32話:夜王の信奉者
今回はコーネルの視点で話が続きます。
「…………」
微かな呻き声を残して喰血哭は沈黙した。
辺りには耳が痛くなるほどの静寂が訪れたが、それとは反対にこの場にいる者の心臓は徐々に早まっていく。
しかし誰もが油断することなく動かなくなった喰血哭を警戒する。そのまま十数秒の時が経ったが、何かが起こる気配はない。
「勝った……」
ぽつりと誰かが零した。
その言葉は決して大きくはなかったが、静寂した戦場にはっきりと響き渡る。皆の鼓動が期待で強まり、ついには自身の耳にも聞こえる程に大きくなっていった。
その言葉から一拍、二泊と間が空き、そしてほぼ同時に内に湧き上がる歓喜を皆が抑え切れなくなる。
――――わああああああ‼
夜空が割れんばかりの歓声が上がる。
兵士たちは互いに抱き合い、村を守り切ったことを称えあう。自分たちだけでAランクという脅威を、喰血哭という伝説を討伐し、生き残ったことを喜んだ。
そんな彼らとは対照的に、俺は憂いから自身の背後を振り返った。
そこには血濡れた大地と、いくつもの死体が転がっている。喰血哭の骨の矢に貫かれた者。巨大な腕によって薙ぎ払われ、潰された者。爪によって引き裂かれた者。強大な顎にて噛み砕かれた者。どれも奇麗とは言えない死に方をしていた。
Aランクという本来なら三百人から五百人以上の軍隊が対応する必要がある災害を相手に、この村は予備兵も含めて僅か六十人程度の人員で戦い、全滅しなかったどころか大多数が残った状態で勝利した。これは奇跡と言って良いし、新たな歴史として語られるべき偉業と言ってよかった。
だが……俺は彼らとはそこまで親密というわけではなかったが、それでも昔からの知り合いであり村の一員だった。彼らはここで死ぬべきではなかったし、彼らが死んだのは紛れもなく俺のせいであった。
「ごめんな……」
Aランクの魔物を相手に一人の犠牲者も出さないというのは、ただの夢物語だ。生死を分けた戦いである以上、仲間が死ぬのは仕方がない部分もあるということは俺も十分わかっている。わかっていてそれでも、俺の口からは彼らに対する謝罪が自然と漏れた。
死んでしまった仲間に黙禱をしていると、喰血哭の最後の呻きがよみがえった。
「『許して』、か……ふん。俺はお前たちを許すつもりはないし、お前たちにやったことに俺は後悔も罪悪感もない……だがそれらはもう終わったことだ」
終わっていなければならない。俺もお前ら帝国の者たちも、既に過去の亡霊に過ぎず、現在まで残っていいものじゃない。
だから俺は最後の仕事を片付けるために、人知れずひとり夜の森へ入っていく。その手に喰血哭から引き抜いた槍と、戦場に流れた血を背後に引き連れて。
「――アゼル?」
***
「くそっ、くそっ、くそぉっ‼」
夜の森の奥でコーネルがひとり、怒りの感情を隠そうともせず口汚く罵りながら地団太を踏む。その足元には地穿鹿が一体転がっていたが、彼の八つ当たりによりその頭は原型を留めないほどに踏みにじられていた。
「せっかくの、私の、計画が! 村の虫けらを皆殺しにする私の計画が! あんな、蛆虫どもにぃ‼」
地穿鹿の頭を蹴り上げると、首がちぎれて暗がりへと転がっていった。そこで僅かに溜飲が下がったのか、大きなため息を吐き出す。
「はあ、はあぁ……まさか伝説に謳われる喰血哭があんなにも弱かったとは……いいえ、中身が単なる不死骸であったならこれも仕方がないことでしょうか……」
遠目で見ていただけではあったが、中から腐屍者が出てきたときはコーネルも大いに驚いた。しかしそれ以上に想定外だったのは、アゼルの能力の高さだった。
先日も完全体の喰血哭相手に大立ち回りをして生き残っただけあってその実力は高めに評価していたが、断頭台や巨大な盾の列を生み出すなど、コーネルの想定を大きく上回る能力を見せた。
「まさかあれほど多彩な戦いを見せるとは……少し狩りの腕が少し達者なだけの、大海を知らない生意気な小僧だと思っていましたが……彼の【武具製造】とやらも侮れませんね」
どうしたものかとコーネルは頭を捻る。
喰血哭を利用して村の人間を皆殺しにする計画は完全に失敗した。
もともと突発的に計画したものだから粗があっても仕方がないが、今回の件でBランク冒険者コーネルとしての信用が損なわれてしまったため、村にも拠点にしていた町にも戻るのも難しい。
「こうなってしまっては教団に帰るしかなくなりますね。しかしそうなると、何の手土産もなしというわけにはいきません。教団における信用までも損なわれてしまうでしょう……」
それだけはなんとしても避けたかったが、幸いなことに、喰血哭により村の人間が何人かが死んだようだ。いつも通りであれば死体から血を回収すれば捧げものとしては悪くない成果だ。
しかし今回は、血を超える特別な品があった。
