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72話:熊に話は通じない

 夕食を終えてから数時間が経過した頃。


「…………来た」


 木にもたれてぼんやりと夜空を眺めていた俺は、遠くの方から「プチリッ」という感覚から身体を起こした。

 食事も終え来る戦いに向けそれぞれの方法で英気を養っていた皆も、俺の呟きを聞いてすぐに各々の装備を整え始めた……ただ一人を除いてだが。


「おーい、フィリアー、しっかりしろ。出かけるぞ」

「んぅえ⁉ ……ね、寝てないわ。大丈夫」


 ここまで来るのに疲れていたのか夜更かしをあまりしない生活をしていたのか、いつの間にか杖を握ったまま船を漕いでいたフィリアに声をかけて起こす。

 慌てて立ち上がるフィリアを横目に、軽装故にいち早く準備を終えたメリルが俺に確認を取りに来た。


夜狩熊(ハンターベア)ですか?」

「どうだろうな。だが、餌場に仕掛けた糸が何かにぶつかって切れた。夜狩熊(ハンターベア)かはわからんが、糸を張った位置的にそれなりの大きさの奴が来たのは間違いない」


 樹冠脚竜(セルヴァダイノ)の死体を利用した簡易の餌場には、非常に細い糸を張り巡らせており、何かがぶつかったら切れてその振動が俺に伝わるようになっている。

 糸を張った位置は俺の胸よりも少し下の高さにしているため、小さい野ウサギどころか小悪鬼(ゴブリン)や狼系の魔物が通っても普通なら届かないようになっている。

 ちなみに、今居る野営地の周囲にも同じものを張っている。


「【生配の図譜(プレゼンス・マップ)】……確かに餌場に何かいますね。しかし……」

「どうした?」

「複数の存在を感じるような……」


 複数? 夜狩熊(ハンターベア)は基本一匹で狩りをする魔物のはずだが……となると、釣れたのは夜狩熊(ハンターベア)ではなく別の魔物かもしれないな。

 話している間にも糸は次々と切れていき、対象が確実に餌に向かって来ている。


「とりあえず、様子を見に行くのがいいだろう。デカい何かが来ているのは間違いないんだし、別の魔物に餌を漁られても困る」


 いつもの鉄鎧を身に着けてあっけらかんと言うカイルに、それもそうかと同意を返す。全員の準備が整ったのを確認して、俺達は静かに餌場へと向かった。

 いったい何が来たのだろうと慎重に近付く俺達だったが、しかし耳に入ったのは予想もしてない音だった。


「な――だ、これ――ヤ――い奴――居んのか?」

「知ら――俺がわか――かよ――夜狩熊(ハンターベア)――ねえのか?」


 明らかな人の声に、俺達は思わず互いの顔を見合わせる。

 歩みのペースを早めて餌場に辿り着くと、積み上がった樹冠脚竜(セルヴァダイノ)の山とそこに群がる大量の粘魔(スライム)、そして武装した四人の男の影が見えた。

 男達が持っている武器は槍が二人と、長剣が一人、そして肩に戦斧を担いだ一回り大きい体躯の者が一人。

 暗がりではっきりとはわからないが、その集団の姿にはなんだか既視感があった。


「あれは……ゴルドか?」

「えっと……多分」

「もしかしなくても、そうだよね?」


 流石に三度目となると名前もスッと出るものだ。俺の呟きにフィリアとリアナも同意するように頷きを返すのが見えた。

 俺たちが互いに確認し合っている間にも、ゴルド達は樹冠脚竜(セルヴァダイノ)の山を調べながら、なにやら言い合いをしていた。


夜狩熊(ハンターベア)の巣なんじゃねえのか? それならここに大量の死体が集められてるのも納得だろ」

「いや、夜狩熊(ハンターベア)の巣はの根元を抉った洞か大きい洞窟、それか倒木で囲って作られているって聞いたことがある。けどここには倒れた木もなけりゃ、大きな洞もないだろ?」

