが、それにより夜狩熊から後退するタイミングを奪うことに成功した。
しかしそれだけだ。
「全体的に力が足りん。どれも浅い傷しかつけられていない。槍はほんの先っぽしか刺さっていないし、剣も硬い毛のせいで皮膚を少し傷付ける程度でしかない。唯一ゴルドの戦斧だけがダメージと呼べる傷を与えられる可能性があるものの、夜狩熊が警戒し躱しているせいで中々当たらない」
槍二人の連携はそこそこだが、夜狩熊の厚い皮膚を貫くには筋力が足りないのか、そのせいで本来の役割であろう攻撃の阻害という役割を果たせていない。
剣の方は相手の正面に立ちつつゴルドのために懸命に隙を作ってやっているが、頬を掠めただけとはいえ、刃が当たったというのに、そこから一滴の血も流せないのはいただけない。あの面々の中では一番動きが良いが、やはり攻撃力が足りていない。
ゴルドに至っては、もう全体的に駄目。剣や槍が頑張って注意を引いてその隙に攻撃をしているものの、一撃一撃に全力を込めているために攻撃の間隔が長く、結果躱されるか掠める程度に留まっている。威力はまあ、夜狩熊よりも防御力が高い鉄硬熊の皮膚を突破しているだけあって、仕留めるには十分足りていそうだが……それも当たらなければ意味がない。
「仲間も要所要所で身体強化を使って頑張っているようだが、結局皮膚の奥へは行かないのなら無駄と言える。そのせいで攻撃はゴルドに完全に任せて、周囲は攻撃を当てられるよう隙を作る係に回る作戦をとっているわけだが……これはあまりにも脆弱だ」
「そ、そうなの? バルク、ディル、ロッツの三人が隙を作って、その隙を縫ってゴルドが全力の一撃を加えていく……それぞれが役割があってバランスが良いように聞こえるけど……」
「聞こえだけはな。だがあれ、あの中の一人でも欠けたら途端に崩れる。そうでなくとも、戦いってのは何が起こるかわから無いからな」
相手も自分も生き物で、体力も魔力も集中力も限りがある。常に最適解を出せるわけでもあるまいし、ちょっとした要素で戦況はひっくり返る。机上では九割成功するはずの作戦が、実行に移したら実は三割未満だった、なんてことはよくある話だ。
「まあ、あいつらの場合、勝率は端から一割あるかどうかだったがな……その理由は、メリルならよーくわかるだろ?」
「え、ええ……一割は言い過ぎだと思いますけど。ですが……はい、そうですね。勝ちの目は薄いと思います」
俺が話を振ると案の定、メリルは少し重々しい雰囲気で頷いて見せた。
彼女のこの反応に対し、パーティーメンバーのカイルとエマも曖昧ながらも理由を理解しているのか軽く頷いたが、フィリアと並んで今度はリアナが疑問符を浮かべた。
「たった一割? なんでそんなに低いの? そりゃあゴルド達は嫌な奴だけど、あれでもれっきとしたCランク冒険者だよ?」
「れっきとした、という評価には疑問がつくが……まあ今はいい。リアナ、お前は夜狩熊がどんな魔物だったか覚えてるか?」
「え? ええっと――Cランクの熊型の魔物で、夜行性。雑食ではあるけど、肉を好んでいる。一撃で木を薙ぎ倒せるほどに力が強くてとても危険。あとはー、えっと、足が速くて、風の刃を…………あ」
「そう、夜狩熊がCランクの魔物の中でも強いとされているのは、魔力を操り攻撃へと転換できるからだ」
先程俺が【断紅障】で防いだ攻撃もこの風の刃だった。しかもご丁寧に、この場に居た人間の中でも一番小柄で弱そうに見えるリアナを狙っていた。
もし俺が夜狩熊が放っていた殺気に気が付かず対応が遅れていたら、リアナは致命傷を負っていたことだろう。
風刃の範囲を考えると、隣に並んでいたフィリアも巻き添えになっていた可能性もあった。
「夜狩熊が飛ばす風の刃の威力は下級風魔術の【風裂刃】と同程度あります。正直夜狩熊の素の腕力と比べると殺傷力は劣りますが……それでも何らかの魔術的対策をしなければ十分に危険です。ですが……」
メリルが言葉を濁しながらゴルド達の方を見やる。奴らの装備は、お世辞にも整っているとは言えない。
夜狩熊の正面に立って戦うゴルドと剣の男は、いちおう鉄鎧や肩当てやらチェインメイルやらを身に着けているが、それはあくまで銅部分だけ。槍の二人に関しては鉄装備なのは小手と兜だけで、胴を守っているのは革鎧くらいだ。手入れはされているが、全体的に傷だらけだ。
