28話:悪夢の到来
騒ぎの方向を探りながら走っている間も、家々の隙間や畑の上を逃げ回っている地穿鹿の姿が見えた。
その周辺では村の男が必死に剣や農具などで近付いてきた地穿鹿を追い払い、女性たちは外に出ていた子どもたちを引っ張り、各々の家の中へ匿っていた。
「どうなってる……地穿鹿が村の中まで入ってくるなんてっ」
普通に追い立てたのであれば森の中へ帰って行くはずだが、パニックになった地穿鹿は逆に村の奥へ奥へと入り込んでいく。
まるで住処である森から離れるように……。
「うわぁー!」
「っ⁉ 危ない!」
幼い悲鳴が耳に飛び込みそちらを向くと、逃げ遅れた子どもが地面に転び、蹲っていた。その背後からは何頭もの地穿鹿が、不規則に跳ねまわりながら迫っている。
疲労か恐怖か、子どもはうまく力が入らないようで、起き上がれずにいた。このままでは群れに飲み込まれ、踏み潰されてしまうだろう。
俺は剣が収まった鞘に魔力を流し、それを子どもに向かって全力で投げ飛ばした。
「つぅっ――【血織刃:断紅障】!」
赤い鞘は子どもの足元に転がると楕円状に広がり、上から子どもを完全に覆った。
突如現れた障害物に、先頭を走っていた地穿鹿の何頭かが躓き転び、その後に続いた個体は飛び越えるか迂回するかして子どもを通り抜けていった。
「大丈夫か?」
「ア、アゼル兄ちゃん……」
【断紅障】を解いて鞘の形に戻すと、子どもが不安げな様子で俺を見上げていた。転んだ際に少し擦りむいたくらいで、大きな怪我はしていないようだ。
焦りのあまり治りきっていない右腕で投げたせいで激痛が走ったが、その甲斐もあって無事守り切ることができたようだ。
「よしよし……まだ走れるな? また地穿鹿に追いかけられるかもしれないから、できるだけ建物の壁を伝うようにして急いで逃げろ――ああだが、物が落ちるかもしれないから、頭上にも気を付けろよ?」
「う、うん。アゼル兄ちゃんは?」
「俺は地穿鹿がどこから来たか確かめる――ほら、行け」
俺は子どもの背中を軽く押し、走り去るのを見届けてから地穿鹿が来た方向へ駆け出す。
そうして辿り着いた場所は村の外縁部で、そこには踏み荒らされた畑と何人もの武装した兵士の姿があった。
対喰血哭のための防壁のつもりだろう。畑から少し離れた位置に大量の土嚢と木の柵、それから魔術によって築かれたらしい土壁が混ざった壁が、村を囲うように横に伸びていた。しかしその高さは人の胸ほどしかなく、あれでは家畜の脱走を防ぐ牧柵にしかならない。
防壁を築くのに向いた土魔術の使い手や資材が不足しているのだろう、あまりにもお粗末な出来だ。喰血哭どころか、地穿鹿程度の魔物の進攻すら阻めないとは。
「ア、アゼル⁉ なんでこんなところに⁉」
その場にいた兵士の一人が俺に気付き、驚いた顔で声を掛けた。彼は詰所や警備の最中で何度も顔を合わせたことがある知り合いの兵士の一人だ。俺は状況を聞き出すために、急いで彼の下へ向かった。
「いったい何があったんですか? あの地穿鹿はどこから?」
「わ、わからない。防壁を作る作業をしている最中に、森の中から鳴き声が聞こえて……そしたら急に群れが押し寄せて来たんだ! すぐに武器を持って追い立てようとしたんだが、あいつらまったくビビらず真っ直ぐに向かってきて……」
人程度の高さならば軽々と飛び越える跳躍力を持つ地穿鹿だ、あの程度の壁では当然阻めないだろう。畑を見渡すと酷く踏み荒らされていたが、作物自体には地穿鹿が齧った痕跡は見当たらない。畑の作物が目的ではないのは明らかだった。
しかし、剣を持った兵士が立ち阻んでもお構いなしとはな……。
「――――グゥヴォォーー!」
「な⁉ また鳴き声が……全員警戒しろ、まだ来るぞ!」
兵士の一人がそう言うと同時に、森の中から地穿鹿の群れが飛び出てきた。
その場にいた兵士が全員剣を構えるが、今出てきた地穿鹿の群れはこれまでのものとは大きく異なっていた。
「お、多すぎじゃないか⁉」
兵士の誰かが僅かに恐怖を滲ませて叫んだが、無理もない。現れた地穿鹿の数は群れ一つ分どころの規模ではなかったからだ。
その数は大雑把に数えても三十頭以上。群れ三つ分は合わさった大群だった。
地穿鹿は高い跳躍力に加えとにかくすばしっこく、普通に武器を振るったのでは当てるのは困難だ。今ここにいる兵力では数頭を仕留めるくらいが限界で、その大部分は村の中に入ってしまうだろう。
いくら人を直接襲わない地穿鹿だとしても、これほどの大群が村の中に入り込んだら、どれだけの被害が出るかわからなかった。
「防壁は役に立たない。人手も足りない。魔術師もこの場に居ないからカバーしきれない……くそ! なんだってこんなことに……」