「それにだ、魔物が食い散らかしもせずにこんな風に死体を積み上げるかよ。数も多いし……明らかに普通じゃねえって」

「ちっ、じゃあ何だって言うんだよ!」

「いや、俺もわかんねえよ。少し調べるから待ってろ」


 苛つくゴルドを周囲が宥めている。

 あちゃあ……ちょっと派手にし過ぎたか。他の冒険者が来ることは、ちょっと想定していなかった。


「ゴルド? もしかして「熊殺し」のゴルドか?」


 密かに頭を抱えていると、俺たちの会話を聞いていたカイルが小さく驚きの声を上げた。


「知っているのかカイル?」

「ああ。異名持ちは有名だからな。お前等、あんな不良冒険者と面識があったのか?」


 驚くカイルに俺は初日に絡まれたことを手短に話す。

 しかし、「不良冒険者」とはな……。あのカイルがそう言うとなると、やはりゴルドの素行の悪さは冒険者の間でも有名なようだ。


「……なるほど、そりゃあ厄介な奴に絡まれたな。しかしそうか、あいつもこの討伐に参加していたか……そりゃそうだよな」


 困ったように眉を顰めるカイルに俺は内心で首を傾ける。


「なにやら訳知り顔だが……察するに、あいつの「熊殺し」の異名が、何か関係してるのか?」

「あー……まあ、な……アゼル達は、ゴルド達がまだDランクの時にCランクの鉄硬熊(アイアンベアー)を倒したことで有名になった冒険者だってのは知ってるか?」

「あー……聞いたような、聞かなかったよう、な?」

「いつぞやの時にアタシが教えたよね?」


 そうだった。奴の名前と「熊殺し」、ついでにリアナの「狐走」の異名もこの時に知ったんだっけ。

 確かその時にも鉄硬熊(アイアンベアー)の話が出ていた。その時はその功績から付けられただけだと思ったが、夜狩熊(ハンターベア)の討伐にも乗り込んでいるとなると、ただの功績とは考えられなくなったな。なんだ、親でも殺されたか?


「いや、流石にそこまで深刻な因縁は無いと思うが……俺も人伝に聞いた程度だが、どうも昔に夜狩熊(ハンターベア)と戦って敗走したみたいだ」


 カイルが聞いた話曰く、ゴルドはDランク時代に仲間と共にCランクである鉄硬熊(アイアンベアー)と戦って一躍有名になったそうだ。「熊殺し」の異名はその頃に付けられたのだとか。

 それからとんとん拍子にランクに上がり、調子よく依頼をこなしていたようだが、その名声の勢いに乗ってゴルド達は勢いで夜狩熊(ハンターベア)に挑んだのだ。

 しかし同じCランクと言えど鉄硬熊(アイアンベアー)とは勝手が違ったようで、最終的にゴルド達は大怪我を負って逃げ帰った。


「幸いなことに、仲間が死んだとか後遺症だとかは無かったようだが、その日を境にどんどんと素行が悪くなってきてな……これは暇潰しに窓口に立つ研究者(スコラー)に聞いた話なんだが、負けてからどうもCランクの討伐依頼で失敗することが増えたようだ」

「あー……そういうことかぁ」


 なんとなく、あいつに感じていた小さな疑問が解けてきたぞ。

 鉄硬熊(アイアンベアー)は確かにCランクの魔物で、耐久力だけを見れば夜狩熊(ハンターベア)にも勝っている。だがその反面、鉄硬熊(アイアンベアー)の体は重く、とにかく動きが遅いのだ。

 もっぱら木の実やら腐肉ばかりを食べるが、いちおう肉も食べるため狩りなんかを行うが、走れば野ウサギにも劣る。そのためその狩猟法は川か森でじっと動かず、獲物が近くを通った時に奇襲を仕掛ける待ち伏せ式だ。

 Eランクの身でCランクの鉄硬熊(アイアンベアー)を討伐したのは確かに凄いが……正直に言うと、固い表皮を貫く術を持った上で集団で囲って殴れば、まあEランクでも勝てなくはない相手だ。

 それで鍛錬を積んだのなら問題はなかっただろうが……まあ、調子に乗ったのだろう。

 Cランクとしては中途半端な実力のまま夜狩熊(ハンターベア)に挑んで負けて、そこから面白いくらいに転落したんだな。

 なまじ優秀だと持て囃されて大層な異名まで付けられ注目されていただけあって、その敗走に関しても強い注目を浴びたのだろう。

――「熊殺し、熊に負ける」こんな感じか? 言っちゃあ悪いが、酒の肴には具合の良い話だな。


 そんな噂が立っては面子的にも黙っていられない。かつての名声を取り戻そうと躍起になることは想像に難くない。

 だがあの性格を鑑みるに、Cランクの身でDランクの依頼を受けるのはプライドが許さなかったんだろう。止せばいいのにCランクの、それも討伐依頼ばかりを受けては、少ない成功と多くの失敗を繰り返すばかり。そんなことを続けて……そんで腐っちまったんだな。


