27話:つかの間の温もり
エルミナさんの治療により動けるようになった俺は、フィリアの付き添いのもと館を出た。ひとりで良いと言ったのだが、フィリアは頑として送ると主張した。
「腕も完治してないのに、道中で転んだりしたら危ないでしょ!」
そう言う彼女の気迫は凄まじく、俺としても心配をかけた手前断り難かったため同行を受け入れた。
帰る前に領主様に治療などのお礼を言おうと思ったのだが、現在は喰血哭の対策で忙しいようで、失礼かと思いつつも近くの使用人に伝言を頼んで館を出た。
「そんなに急いで帰らなくても、もう一日くらい泊ればよかったのに……」
「確かに無理はできないが、これくらいなら身の回りのことは自分でできる。領主様はこれからもっと忙しくなるだろうし、いつまでも世話になるわけにはいかないだろ? 俺も避難の準備をしておかなくちゃいけないしな」
動けるようになった以上、いつまでも居座るのもよくない。
それに俺の方でも、対喰血哭に備えて入念な準備をする必要がある。あの夜に少なくない血を消費してしまったため、最低でもその損失は補わなければならない。
「あ、そういえば……俺が倒れたこと実家にはもう伝えちまったか?」
「ええ……昨日伝えたわ。すごく心配していらっしてた」
「そうか……心配かけないようにと思って、敢えて森へ行くことを伝えてなかったが、まあこうなっちゃあ仕方がないな。悪いが一回実家に寄らせてもらうぞ?」
フィリアに確認をとってから、俺たちは実家のある方へ向かう。実家の扉を叩き外から呼びかけると、中から凄い物音が聞こえたあと玄関の扉が勢いよく開く。
「アゼル⁉ ――ああ、アゼル!」
「うおっと……心配かけて悪い、母さん」
母さんは俺の姿を確認すると涙ぐみながら、俺を強く抱きしめる。俺は申し訳ない気持ちになりながら、宥めるように母さんの背を優しく撫でた。
「ああ、良かったぁ……昨日フィリア様から、あなたが酷い怪我をして目を覚まさないと聴いて、もう心配で心配で……」
母さんの後ろから父さんと兄のダリオンも現れて、同様に俺の身体を案じ無事を喜んでくれた。ついでに俺が黙って南の森へ行ったことについても怒られた。
こうなるとわかっていたから依頼を内緒にしていたんだが、まあ俺が喰血哭に不覚を取ったせいだと諦めよう。
「……改めて、今回は御子息を危険な目に合わせてしまい、申し訳ありません。すべては我が家の見通しの甘さが招いたことでした」
すると突然、母さんたちに対しフィリアが深く頭を下げた。
「お、おいおい⁉ 何もお前が謝ることじゃないだろ……」
粛々とした彼女の姿に慌てる俺に対し、母さんは声を荒げるでもなく優しくフィリアの手を握って頭を上げさせる。
「フィリア様、どうか謝らないでください。アゼルもこうして生きておりますし、そこまで気に病まないでください」
「ですが……」
「いいのです。アゼルも気にしていないようですし、私たちもフィリア様や領主様を恨んではおりません。それに……自らこの家に来て涙ながらに謝罪するあなたを、いったい誰が責められるでしょうか」
「あん? フィリアが直接出向いて伝えたのか?」
普通こういった悲報、訃報などは兵士が行うもので、子爵令嬢がやるもんではないだろうに。彼女らしいと言えば彼女らしいが、いらぬ心労を背負わせてしまったな。
「な、なによ……」
「いや……心配かけて悪かったな。こうして生きているとはいえ、俺のことを母さんたちに伝えるのはきつかっただろう?」
死んではいないとはいえ、親族に不幸を知らせるのは気の滅入る仕事だ。
俺も訃報を届けた経験があるからわかるが、親族たちから呪詛に似た罵倒を浴びせられるのは、時に戦場に身を置くことよりも苦しいものだ。死んだ相手が親しい間柄だったらなおさらな……。
昨日どんなやり取りがあったかはわからないが、母さんたちがフィリアを責めるようなことがなかったようで安心だ。
「そうだぞアゼル。まったく、こんなに心配させるなんてなっ!」
「いでっ⁉」
不意打ちでダリオンに背中を叩かれ思わず呻いてしまった。その兄弟のやり取りに軽い笑いが起き、この場の雰囲気が柔らかくなる。
それからしばらく話した後、俺は家族と別れ自宅へと帰ることにした。
自宅に着く頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。こんな時間までフィリアに付き添って貰うつもりはなかったのだが……彼女をひとりで帰らせて大丈夫だろうか?
