62話:ライナス・モルテインの独り言
対談を終えてアゼルたちが部屋を出たところで、ひとり応接室に残ったライナス・モルテインは、大きく息を吐き身体を弛緩させる。
「やれやれ。どうにか悪印象を持たれずに済んだ、といったところでしょうか……」
実のところ、アゼルたちが必死に引き出そうとしていたコーネルの活動履歴を教えるのは、そう難しい要求というわけではなかった。
基本的に冒険者の名前や出身は冒険者カードに記載されている以上の情報は無いし、その正確さに関しては冒険者協会側としては特に重要視していない。活動履歴を遡るにはそれなりの権限を持った人間が協会の魔道具を用いて調べる必要があるものの、何らかの事情で情報が規制されていない限り、情報をまとめるという手間がかかる以上の問題はない。
つまり、アゼルたちの要求は受付で簡単に済ませられる程度のものだったのだ。
では何故、ライナスはアゼルたちを自らのもとへ招き入れ、わざわざ回りくどい言い方をし、情報を交換するという方法を取ってアゼルたちから話を引き出したかったのか。
答えは単純。自身の疑問の解消と好奇心を満たすためだ。
手紙に書かれていた喰血哭の存在の正誤は、そこまで問題視していなかった。
ロスウェル子爵が緘口令を敷いている以上、それを無視して騒ぎ立てれば自らの立場が危うくなる。いくら冒険者協会が一種の治外法権的な組織だとは言え、この国に根ざしている以上は完全に法や貴族たちを無視することはできないのだ。
そんな貴族であるロスウェル子爵が問題ないと言ったのであれば、余程の危険がない限りは裏を探る必要はない。否、探る方が危険である。
しかし、それはそれとしてライナスは個人的な知的探求心から、村を脅かした魔物の正体とは何なのかが気になっていた。
ライナスが統括者という役に就く前は、魔物の生態を研究するいち研究者であった。
統括者の役に就く者は多く場合、現地の優秀な研究者の中から選ばれる。無論、探索者や討伐者の冒険者が統括者になることもあるが、非常に稀だと言えるだろう。
その理由としては、単純に組織の運営を上手く行える素養を持つ者が研究者には多いからだ。彼らは戦闘力に乏しいが、代わりに資料整理や他組織への交渉・連携を行えるだけの教育を施されている。組織運営に必要な業務に強力な武は必要としていないため、研究者が選ばれるのは当然と言える。
ただライナスは、多くの研究者と違い現地で調査を行う――つまり探索者として活動することも多かった。
戦闘能力はDランクの魔物と辛うじて戦える程度のもので、調査するにも戦闘に長けた仲間に助けられていた。そのおかげでライナスは、この地に住まう魔物に関しては他の誰よりも詳しい自信がある。
統括者の職に就いてからは、魔物の研究する時間も取れず日々の生活にどこか物足りなさを感じていた。そんな時に飛び込んできたのが喰血哭の名だった。
故に、ライナスはカイルたち、そしてフィリアたちの知見を得ようと考えた。そこには興味以外の動機はなく、ともすれば退屈を紛らわせるためのちょっとした悪戯心もあった。
だが、フィリアの同行者――アゼルの口から発せられた話は、ライナスの暢気な思惑とは裏腹にとんでもない厄ネタであった。
「血追いの徒、そして夜王の遺産……喰血哭の出現が真実であっただけに飽き足らず、このような問題まで……」
まだ断言はできないとは言え、彼の口振りや以前行ったカイルたちの対話の反応を鑑みると、この情報は六から七割の確率で信用に足ると判断できるだろう。そして実際に喰血哭と戦ったアゼルははっきりと倒したと言った。であるならば、この情報も事実と見ても良いだろう。
これが他者の口からの報告であったならば信じるのは難しかったが、実際に戦ったと言うアゼルの口から語られるとその重みが違った。
しかしそれ以上にライナスを信じさせたのは、アゼルが一瞬放ってみせたあの威圧感だった。
「彼はいったい、何者なのでしょうか……」
ライナスがこれまで出会ってきた魔物にはBランクのモノもいた。その時は遠目で観測するだけで留め決して近付くことはしなかったが、幸運なことに魔物が狩りをする光景を見ることができた。
