2話:夜の森 夜のモノ
その夜、俺はラルバさんが通る道路付近の森に来ていた。昼間の話を聴いた感じ、件の野盗はかなりの人数がいそうだと予想し、秘密裏に調査あわよくば処理しようと思ったからだ。
「昼の話では争いの跡はあったが、積み荷はおろか馬車ごと持って言った感じがするんだよな。遺体まで残っていないとなると、それを処理しきるだけの手際の良さ。どういった手法で襲ったかは知らないが、そんだけ多いと村の兵士たちたけじゃあ手を焼くだろう」
野盗たちの戦力がどんなもんかわからないが、仮に襲った商人が傭兵か冒険者を雇っていたとすると、それを始末するだけの能力があると考えたほうが良い。そうなると兵士も無事では済まない。
というわけで俺は武装を整えて、先んじて始末することにしたのだ。
今の装いは頭から踝まですっぽりと覆った赤黒いローブを纏い、手には小さな籠を持っている。このローブは普段は誰にも見つからないようにしまっているが、今回のような戦闘を想定する場面には必ず着るようにしている。
ここから少し進むと山に入ることになる。野党が潜んでいるとしたらこの先だが、山の中をさらうとなると時間も人手もかかるが――
「人間の匂いを探せ。見つけたら戻ってこい」
俺は手に持った籠を地面に下ろし、言葉少なく命令する。一拍の間を置いた後、中からネズミが這い出してきた。一匹や二匹どころではない。三十匹以上もの数が小さな籠から這い出し、そのまま茂みの中へ走っていった。
それらのネズミは村で獲ったもので、どこにでもいる普通の生き物だ。唯一違うのは、ソイツらが赤く濡れていることだけだ。
「いくらあんなにいても、あの体躯にこの森の広さじゃあ時間がかかる。俺も動きつつ、なんか適当に手ごまを増やしていくか」
ネズミたちに続いて歩こうとしたときだった。
ガサリ――
葉っぱが大きく揺れる音が耳に入った。それは次第に大きく近づくにつれ、低い呼吸音を伴ってきた。
「魔物か」
「グオ……」
俺の呟きに反応するように暗闇からのっそりとそいつは現れた。
立ち上がれば十フィートはあるであろう巨体。胴に沿って緑色の筋が入った赤毛の熊。夜行性でありながら、闇に隠れるつもりのない堂々たる佇まい。
隠れ潜むでもなく奇襲するでもない。そのような狡い真似なんぞする必要がないと言うような態度は、強者特有の余裕を感じる。
「夜狩熊。この森の主といったところか」
風属性の魔力を持ったこの魔物は、走れば馬にも匹敵する速さを誇り、それでいて鋭い爪を備えた腕はそこいらの木をへし折れる程に強力だ。
人間含め並みの生物では追われれば逃げられないし、腕を叩きつけられれば骨も内臓もまとめて潰される。
「盗賊の住処を探すにせよ乗り込むにせよ、その前に適当に動物でも狩ろうかと思っていたところだ。量も質も申し分ない。実に丁度いい」
言葉を理解しているはずもないが、夜狩熊はまるで気を悪くしたように唸ると、その巨体に見合わず、狼のような身軽さで飛びかかる。
スピードと体重、腕力のすべてが乗った爪は、まっすぐ俺の頭部に目掛けて振り下ろされる。
生前の俺なら敢えて受けてやったこともあっただろうが、あいにく今は普通の人間。まともに食らえば即死もあり得る。
故に俺はその爪が届くよりも早く固有魔術で迎え撃った。
***
山の麓にある小さな穴。人ひとりが通れるくらいの出入り口と短い通路は、しかし中に入ると何十人も収容できる広い空間が広がっていた。内部には湧き水が溜まった小さな池があるため、飲み水にも困らない。そこに野盗たちは潜んでいた。
洞窟内部はいくつものランタンにより照らされており、そこで野盗たちは酒盛りをしていた。
「――っかぁー、うめえ! ワインなんてひっさしぶりに飲んだぜ!」
「あの商人、田舎に行くってのに相当良いもん積んでたよなあ。こりゃあ、いただかないとむしろ罰が当たるってもんだ!」