「遠目でしたが、確かに見ました。腐屍者に刺さっていたあの槍……アレもまた「夜王の遺物」に違いありません……」
闇夜の下かつ離れた場所からでもわかった、あの仄かに赤く輝く血色の光……それはコーネルにとっても馴染み深い物でもあった。
それは彼の神がこの世界残した血の聖遺物。彼の教団が収集するべき宝である。
喰血哭を誘導するためにも手放さざるを得なかった血色の宝石も加えると、二つの「夜王の遺物」がこの地にあることになる。それを手土産にすれば、コーネルの教団における信用低下を防げるどころか、教団の幹部側近……いや幹部への昇格も夢ではなかった。
「問題はどうやって回収するかです……宝石の方はあのガキに渡るでしょうから急がなくても大丈夫だとしても、槍は村でどのような扱いになるか不明です……今は戦勝の雰囲気で染まっているようですし、今すぐ動けばどさくさに紛れて誰にも見られずに回収できるでしょうか?」
そう考えてさっそく動こうとしたところで、コーネルの耳が何者かが近付いて来る音を捉えた。
魔物かと警戒し音の鳴る方向へ杖を向けて待ち構えると、ガサリという音と共に人の姿が現れる。
その人物を見てコーネルは驚いた。
「よお……見つけたぜ、コーネル……」
現れたのは先ほどまで喰血哭との激闘を終えたばかりのアゼルだった。
全身は血に塗れ、もはや赤くないところの方が少ないほどだ。怪我をしているのか左腕は力なく垂れている。よく観察すると肩には大きな穴が開いており、腕も無数に刺された跡があった。先の戦闘により疲労しているのか僅かに息が上がっている。
しかしコーネルが何より目を引いたのは、その右手に握っている槍だった。シンプルな造りの柄は血を思わせる妖艶な赤を称えており、カリカリと地面を引っ搔いている赤い刃には怪しげな紋様が刻まれていた。
その魔術紋様こそが「夜王の遺物」である証。加えて槍を握る手にはあの宝石まである。
アゼルがここに居るのは想定外だったが、今まさに頭を悩ませていた二つの「夜王の遺物」が、まさか揃って目の前に転がり込んでくるとは……。
「アゼル君! よかった、道に迷ってしまって途方に暮れていたところだったんです! まさかこんな夜更けに君に出会えるなんて――」
「くだらない演技はやめろ、反吐が出る。どうせ近くで見いていたんだろ?」
さも安心したというような声音を作り警戒を和らげようとしたコーネルの企みは、アゼルの冷たい言葉によって無駄だと悟らせた。
まあ通用しないだろうと考えていたコーネルは作った表情を崩し、自身の素の顔を浮かべた。
「ふむ……いつから気づいていたので?」
「最初から――と言いたいところだが、お前が居たことに気付いたのは喰血哭を倒した直後だ。だがあいつをけしかけたのはお前だというのは見当がついていた」
「ほほう、随分確信を持っているようですね。なぜそう思ったので?」
「単純なことだ。喰血哭を拘束していた場所を知っているのは俺を含めて五人しかいない。カイルたちは喰血哭の対策に追われていたから村から出ていないし、それは兵士たちにも言える。だから自然と村にいない人間、つまりお前に疑いが向いたってわけだ」
「心外ですねー、私が村を壊すような人殺しに見えますか? そもそも、そんなことをして私に何のメリットが?」
「少なくとも今のお前は享楽で人を殺す、人でなしに見えるな……だが言う通り、お前と会うまで動機がわからなかった。一番可能性があったというだけで、根拠も証拠も動機すらない。なんとなく怪しい程度でしかなく、喰血哭を開放する目的があるとは思えなかった……だから問い質すために来たんだが……」
アゼルは気だるげにため息を吐くと、傷だらけの左腕で後頭部を掻く。
「その、なんだ……お前の独り言が聞こえた」
「それは……仕方ないですね」
若干の気まずさを感じさせるアゼルにつられて、コーネルも苦笑する。自分にしては少々迂闊だったと、コーネルは内心で反省した。
「計画がどうのこうのって聞こえた時には、会話とかせずにすぐに殺そうと思っていたんだが……気になる単語があったんでな、そいつを聞こうと思って止めたんだ」
「気になる単語?」
「「夜王の遺物」「教団」この二つだ。ああ、ついでに何で村を滅ぼそうとしたのかも聞いておこうか。教団への手土産ってのが関係してるのか?」
「ふむ……それを答える義理は私には有りませんね。しかし――」
知られたのならばこれ以上の問答は、それこそ享楽以外の何物でもないが、かといって真正面からアゼルと戦うのは危険だった。
表面上は穏やかに、しかしコーネルは右手の杖を密かに構え魔力を練る。同時にアゼルに悟られないよう左手を後ろに回し、腰に隠しているある物に触れる。
「聞かれたのなら話は早い……質問には答えられませんが、大人しくその槍と宝石を渡せば命だけは取らないであげましょう」