俺の口から悪態が飛び出た。
地穿鹿は人を襲わない――が、それでも魔物だ。脚力は通常の鹿よりも力強く、地面を掘り返すための角は非常に強靭で、その角で突き上げられたら軽い怪我では済まないだろう。
村にはまだ逃げている人が居る……さっきの子どもみたいに群れに追われたら、今度こそ死人が出るかもしれなかった。
「今、止められるのは……やるしかないのか……」
既に地穿鹿はすぐそこまで来ていた。
目の前の群れを見逃すことができない以上、俺に残された選択肢は無かった。
「っ、おいアゼル⁉ 前に出るな、危ないぞ!」
俺は兵士たちよりも前に出て、ひとり地穿鹿の前に立ち向かう。近くにいた知り合いから制止の声と手が伸びるが、俺はそれらを振り切るように鞘を前に突き出し魔力を流す。
――【武具製造】で造れる武具はすべて鈍。刃の切れ味は悪く、盾は脆い。
俺はそう言って皆を偽っていた。そう言えば、人前で固有魔術を見せる機会が減るだろうと思ったからだ。
戦うための手段として【血濡魔術】を使用する以上、どうしても刃の形を取らざるを得ない。それ故に「武器を造る魔術」と偽りの名を付けたのだが、武器を無限に作れると思われてしまうと、それを利用しようと考える者はどうしたって出てしまう。
だからこそ使い物にならないのだという印象を与え、本当のことが露見しないように気を付けて生きてきた。
これから見せるのはその偽りを明かす行為であり、ともすれば彼らからの信用を捨て去る行為でもあった。
「【血織刃】――」
一瞬魔術の使用を躊躇ったが、俺は覚悟を決めて柄から手を放す。
地面に落ちた血濡れの鞘が、俺の意思に呼応して長く長く伸びる。伸びる速度は瞬きほど短く、その長さは二十メートルにも届く。
俺は鋭く息を吐き最後の覚悟を決めると、【血濡魔術】を開放した。
「――【赫槍陣璧】」
長く伸びた鞘から高さ三メートルにも届く巨大な盾と無数の槍が生え、瞬時に何十人もの兵士が並んだかのような防壁ができあがる。
突如現れた壁に兵士の皆が驚きの声を漏らしている間、壁の向こうでは先頭を走っていた地穿鹿が止まり切れず激しく衝突し、前方に突き出された槍に貫かれ死亡していく。
壁に驚いて反射的に飛び越えようとした個体もいたが、柵や人を飛び越えるだけの跳躍力を誇る地穿鹿であっても盾を超えることはできず、空中で盾に衝突し地面に落ちることになった。
前方に地穿鹿の死体が積みあがったことにより、後続はそれらを迂回しようと大きく動く。
最初の衝突で十体近くが減ったが、それでもまだ多くが残っている。すぐに【赫槍陣璧】を解除し、別の形状に変化させた。
「【血織刃:鎌首】」
無数の槍と盾が大鎌の形を取ると、鞘から分離しそれぞれが意志を持ったように宙を舞う。【血濡魔術】の力で自壊を促し、「血に濡れた一本の鞘」から「無数の血に濡れた木片」となったそれらをまとめて操り、方々へ散ろうとする地穿鹿を牽制し、抑え込み、斬り刻む。その切れ味は見せかけのために購入した剣よりも鋭く、着実に地穿鹿たちを仕留めていった。
無数の大鎌の内の一本を握り、俺自身も群れの中へと突っ込んだ。
身体を中心に円を描くように鎌を振ると、数頭の地穿鹿の首が同時に落ちる。
柄を長く持ち地面に沿って大きく横に薙ぐと、脚を断たれた地穿鹿がまとめて地面を転がる。
俺という驚異を認識した個体が仲間への警告のため声を上げるが、その鳴き声が響き渡る前に地穿鹿の喉笛ごと首を刎ねる。
元はただの木製の鞘ではあるが、今振るっているこれらは正真正銘の魔術である。
【血濡魔術】により物質として常在する魔術となった大鎌は魔力による干渉により、時に刃が増え、時に伸び、時に手から離れ浮遊する。
時折【鎌首】を振るうたびに癒えていない右腕が痛んだが、そんなもの気にもならなかった。
「す、すげえ……あいつ、あんなことができたのか……」
背後にいる兵士が呆然と呟く。
彼らにとってアゼルという少年は、人を寄せつかせず、どこか冷たい印象を持つ人物であった。固有魔術についても積極的に見せようとはせず、ただ漠然と剣や矢を生み出せることができる能力という認識でしかなかった。
だからこそ目の前で見たこともないような巨大な盾による防壁を生み出して、大鎌を軽々と振るうアゼルに彼らは大きく驚く。
同時に普段とは異なり感情を露わにして必死に戦うアゼルの姿に、兵士たちは己の胸に熱いものがこみ上がってくるのを感じた。
「よし、お前ら行くぞ! 地穿鹿を止めるんだ!」
「おう!」