「かかか、違いねえ!」
一人につられて他の者も下品に笑い出す。
樽に入れられたワインの他、ここの近くでは採れない珍しい果実に大量の肉、さらには塩や胡椒といった貴重な調味料まであり、それらを囲んで男たちが宴会を洒落こんでいた。
隅のほうには食料ではない、消耗品、服飾類が山と積まれていた。蠟燭や油といった消耗品は自分たちで使うとして、それ以外の服飾類は町の質屋で売ればそれなりに良い値段になる。金が入れば数日の間は町の宿で寝泊まりができるため、野盗たちは上機嫌だ。
「それにしても服まであったのは運が良かったっすね。今まで着ていたものは、今回の銃撃でがっつり血で染まっちまいましたから」
「まったくだ。あんな服で町まで行ったら憲兵にしょっ引かれちまうからな。あやうく出かける前に洗わなきゃいけなくなるところだったぜ」
「いやいや、兄貴たちは洗わないじゃないですか。洗濯はぜーんぶ自分の仕事なんすよ?」
一番下っ端と思われる男が冗談めかして文句を言う。普段であれば睨まれるか怒鳴られるかはするような酒で滑った発言だったが、幸いにも他の男たちも貴重なワインを浴びるほど飲んで上機嫌だった。
「まあまあ、そう言うな。しばらくはそんな面倒なことしなくてもいいんだ。ほれ、お前も飲めや」
「あー、どうもどうも。いやほんと、今回は派手にいきましたからね。最初兄貴が重傷負ったのかと思っちまいましたよ」
ちらりと、下っ端の男がゴミが貯められた方を見やる。そこには生ごみと一緒に血で染まったシャツが何枚もあった。よほど密着したのか、元の生地の色がほとんどないほどに染まったシャツは、何人も手にかけた野盗たちと言えども若干の気持ち悪さを感じるほどだ。
罪悪感などは感じないが、それでも人を殺めたという実感と再認識は感じさせるものだ。
「あーなんか、ガキの頃のこと思い出しましたわ」
「血に濡れたシャツ見て思い出すって、どんなガキだったんだよお前」
「いやいやいや、そんなやべー話じゃなくてですね……ほら、よく聞かされませんでした。『血塗れ夜王』の話」
「なんだよそういうことかよ。やべー奴が仲間にいたのかと思ったぜ」
「お、随分久しぶりにその名前聞いたな。それこそ、このワインの味よりもな」
『血塗れ夜王』――それは二〇〇年前にいたとされる、一つの国を完全に滅ぼした魔王の話。
夜の闇と死者の軍勢を引き連れては、村を襲い、町を攻め、軍を喰らって、やがて王都を崩壊させた、夜の王。
一説には、国を興そうとした吸血鬼。
一説には、死者の国から蘇った復讐者。
一説には、国一つ分の人間の血を捧げ、悪魔より不死の力を授かった狂人。
「懐かしいなあ。オレもガキの時分にやんちゃしたとき、よくお袋から『血塗れ夜王』の話と一緒に言われたもんだ。『言うこと聞かないと、夜の森に放り出しちまうよ』ってな」
「俺も似たようもんだ。『夜遅くまで起きていると、「血塗れ夜王」が仇と間違えて首を刎ねちまうぞー』ってな」
「そう聞くと首無し騎乗者みたいだな。こっちは「紅夜の厄災」って呼ばれてて、その正体は吸血鬼だって聞かされたぜ」
酒の肴に『血塗れ夜王』を絡めた思い出話で洞窟内は盛り上がり始める。
性根が腐った犯罪者と言えど、幼少の話は一様に平凡でありふれたものだった。それこそ今を生きる子どもたちとまったく変わらない。
「そういえば唄もあったよな」
「あったあった――
『暮れ暮れ 暮れ暮れ 血を流すなよ
夜に転べば 夜王が来るよ
暮れ暮れ 暮れ暮れ 叫んじゃだめよ
聞いてる夜王 遠くの丘で
暮れ暮れ 暮れ暮れ 名前を呼ぶな
ひとたび呼べば もう戻れない
暮れ暮れ 暮れ暮れ 開けてはだめよ
ドアの外には 血塗れ夜王』
――懐かしいなあ、昔よく歌ったもんだ」
「結構クセになるんすよねこの唄。俺の親は声を低くして歌ったから、ガキの頃は本気で怖かったすね」
「今じゃ立派な大悪党だがな。ぎゃははは!」