「宝石? 何でこいつを……あー、そういう」
一瞬怪訝な顔をしたアゼルだが、すぐに何かに納得したのか挑発的な笑みを浮かべた。
「断る……と言ったら?」
「好都合です――【氷天の鉄槌】」
コーネルとアゼルの間に氷の塊が落下する。氷塊により一瞬アゼルの視界がふさがった隙を狙い、コーネルは無詠唱で魔術を放つ。
氷が砕けると同時に冷気が地面を伝い、アゼルの足裏を凍り付かせる。靴を履いているため冷たさはそこまで感じず、また少し力を入れれば簡単に引き剝がせるが、その引き剝がす一瞬の間を狙い上空から千を超える水の矢がアゼルに降り注ぐ。
水属性中級魔術【千滴の矢雨】――この魔術は広範囲に降り注ぐため、一瞬だけだが足を取られたアゼルはすぐに回避に移れず、軽く舌打ちをした後頭上に盾を作り出し水矢の雨を防いだ。
「おや、これは意外。避けもせず受けてしまうとは」
「ちっ、水の矢か。厄介だが十分耐えられる。甘く見てもらっては困るな」
「いいえ? さっきの言葉は感心から来るものではありませんよ。むしろその逆で――」
コーネルの杖がクイッと横に動く。とても軽い動きだったが次の瞬間、アゼルの脇腹に軽い衝撃と鋭い痛みが走った。
「ぐっ⁉ これは――」
アゼルが視線を落とすと、ナイフの欠片が宙に浮き、脇腹にはナイフ程の切り口と血が滲んでいた。しかしそこにはナイフの姿はなく、細い金属の欠片のようなものが等間隔に並んでいるだけであった。
「――どうやら私は、君を過大評価していたようです。たったの三手で勝負がついてしましました」
アゼルが注意深くその欠片を触れると、手が見えない柄に触れた。それは透明なナイフであり、欠片のように見えていたのはナイフを透明にするための特殊な帯が緩み、その隙間から下の刃が見えていただけだった。
「驚きましたか? そのナイフに巻き付けてある帯は鏡爪虎の毛皮を加工した物です。ああ、引き抜かないほうが良いですよ。ナイフの先端は返しがついていて、無理に抜こうとすると肉が抉れますよ? 最悪の場合、出血死してしまうかも」
「なるほど道理で痛いわけだ。鏡爪虎って言うと、お前がBランクに昇格するきっかけになった魔物だったらしいな?」
すでにアゼルは脇腹の痛みからか、片膝をついてコーネルを見上げている。突き立てられたナイフに手を添えて痛みに顔を歪めているが、それでもなお強気な態度を取られると、コーネルは呆れが一周回って感心すら覚えた。
「その通りです。鏡爪虎は単独で行動し奇襲を仕掛けて狩りをする魔物です。その奇襲の方法というのが、魔力を流すと鏡のように景色を映し出す自身の毛皮を用いて、周囲の景色に溶け込むというものなのです」
「奇襲、鏡ねえ……なるほど。さしずめこの不可視のナイフは、お前の奥の手ってところか」
コーネルは鷹揚に頷きながら更に話を続ける。ナイフを突き立てたことでコーネルは勝ちを確信していたが、結果を確実なものにするためには少しばかり時間を必要とした。
アゼルにナイフを引き抜かれると非常に都合が悪いため、そして更なる時間稼ぎのために口を開く。
「さて、先ほど答える義理はないと言いましたが、何も知らないままというのも私の信条に反します。ですので教えて差し上げましょう。君が知りたがっていた「夜王の遺物」と我らが「教団」のことを……」
「随分な心変わりだな……ナイフ一本、不意打ちで突き立てた程度で勝ったつもりか?」
「いえいえ、まさか。ただ何も知らずに殺されるのでは、あなたが可哀そうだと考え直しただけです。どうせ私に殺されるのは、既に決まったことですから……」
コーネルは念のため一歩、二歩とアゼルから距離を取り、それを誤魔化すようにコホンと咳ばらいをしつつ芝居がかった手振りでゆったりとした口調で話し始める。
「私が所属する教団は「血追いの徒」と言います。聞いたことはありませんか?」
「聞いたことないな。最近できたカルトか?」
「……失敬な。我らの歴史は一五〇年以上にも渡り存在している由緒ある組織です」
無知を咎めはしないが蒙昧から教団を侮辱するのは気に食わない。
アゼルの小馬鹿にしたような物言いに不満を覚えたがコーネルはぐっと堪える。表立って活動する組織ではないのは事実なのだから、ただの村人であるアゼルが知らないのも無理はない。
「秘密結社ですからね、学のないただの村人が教団を知らないのも無理はないです……ですが、いくら学がないと言えど「血塗れ夜王」の尊名を聞いたことはあるでしょう?」
「血塗れ夜王だって? ……まあ、村のガキでも知っている名前だが、それが何の関係があるんだ?」
「大いに関係がありますとも。何を隠そう、我ら血追いの徒が崇拝している御方こそ血塗れ夜王その人なのです!」
「…………はあ?」