しかし、最大の問題点は装備のボロさではない。
「ゴルド達の装備には、風刃を防ぐための魔術的防御が施されていんだよ。かと言って、何らかの障壁を展開する魔道具の類があるわけでもない……これがどういう意味か、もうわかったよな?」
この言葉でようやくフィリアとリアナは奴らの装備の脆さに気付いたようだ。それと同時に、向こうの戦局も変わった。
「グオオオォォォ――――――‼」
上手く隙を突くことができたゴルドの戦斧が夜狩熊の肩に深く食い込んだ。
「よっしゃあ、やっと捉えたぜ! このまま一気に畳みかけろ!」
初めて上げた苦悶の声に調子を上げたのか、ゴルドの指示を浴びて仲間達が一斉に己が武器を振るう。
しかしここで、夜狩熊の身体に変化が生じる。
「グルル……」
夜狩熊が低い唸り声をあげると同時に、その身体に走る緑の筋が僅かに発光した。その光は本当に僅かで、よく見なければわからないほどの変化だったが、その後に起こったことはまさに劇的であった。
「へ?」
仲間の誰かが間抜けな声を上げる。何故なら、絶対に当たるはずだった武器が空を斬り、目の前に居たはずの夜狩熊がいつの間にか離れた場所へと遠ざかっていたのだから。
いや――居ないのは夜狩熊だけではない。先ほどまでそこに居た槍持ちの一人までも、完全にその場から消えていたのだ。
どこへ行ったのかと誰かが声を上げるよりも早く、その結果が耳に響いた。
――――ドオオオオオオ「ぎゃああああああ――‼」ミシミシミシィィィ…………!
夜狩熊が木にぶつかる音と、激しい衝突音と木が裂ける音。それに混じって男の絶叫が夜の闇を切り裂き、この場に響いた。
「なっ⁉ バルクーー!」
夜狩熊が一歩後退すると、そこには折れた槍を握り口から大量の血液を吐いた男が、半ばから折れた木を背に力なく地面に崩れる様子が見えた。
「ご……ごふ……うぅ、あぁ……」
お、意識がある。あの血の量じゃ骨どころか内臓が潰れてるはずだが……どうやら攻撃のために魔力で身体を強化していたのが幸いして、辛うじて命を繋ぐことができたようだな。
「な、なに⁉ 今何が起こったの⁉」
「やれやれ、肩を思い切り叩かれてようやく本気を出したってところか」
夜狩熊がやったのはなんてことはない、ただ全速力で突進しただけだ。
熊らしくずんぐりとした体躯をしているが、夜狩熊が自身の魔力を用いて本気で走れば疾走する馬すら捕まえることができる。
あの体躯の生き物がそんな速度で突進して来たら、それは馬車に轢かれるのと同義。今回は肩にけがをしていたためか助走距離が足りなかったためか、トップスピードには達さず男の身体強化も相まって運良く即死は免れたようだ。
しかしその幸運も、夜狩熊が大口を開けたことで危うくなった。
「なっ――やめろ!」
ゴルドが焦った様子で怒鳴る。
夜狩熊は動けなくなった男の身体を上から押さえつけてから、止めを刺そうとその首に狙いをつけて顔を近付ける。
ゴルド達がようやく状況を理解し慌てて駆け出すが、ゴルド達が到達するよりも先に夜狩熊が男の首を食い折る方が早い。ましてや、夜狩熊は既に男の眼前に居るのだ。距離的にも足の速さ的にも、ゴルド達が奴を助けられる可能性は万に一つもないだろう。
――――――ゴルド達では、な。
「【紅蓮の焔槍】!」
「【拒絶する奔流】!」
夜狩熊の牙が男の首に突き立てられる寸前、眩い光を放つ炎の槍と強い衝撃波が夜狩熊の身体を横から叩いた。
「グオゥッ⁉」
突如襲われた強い熱と衝撃に夜狩熊は苦痛と困惑の入り混じった鳴き声と共に転倒する。
俺が隣を見ると案の定、フィリアとメリルの魔術師二人が己の杖の先端を前へまっすぐに伸ばしていた。
「リアナ! アゼル!」
「わかってる!」
「……え、俺?」
フィリアが鋭い声で俺とリアナの名前を叫んだが、リアナは名前を呼ばれる前に既に走り出しており、対して俺はその呼びかけの意図がわからず思わず聞き返した。
「ちょ⁉ 何ぼさっと突っ立ってんのよ! 早く助けに行きなさい!」
「ああ、そういう……」
ていうか助けてやるのか……。俺達の用意した餌罠を奪おうとした挙句、獲物を横取りした盗人もどきの連中なのにな。ま、それがフィリアとリアナという人間か。