再び笑いが響く。それは悪い子どもを殺しに来ると言われてきた夜王を嘲ったものか、はたまたこんな道を選んだ自分たちを自嘲しものか。野盗たちにもわからなかった。
「おらっ、悪い奴はこうしてやる」
「うわちょっ、やめてくださいよ!」
下っ端の男の首に腕を回して軽く締めると、下っ端の悲鳴と共にまた笑いが広がる。
「うれうれ、夜王が来たぞー? 悪いガキは首を刎ねちまうぞー?」
「いいぞー! やれやれ!」
「ちょ、苦しいですって―」
「ぎゃははは! 夜王だぞー! 夜王が来たぞー!」
酒が回ってきたのか笑いも大きくなったが、そんな楽しい雰囲気を冷やすように不意に強い風が洞窟内に吹き込んだ。
洞窟内に風が吹くのは良い。空気の心配がないから。しかし、その風が生臭いとなると違和感を感じざるを得ない。
「……なんか、いやに臭いませんか?」
「やっぱそう思うか。獣かなんかだと思うが……」
ここは山の中だ。夜行性の猛獣はもちろん、それらとは比べ物にならないほど危険な魔物もいる。
入り口には獣除けの香を焚いたが、何らかの間違いで入ってくるかもしれない。
「おい、ちょっくら調べてこい。ついでに香も追加で焚いとけ」
「うええ……わかりやした」
下っ端の男がしぶしぶ剣とランタンを持って外へ向かう。何もなければそれでよし。ついでに獣除けの香を追加で焚くよう指示したが、匂いが強すぎると獣ではなく人が寄ってくる可能性がある。しかしここまでくる人間なぞいないだろうと考え、先ほどの盛り上がりがやや冷えてしまったことに一抹の不満を抱きながらワインを呷ったとき――
――わああああ!
「どうしたあ!」
下っ端の悲鳴に野盗たちは各々の武器を構え警戒の態勢に入る。
呼びかけに対し返答はない。しかし代わりに返ってきた音があった。
「……口笛?」
それは単調なリズムで、それでいて実に聞きなじみのある曲だった。それもそのはず、その口笛は先ほど仲間の一人が歌っていた『血塗れ夜王』だった。
――ふざけやがって。
誰かが、あるいは皆がそのような感情を抱く。襲ってきた誰かは自分たちの会話を盗み聞きし、あまつさえ『血塗れ夜王』を歌いながら近づいて来ている。
あまりにも悪趣味で、明らかな挑発行為。しかし誰も怒りのままに突撃しないのは、襲ってきた人物を警戒しているためというより――
「誰だ⁉︎ 出てきやがれ!」
仲間の一人が声を荒げる。言い知れぬ気味悪さ、あるいは恐怖に耐え切れなかったのだろう。
やはり返答はなく口笛がどんどんと近付いて来る。やがて通路から現れたのは、フードを目元まで被った、赤いローブの人間。
その姿を確認した野盗たちは、自覚なき恐怖心を安堵へ変え、次いで安堵を怒りに変えた。
「てめえ……何者だ⁉︎」
「お前たちだな。ここらで商人を襲った野盗は」
想像よりも若い男の声。武器を構えて怒りのままに顔を歪める野盗たちに対し、赤ローブは怯えも警戒も、武器を構えることしない。
「困るんだよな、ここらへんでやんちゃすんのは。気になって気になって、おちおち寝ていられん」
「そいつは悪いな。詫びに永眠させてやるよ」
野盗のひとりが矢を射る。矢は赤ローブの胸に吸い込まれ――ガッ、という固いものに当たる音がして停止する。矢はローブを僅かに食い込ませただけで心臓には届かなかった。
「ありがたいね、やりやすくって。ここで降伏とかされたら、かえって困ったよ」
「ちっ、下に鎧でも着てやがんのか? おい! 仲間がいるのかもしれねえが、こっちもこんだけの人数がいるんだ! 少なくともてめえの命はねえと思えよ?」
リーダー格の男の言葉を合図に、剣を持った者が一斉に襲い掛かる。
刃が赤ローブの男を切り刻まんと接近していく。男はその刃に対し避けるでも、防ぐでもなく、ただ立ち尽くしたまま――
「【血織刃】」
その言葉を認識する前に、斬りかかった者たちの視界が回った。