 俺が感じた初対面の時に見せていた妙に苛立った様子は、Cランクの討伐依頼が上手くいかないことから生まれたものだろう。

 リアナに妙に突っかかってたのは、パーティーを断られたという理由からではなく、自分と同じ異名持ちで最近Cランクになって注目を浴びているリアナへの嫉妬から来るものだったというわけだ。

 ついでに、つい最近新人になったガキ()に負けたのだ。さぞ屈辱だっだことだろう。


「やれやれ、面倒な奴と関わったもんだ……どうすんだカイル?」

「どうするもなにも、こっちの事情を教えるしかないだろ。あのまま放っておいて餌場を荒らされるならともかく、異常事態だと判断して冒険者協会に報告されたら大変だ……おーい!」


 そう言うとカイルは、一言大声で呼びかけながらゴルド達の下へと向かった。

 ほとんど躊躇う様子もなく姿を晒したカイルに、俺は内心で「ええ、声かけんのかよ……」と面倒ごとに発展しそうな気がして嫌気が差した。

 だが確かに、冒険者協会に報告かされたらこちらの方がより大事になりそうだ。


「誰だ⁉ ……ってお前は、カイルじゃねえか。お前らも夜狩熊(ハンターベア)の討伐に来たのか?」

「うん? 俺達を知ってるのか?」

「ちっ……ああ知ってるよ。どっかの貴族からたんまりと報酬を受け取って、大金持ちになったパーティーってな。最近の酒場はその話ばっかりだぜ」

「あはは、そうなのか。なんだか申し訳ないな……」


 不機嫌そうに舌打ちをするゴルドに、カイルは引き攣った愛想笑いを浮かべる。

 そのカイルに隠れるように立つメリルも似たような表情を浮かべているが、エマはわかりにくいものの僅かに眉をひそめて不機嫌そうな顔をしていた。


「ふん……ただの探索者(シーカー)が、どんな手口で貴族から大金をせびったんだか。おまけにぞろそろと(わけ)え奴らを引き連れやがって……って、あん?」


 そこで俺達の姿に気付いたのか、ゴルドの目が驚きで見開いた。


「て、手前らは――⁉」

「よう……つくづく、縁があるなあ」

「なんで手前らみたいな新人がここに……おい、これはCランクの依頼だぞ?」

「そうだな。だが俺達は夜狩熊(ハンターベア)の討伐依頼を受けてここに来たわけじゃない。ちょっとした手伝い――荷物持ちだと思ってくれ」


 投げやりな説明だったが、いちおうその説明に納得したのかゴルドは再び舌打ちをするだけに留めた。

 また礼儀が何だととか言うのではないかと思っていたが、今はそれどころではないと理解しているようで安心した。


「で、俺達に何の用だ? まさか、俺達が見つけたものを横取りしようってんじゃないだろうな?」


 前言撤回。こいつ今、何て言いやがった?

 俺の聞き間違いじゃなきゃ「横取り」って言ったな?


「は? いやいや、待ってくれ! そもそもその樹冠脚竜(セルヴァダイノ)は、俺達が夜狩熊(ハンターベア)を釣りだすために用意した物だ」

「こんな量の樹冠脚竜(セルヴァダイノ)をか? いくらDランクとはいえ討伐者(ハンター)でもない奴がこんな量の魔物を狩れるとは思えねえなあ」

「い、いや、それはまあ、信じられないかもしれないが……」

「ほうら見ろ! 普通じゃあり得ねえだろうが。ならこの死体の山は夜狩熊(ハンターベア)の仕業だってことになるじゃねえか。なあ――そうだろお前ら?」


 ゴルドが仲間に合意を求めると、ゴルドの仲間達も心得たもので「そうだ」「そう考えるのが自然だな」と好き勝手に言い出した。

 これにはカイルも慌てたようで、声が少し荒くなる。


「いや、違う! 本当に俺達がやったんだよ! 正確にはアゼルがひとりでやったことだが……いや、仮にそうだったとしても、俺達が先にここで張り込んでいたのは事実だ! だからこの場所を取る権利は俺達にあるだろうが!」

「証拠は?」


 間髪入れずに放ったその言葉に、カイルは口を開いた状態のまま絶句した。


「どうなんだ。んん? 手前らが先にここを見つけたっていう証拠はどこにあるんだ?」


 ニヤニヤと卑下た笑みを浮かべながら、まるで小生意気な子ども(ガキ)が言いそうな主張をするゴルド。その後ろに控えている仲間達の顔も、笑顔やら真顔やらの違いはあるが、その表情には一様にカイルを嘲笑っている雰囲気が表れている。