俺がフィリアに叱られている間に、リアナは既に倒れた男の側まで行っており、小柄な身体にもかかわらず男の腕を肩に回して懸命に起こそうといた。だが激痛のためか男側が上手く力が入らず、中々起こすことができない。
「おい手前ら! 手を出すなって――」
「ウルサイ! 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! いいから早く手を貸しなさい!」
この期に及んでまだ難癖をつけてくるゴルドに対し、リアナは被せるように怒鳴りつける。
そうこうしている内に夜狩熊が起き上がり、先程とは明らかに違う確かな敵意の籠った目を向けた。
「グルゥ――グオオオオオオ!」
「くっ!」
威嚇の咆哮を上げると夜狩熊は全身に力を入れて、リアナ目掛けて再び突進を仕掛けた。だが手負いの状態である今ならば、リアナの脚力をもってすればギリギリ躱すことができるだろう。
しかしリアナは、迫り来る夜狩熊を前にして逃げるそぶりを見せなかった。あの突進を回避しなければ自身も危ないというのに、それでもなお彼女は男を見捨てることなく必死に引っ張って避難させようとする。
「「【魔術障壁】!」」
すかさずフィリアとメリルがリアナに魔術障壁を張る。だが、夜狩熊の身体が障壁に届くことはなかった。
「【紅鎖鞭】」
「グウゥ⁉︎」
凄まじい速度で走り出した夜狩熊だったが、しかし木々の間から飛んできた無数の帯が身体に巻き付いたことで、その動きは唐突に止められた。
「ちょっとそこで大人しくしていろ」
必死に身をよじり拘束を解こうとする夜狩熊を尻目に、俺はリアナが抱える男を観察する。
「あー、やっぱり内臓やられているな。無理に立たせようとすれば死ぬぞ、これ」
「そ、そんな! どうすれば……」
リアナが慌てる間にゴルドやカイル達全員が集まってきた。
「おい、バルク! しっかりしろ!」
「だ、駄目です! 揺らさないで! 内臓が損傷している可能性が高いですから!」
「うるせえ! ああ、畜生、まだあいつも倒せてねえってのに、どうすりゃあ……」
「ちょっと、この期に及んで獲物の心配⁉ 今すぐ治療しないと、この人危ないわよ!」
「わかってんだよ、そんなことはよお! くそっ、くそっ、あとちょっとだってのに! 俺は、ここで挽回しなけりゃいけねえってのに!」
「お、おい、ゴルド!」
「グウゥ、グオオオオオオ――――!」
うわー、なんか既視感。全員が全員パニックなっているこの状況、前世で何度か見たことあるなあ。
つい先ほどまで上手くいっていたと思っていたのに、突如圧倒的な力を見せつけられて味方が重症を負わせられ、途端に勝ちの目が見えなくなる。しかしそのことを認めたくなくて大声を出して誤魔化し虚勢を張る。後から来た奴は先ほどまで対立していた商売敵で、せっかくここまで追い詰めた獲物を横取りされるかもしれないという不安。先ほどの口振りから察するに、ここで何らかの結果を出さなければ後が無いのだろう。
死にかけの仲間と目の前の利益、そして夜狩熊という圧倒的な脅威にゴルドはすっかり錯乱していた。
「まったく。ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー喧しい。喚きたいだけなら向こうでやれ」
「なんだとこのガキ! 手前からぶっ殺してやろうか――むぐぅっ……⁉」
感情に任せて殴りかかろうとしたゴルドを、その煩い口元から掴みついでに軽く威圧することでそれ以上の言葉と動きを制する。
「治療の邪魔だから黙れって言ってんだよ。まったく…メリル、フィリア、何か治療の手立てはあるか?」
「え、っと、下級の【癒滴】なら……」
「私は【命脈の修復】を……昔、教会で治癒の術を学んだことがありまして」
フィリアは水属性下級魔術の【癒滴】。メリルは同じく水属性の中級魔術【命脈の修復】を使える、と。
治療の魔術は教会の専売特許で、中級以上の治療魔術を習うとなると教会で多額の受講料を払って習う必要がある。一般的に広まっている下級の治療魔術なら使えるだろうと思っていたが、まさか中級レベルの治療魔術を修めているとは……全く頭が下がる。