触発された兵士たちもアゼルに続いて武器を振るう。宙に舞う【鎌首】により地穿鹿は思うように動くことがでず、兵士たちでも十分に攻撃を当てることができるようになっていた。
そうして着実に一頭、また一頭と数を減らしていき、三十頭いた地穿鹿は片手で数えるほどしかいなくなる。
「こいつでっ、最後!」
俺は【鎌首】を振り抜き最後尾にいた、最後の地穿鹿を切り裂いた。
途中から兵士が殲滅に参加してくれたおかげで、一頭も逃すことなく対処することができた。兵士の間にも安堵と喜びの声が漏れる。
「しかし、地穿鹿がこれほどの群れを作って村に入り込もうとするなんてな……」
「今までこんなことあったか?」
ひとりの兵士が熟練の老兵に尋ねる。その老兵は長年村の警備をしているため、昔のことをよく知っていた。そんな彼がその質問に対し首を振った。
「ない。これほど大きな地穿鹿の群れも、地穿鹿が村の中に逃げ込んだこともな……」
森の中ですらここまでの規模の群れは見たことがなかった。
地穿鹿は賢い魔物だ。人間の畑を漁る方が効率的かつ確実に食事ができることを理解していると同時に、人間に近づきすぎると殺されることを知っている。
だから逃げるにしても人間が大勢いる村の中には決して入りこまず、自分たちのテリトリーである森の中へ引き返していくのだが……。
「――ん? こいつ、何かついているぞ?」
片付けのために地穿鹿の死体を回収作業していた兵士の一人が、そんなことを言ったのが耳に入った。
そちらを見ると、確かに地穿鹿の角に小袋が引っかかっていた。
見つけた兵士がそれを回収し、小袋の口を開けて中身を確認する。
「なんだこれ、赤い石?」
「ルビーか何かか?」
袋から転がり出たそれを見て、近くにいた兵士がそのように推測を立てた。
だが俺は、その怪しい輝きを放つ石を認識した瞬間、言葉に出ないほどの恐怖に襲われた。
「な、んで――」
少し離れて見づらいが、その形状と魔力を俺が見紛うはずがない。しかしそれは、この場に有っていいはずがない物だった。
「なんでそれが、ここにあるんだよっ⁉」
俺の叫びを搔き消すように、森の奥から悍ましい咆哮と共に地響きが迫る。
地穿鹿と共に現れたその石は、喰血哭を拘束するために用いた【飢魔招香】が付与された血晶だった。
***
遠く――しかし村の様子をしっかりと視認できる位置に、ひとりの男が立っている。
「ふ、ふふふっ。さあ見せてください喰血哭! 血の贄を! 殺戮の夜を! 無垢なる魂と血の海を、天上の彼の御方に捧げるのです!」
その男――コーネルは、これから起こる惨劇を想像し、恍惚に顔を歪ませる。普段の彼を知る者が見たら別人かと思うほどに、その笑みは邪悪に塗れていた。
「あの檻を解けなかったときはどうしたものかと頭を悩ませましたが、あの宝石を取り出せたことは僥倖でした……」
コーネルは喰血哭を村まで招き寄せるために、小動物や魔物の死体を等間隔に設置していた。血に惹かれる喰血哭ならばそれで誘導できると踏んでいたが、しかし予想に反して喰血哭の意識を外に向けさせることができなかったのだ。
「おそらくあの宝石は、彼の「月血聖帝」が喰血哭を制御するために作り出した物だったのでしょう。その気配を察知したから喰血哭は彼を、そしてこの村の近くで彷徨っていた……なぜそれをあの小僧が持っていたかは知りませんが、その性質に気付くのが遅れていたら、危うく宝石を回収した私まで襲われてしまうところでした」
宝石を檻から取り出した瞬間、上に向かって飛び跳ねていた喰血哭はコーネルを狙い始め、数十秒と持たずに檻を破ってしまったのだ。
入念に準備した誘導の餌にも見向きもせず、コーネルは追われることとなった。
必死に逃げ回っていたところで偶然地穿鹿を見つけ、コーネルは魔術を用いて宝石を飛ばし、地穿鹿の角に引っ掛けることができた。
地穿鹿の脚力ならば追いつかれないだろうというコーネルの予想は当たり、それどころか地穿鹿は他の群れを巻き込んでみるみる喰血哭との距離を離していった。
後はうまい具合に魔術で逃げる方向を魔術で地穿鹿をコントロールして、喰血哭を村へと誘導することに成功した。
――ゲルルゥゥ……アァァアアァァァッ‼
喰血哭の咆哮がこの地に轟く。アゼルがおかしな魔術を使って地穿鹿を殲滅していたのは少し気になったが、それ以上に彼らがこれから訪れる悪夢にどう立ち向かい、そして散っていくのかが楽しみであった。
「さあ我が主よ――偉大なる「血塗れ夜王」よ、どうか御照覧あれ! 我が身に、命の祝福を! かの村に、死の福音を!」
今宵は満月。
彼が所属する教団――「血追いの徒」にとって奇しくもこの日は、血と殺戮を捧げるのに最も適した夜であった。