動物とは比べ物にならない力強い肉体に加え魔力すら扱うその驚異的な存在に、ライナスだけでなく同行していた仲間も威圧感を感じていた。
そんな威圧感をライナスは、アゼルから感じとっていた。
「あの気迫、それにあの目……魔物を狩る冒険者とは違う。あれはどちらかと言うと人を……」
冒険者は大自然の中で活動するためか、彼らが放つ威圧感もどこか生物的な格の差を感じさせる「野性味」がある。しかしアゼルが放った威圧感は、決して動物的なものではなかった。
魔物と対峙して培われた者のそれではなく、人と対峙して培われた者が放つそれ。言うなれば、生存以外の目的を持った命のやり取りに長けた者が放つ対人的威圧感。これはひたすらに魔物と戦う冒険者では決して放つことが、培われるはずのない冷たい圧だ。
「随分と若く見えましたが……いったいどんな経験をすればあのような目をするようになるのやら……」
良く言えば、他人を信用していない。悪く言えば、「人間はすべて敵である」と言っているかのよう。それほどまでに、あの眼差しには敵意のようなものを感じた。
おおよそ自分の半分程度しか生きていない少年がする目つきではない。ライナスはアゼルの態度を思い出し、痛ましさとやるせなさを感じ深い溜息を吐いた。
アゼルの物言いは礼節を欠いた失礼な少年といった感じだったが、その態度自体は冒険者協会の新人では別段珍しくもない。特に多少力に自信がある程度の田舎者なんかには多く見られる傾向にある。
だが、アゼルはそんな調子に乗った田舎者とは違うとすぐにわかった。
フィリアと異なり、アゼルはまずライナスの全身をくまなく観察し、次いで視線だけを動かして部屋を見渡した。まるでこの場に危険物がないかと警戒する護衛のように。
その様子からライナスは、アゼルを子爵令嬢の護衛だと判断した。しかし、後にアゼルがフィリアに対し護衛とは思えない態度で接したことで、二人の関係とアゼルへの認識を即座に改めた。
彼はフィリア以外には、この場にあるすべてのモノを信用していなかっただけだ。自分やこの部屋含めた周りの環境はもちろん、ともすれば共に来たリアナに対しても……。
リアナに対しては幾分か態度が柔らかく感じたものの、心の底ではまだ友として、信の置ける者としては扱っていない。ライナスはそのように感じ取れた。
幸いなことにアゼルからの警戒は幾分か解すことができたが、いったいどれだけの失意を経験すればそれほどまでの人間不信に陥るのやら。
そして、あの時アゼルに敵と思われていたら果たして自分はどんな目に合っていたか。ライナスは想像すらできなかった。
「……ついでに調べてみますか」
事件の証拠はすべてロスウェル村に残っているようだし、現地へ赴き調査を行えば多かれ少なかれ情報の確証を得られるだろう。
喰血哭の調査の合間に、アゼルのことをそれとなく調べてみようとライナスは考える。
「とは言え、子爵家に釘を刺されている以上、迂闊に人を送ることはできませんね。となると、やはりここは私自ら動くしか……」
そう呟きライナスは、残った仕事のことを考えながら脳内で休暇計画を立て始める。
アゼルたちから頼まれた資料の作成もあるし、それを抜きにしても統括者の業務は多忙だ。そう協会を空けることはできないが、かといって隣の村へ調査に行くとなるとどうしても数日はかかってしまう。国からも軍と調査隊が派遣されるということも考えれば、調査を先延ばしにしてしまえば現場の証拠など軒並み持ってかれるだろう。
仕事は多く時間が必要なのに、時間をかければ調査をする意味が無くなってしまう。
「ふふ……しばらくは徹夜ですね」
彼は薄く笑うと、アゼルたちに出したお茶の片付けを部下に任せて、ついでに大量の紅茶の持ってくるよう頼むと、急ぎ執務室の机に戻った。幸いにも今はまだ昼にも入っていない。今日という一日はまだ始まったばかりだ。
自分にはまだこれほどの探求心が残っていたのかと内心で喜びつつ、ライナス・モルテインは内に沸いた情熱を活力として猛然と仕事を処理し始めるのだった。