しかし、懸念点が一つ。
「内臓治療、いけるか?」
「どうでしょうか……中級の回復魔術は大きな怪我の治療はできますから、効果はないわけではありませんけど、この人を助けられるかどうかは……」
まあそうだよな。このレベルの大怪我は教会案件だ。ここには教会の治療師もいないし、かといってこのままでは町へ運ぶ途中で死ぬだろう。
正直、手遅れという感じなのだが……
「それでも効果がないわけじゃないんですよね。ならやらないと――【癒滴】!」
フィリアは男の身体に手をかざし魔術をかけ始めた。手から水属性の魔力特有の青い光が降り注ぐが、男の苦しそうな呼吸は少しも和らぐ様子はない。それでもフィリアは、やめることなく必死に魔術をかけ続ける。
外傷かつ小さな怪我を癒すくらいしかできない【癒滴】をかけるなんて無駄なことだとわかっているはずなのに、何度も、何度も……。
「はあ……仕方ないなあ」
ここで死なせてしまったら、きっと彼女は悔やむだろう。フィリアという少女はそういう人間だ。
そう考えた俺はようやく、剣を抜いてその刃を自分の手の平に当てた。
「おいお前等、それからリアナにカイルとエマも。少しの間こいつの身体押さえつけてくれ」
「は? お、俺達か? 押さえつけるって……」
「アゼル、なにするつもりだ? いやそれより、まずは夜狩熊をどうにかしないと……」
「それは取りあえず放置で良い。今はこっちに人手が欲しい」
疑問符を浮かべるカイルたちを無視して、俺は腰から動物の解体用のナイフを鞘ごと外し、それを男の口元まで持っていく。
「助けてやる。死ぬほど痛いだろうが、死ぬことはないから安心しろ。わかったらこいつを咥えてろ」
「ぅ、うぅ……あ、あー……」
男も何をするのかを聞きたそうな顔をしていたが、自分が危険な状況に置かれていることを理解しているためか、呻きつつも頷き口を開いた。
男の口に鞘ごとナイフを咥えさせると、今度は腰のポーチから細く短い裁縫針を取り出す。
それを剣で切り付けた自身の手の平に載せて、針全体を自身の血で染め上げる。
「フィリア、そんなんじゃ魔力を無駄に消費するだけだ。一旦止めろ」
「でもっ!」
「わかっている。お前の魔術の出番は、俺の作業が終わった後だ。それから、外傷治療用の魔術で内臓を癒すならもうちょっと工夫する必要がある。もっと魔力を集中させて、身体の内部に浸透させろ。魔力を糊にして、破れた端をくっつけるイメージだ……できるな?」
「わ、わかったわ」
「よし……メリル、あんたはフィリアと一緒に魔術をかけてくれ。正直、あんたの魔術が頼りだ」
「は、はい! ああいえ、ですが、内臓が破れているんじゃ、私の魔術ではどうにも……」
「そこは俺が、何とかできるように手を尽くす。二人は俺の指示に沿って全力で魔術をかけてくれ。いいか? フィリアにも言ったが、傷を治すんじゃなくくっつけるイメージだ」
「わ、わかりました……」
メリルも戸惑いながらではあるが頷いて魔術の詠唱を始めた。
さて最後に……俺は手の平の傷口の端を指で摘み、それをピッ――と思い切り引っ張る。何とも言えない微妙な痛みと共に、指の腹程度の大きさの皮膚が僅かな血肉と一緒に取れた。
その皮膚を【血濡魔術】で限りなく細く、そして長く引き延ばしていく。
そうして出来た糸を裁縫針の穴に通して準備は完了。
「よし……おいお前等。そいつの身体を全力で押さえつけろ。なにぶん繊細かつ危険な作業な上に、痛みを和らげるような薬物もないんでな。酷く暴れるだろうから、お前等も身体強化を使って死ぬ気で抑え込め。拘束が甘かったら死ぬのはそいつだ、気張ってやれよ?」
「お、おう……」
俺の指示に戸惑いながらもカイルが右腕を、エマとリアナが右脚を、ディルは左腕を、ロッツが左脚を、体格の大きいゴルドが肩を抑えて身体全体を可能な限り抑える。
すべての人員が配置につき各々しっかり力が入っているかを確認した後、俺はひとつ大きく息を吐いた。
「さあて――――始めるぞ」
そう言ってから俺は、男の腹の上に針を突き立てた。
仲間が助けに動かなかったら、人を見殺しにするつもり満々だった主人公ってマジ?
前回トラウマをくすぐられちゃったからね。仕方ないネ。