 その(つら)を見た瞬間、俺の胸にどす黒いものが湧き、反対に頭はスーと冷めてきた。その私欲に塗れ、他者を踏み躙る悦楽に浸った不快な面は、前世で嫌というほどに目にしたものだ。

 その不快感に反応してか、俺の中の魔力が無意識の内に励起し外套(コート)の裾が僅かに浮いた――――しかし、俺よりも先に動き出した者がいた。


「黙って聞いていれば、勝手な事ばかり……」


 リアナだった。

 彼女は下に降ろしたその拳を怒りで震わせながら、自分よりも大柄な男の前に堂々と立ちはだかった。

 いや、動いたのはリアナだけではない。


「まったくよ。そんな幼稚な言い訳でよくCランク冒険者を名乗れたものね」


 フィリアもまた、臆することなくリアナの隣に並んだ。

 その表情と声は努めて冷静だったが、その目だけはリアナに負けず劣らずの熱が込められている。


「……んだと?」


 これには喜悦に染まったゴルドの顔も固まり、途端に目が吊り上がる。しかし二人はそれに怯むことなく、それどころか一歩前に出て挑発的に睨み返した。


「聞こえなかったかしら? フィリアはね、あなた達は薄汚いコソ泥だって言ったのよ!」

「人のことを貶めるだけじゃ飽き足らず、他人から奪おうとして更に嘲笑うなんて……厚顔無恥もここに極まれりね。王都の魔術学園のお馬鹿さんと何も変わらないわ」


 おお、リアナはともかくフィリアも中々言うなあ。

 前々から思っていたがこの二人、かなり性格が似通っているな。正義感が強いというか、言いたいことは誰であろうとズバッと言えてしまうというか。

 というかフィリア。魔術学園ってこいつらみたいな奴が居るところなのか?

 やっぱり、村に居た時に入学の提案を断り続けたのは正解だったようだ。


「こいつ……女だからって調子に乗るなよ」

「おっと。その一歩を踏み出すなら、覚悟したほうが良いぞ?」


 肩に担いだ戦斧を握る手に力が入ったのを見破り、俺は剣の柄に手を添えて軽い口調で制止させる。

 ただそれだけで、両者の間にピリッとした緊張が走った。


「冒険者には協会が定めた規約以外にも、暗黙の了解というものが複数かつ複雑に存在しているのは理解しているが、生憎と俺はそこら辺のことはよく知らん。だが人がそれなりに手間をかけて作ったものを横取りしようってなら、それ相応の覚悟は――――――――――――【断紅障(だんこうしょう)】!」


 瞬間、肌に静電気が発生したようなパチリとした刺激を肌で感じ、俺は咄嗟に剣を抜きその形状を巨大な盾へと変化させる。


「てめっ――って、ああん?」

「なっ⁉ 待てアゼル――うん?」


 ゴルドとカイルが慌てたような声を上げ、しかしすぐに疑問のそれへと変わった。何故なら、俺が盾を向けたのはゴルドではなく真横だったからだ。

 しかしその疑惑も、次の瞬間には驚愕へと変化することとなった。


――――――ガギイィィィィィィ!


 【断紅障】を展開して僅か一秒後。餌場の周囲に張り巡らせた糸が直線状に切断されていく感覚がした後、鉄を引っ掻いたような甲高い音と共に盾が揺れた。


「きゃあっ!」

「な、何だ⁉」

「…………やれやれまったく。まだ話はまとまっていないってのに、せっかちな奴だ。おいお前ら、不毛な餌場の取り合いは終わりだ。お目当ての奴が来たぞ」


 俺がそう言うと、暗闇の森の奥から風に乗って獣の臭いが吹いてきた。

 パキリ……パキリ……と地面に落ちた枝葉を踏み鳴らし、やがて堂々とその姿を俺達の前に晒す。

 四足歩行をしている今の状態でも俺の身長に届きそうなほどの巨体は赤毛に覆われており、背中から肩、腹へとかけて緑色の筋が数本走っている。

 太い腕の先には鋭い爪が生えており、その爪からは魔力が感じとれた。


「ここで来たか、夜狩熊(ハンターベア)……」

「グフゥゥ…………」


 多分の緊張の中に僅かな不安が込められたカイルの呟きに応えるように、夜狩熊(ハンターベア)は低く緩慢な息を吐いた。

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