「なあに? 怪我人のくせに私の心配?」
「そりゃあまぁ、今はこんな状況だしな……」
「大丈夫よ、いつもひとりで帰っているもの。少し暗くなったくらいで道に迷うようなことはないわ」
それもそうか。普段から護衛や使用人を付けずに、ひとりで村に降りてきているのだから今更な話だったな。
こんな暗い時間までフィリアが村にいたことは少ない(たまにある)から少し心配し過ぎたみたいだ。俺も母さんのことを笑えないな。
などと内心で自嘲しながらフィリアに別れを告げる。
「……ねえアゼル、森で何かあった?」
玄関のドアノブに手を掛けたところで、背後からフィリアの声が投げかけられる。後ろを振り向いてフィリアの顔を見ると、夕焼けに照らされた彼女の表情はどこか不安そうだった。
「うん? そりゃあ、御覧の通り?」
喰血哭が居たわけだし、そもそも何もなければこんな大怪我してないし……。
「ああごめん、そういう意味じゃなくて……もちろん、大怪我したのは大変なことだけど……なんというか、今のアゼルはなんだか、遠くへ行っちゃいそうな雰囲気があったから……喰血哭と戦って何かあったのかと思って」
「む……」
フィリアの言葉は抽象的だが、俺に心当たりがないわけではなかった。
確かに喰血哭と出会ってから俺は、幾度も前世での記憶が頭を過ぎっていた。それほどまでにヤツの存在は強烈で、まるで血の呪いが遥か過去から俺のことを追いかけているように感じたのだ。
「どうせ何か隠しているんでしょ? 何か思い悩んでいるなら、その、教えてくれない?」
「隠し事なんて……俺は別に――」
「ない、なんて言わせないわよ」
フィリアは琥珀色の瞳で俺をまっすぐに見据える。その目には確固たる確信を持っていることが見て取れて、俺は思わず口を噤んでしまった。
「あなたが本心を明かさない人だっていうのは、昔からわかってるつもり。でもさ……ひとりで思い詰めてないで、たまには友だちを頼ってよ。私も力になるからさ」
こちらを気遣いながらも、まっすぐに言葉を投げかける彼女に、俺はただ誤魔化すようにこめかみを掻くしかなかった。
快活な性格で素直に他人の言うことを聞かない性質の彼女だが、同時に人の心の機微に聡く、常にその内側へ踏み込み過ぎないよう配慮もしている。そんな彼女がここまで言ってくるのは珍しい。
いつもの俺であれば適当に誤魔化してこの場を離れるのだが、彼女の心配そうな顔を見ていると、ふと本当にそれでいいのかという思いが沸き、自然と声が零れた。
「フィリア、俺は……」
俺を見つめるその顔が、記憶の中にある誰かの面影と重なって見えた。その面影が誰のものかを思い出すより先に、その感覚は霞となって消え去り再び引き出すことはできなくってしまった。ただ一瞬見えたその影は、なんとなく懐かしさを覚えた。
その面影のせいか、この幼馴染に俺の秘密を――【血濡魔術】を明かしてしまおうかという考えが頭を過ぎった。
魔術が好きで、いつまでも俺の固有魔術に興味を持つ彼女であれば、話しでもいいのではないだろうか。
そんな考えが浮かび上がり、しかしすぐにそれを消し去った。
何を馬鹿なことを考えているんだか……俺の魔術は他の命を利用した悍ましい魔術だ。こんな力を彼女が受け入れてくれるわけがない。
だから俺はいつも通りの調子で、いつも通りに答える。
「考えすぎだ、フィリア。俺に悩みなんてもの――――待て、これは何だ?」
俺の言葉に被せるように、遠くから何かの音が聞こえてきた。フィリアも気付いたのか、首を回して周囲を確認する。
よく耳を澄ませると、それは俺や村の人にとっても聞き馴染みのある生き物の鳴き声だった。
「これ、地穿鹿の鳴き声じゃない?」
フィリアの言う通り、これは地穿鹿が仲間に送る警戒の鳴き声だ。
近くの畑で作物を漁っていたところを、誰かが追い立てたのだろうと思ったが、それにしては鳴く回数が多い。
そして再び鳴き声が聞こえると同時に、風に乗って村の人の悲鳴と困惑の声が俺の耳に入る。
「フィリア、急いで館に戻ってバルドルさんたちを呼んで来い」
「え――待って、アゼル!」
嫌な予感を覚えた俺はフィリアの制止を振り切り、剣を携えたまま声が聞こえた方向――村の南へと駆けていく。
本人は自覚していませんが、一度受け入れた人に対してはかなり優しくなります。まあ、その受け入れるまでのハードルが高いんですけどね。
だからフィリアは家族に並んで――ともすれば、家族以上の信頼を持っているかもしれませんね。




