23話:危機と想定外の裏切り
「ゲルルゥゥッ‼」
「――っぐう!」
喰血哭の振り下ろされた剛腕がぶつかる寸前、俺はとっさに展開した【断紅障】によって何とか直撃を防ぐことができた。
しかし、地面に固定したわけでもなく、足以外に大した支えもない状態では、その凄まじい衝撃に耐えきることはできず、盾ごと後方へ吹き飛ばされ木に叩きつけられることとなった。
「アゼルっ!」
リアナの悲鳴がやけに遠く聞こえる。
直撃は避けたが、盾を支えていた腕は折れ、肋骨も一本か二本は折れていた。木に叩きつけられた衝撃で背骨にも罅が入ったようだし、内臓も傷ついたのか咳き込むと激痛と共にわずかな血が吐き出された。
木と衝突する寸前に【断紅障】と身体に仕込んだ血染布を後ろに回しておかなければ、完全に背骨が折れていたかもしれなかったな、これは。
視界の端でこちらに駆け寄るリアナの姿が見えるが、焦った様子の彼女とは反対に俺の心は驚くほどに凪いでいた。それは絶望からではなく安堵によるもの。
喰血哭は俺の命令に従わなかった。つまりヤツは俺が手ずから生み出した存在ではなく、少なくとも前世の俺が下した「殺戮の指令」に準じた殺戮人形ではないことが判明した。
「げほっ……ごほっ……良かったよ。お前が【血骸操】じゃなくて……」
過去の俺の置き土産が村を脅かしていたんじゃないかと心底不安だったが、とりあえず俺の中に沸いた罪悪感は鎮まった。
ただ一つ想定外だったのは、思った以上にダメージを負ってしまったということだ。脚が無事であることだけが救いだな。
***
「くそっ――エマ、俺たちであいつの注意を引き付けるぞ!」
「わかったわ――【風裂刃】!」
エマが放つ風の刃が喰血哭に叩きつけられるが、身体の表面に浅い三つの線が引かれただけで、その傷もすぐに血液が入り込んで修復されてしまう。
「アゼルしっかりして!」
リアナが駆け寄りアゼルの腕を自分の肩に回して、急いで立ち上がらせる。そうしている間にも喰血哭はカイルとエマの攻撃を無視して、執拗にアゼルへと迫る。
「な、なんでコイツ、アゼルを狙うんだ⁉」
「私の魔術も武器も効かない! コーネルさん、魔術を!」
エマは悲鳴にも似た叫びをコーネルに向けた。
「ふむ……【水弾砲撃】」
コーネルがロングスタッフを向けると水の砲弾が無数に生み出され、喰血哭へと殺到する。
「――ゲルルアァァアアァァァッ⁉」
「な……」
【水弾砲撃】が脚の付け根に命中し弾けると、喰血哭は明確に苦悶の声を上げた。
見ると、魔術が当たった場所が大きく抉れ、骨のような白い芯がむき出しになっていた。
「効いている! このまま魔術で引き付けてください!」
「リアナ! アゼルを安全な場所へ運べ!」
「わかった! 死なないでよ!」
それまで頑としてアゼルを狙っていた喰血哭が、初めてアゼル以外の人間に眼孔を向けた。
コーネルによって抉られた傷はすぐに血が流れ込み、跡形もなく修復された。だが確かに効果はあったのか、喰血哭は敵意を込めた唸り声を上げてコーネルたちに襲い掛かった。
「来るぞ! 何とか俺たちで攻撃を引き付ける。その間にコーネルさんは魔術を!」
「くっ【水弾砲撃】!」
再び魔術が喰血哭の頭部に放たれるが、喰血哭は前進する脚を止め、その場から大きく飛びのいた。
喰血哭が初めて見せた、明確な回避行動だった。【水弾砲撃】は鼻先を掠めるだけに留めたが、それでも不快に感じたのか喰血哭の動きはさらに予想外の変化を始める。
「ゲルルゥゥ……」
低い唸りと共に喰血哭の体表がゴボゴボと波打ち膨れ上がり、やがて蛹が殻を破るが如く、一対の巨大な腕が血の皮膚を突き破り背中に生えてくる。
手は人間のそれと同じ形をしているが、指先には鋭く長い爪が伸びており、手の平には不揃いな牙のような棘が無数に生えている。
「――散れっ!」
カイルの鋭い指示と共に三人がそれぞれの方向へ跳ぶと、次の瞬間には生えた腕が三人の固まっていた場所に叩きつけられ、轟音と共に砕けた地面と、喰血哭の体表の血液が飛び散る。
横に跳んだカイル目掛けてもう一方の腕が地面を擦りながら横薙ぎに振るわれる。
「【石膚】!」
避けられないと判断したカイルは剣を盾にして、自分の身体と武器に魔術をかけ攻撃に備える。
土属性魔術は重量や質量を用いた攻撃と防御に秀でた魔術だ。【石膚】もその特性に漏れず自身が受けるダメージを軽減する効果がある。
剣士として前衛を務めるカイルにとって魔術は得手ではないが、それでもこの魔術は何度もカイルの身を助けた。長年使い続けたカイルの腕前ならばCランクの魔物の攻撃にも耐えきれる程だが、しかし今回ばかりは相手が悪すぎた。
「――う、ぐぅぅっ⁉」
ただ無造作に振るわれた腕の薙ぎ払い。しかし直撃を食らったカイルは、苦悶の声と共に吹き飛ばされ、地面に転がされることとなった。
幸い強化魔術の効果はあったのか素早く起き上がることができたが、腕や肩には無数の穴が開き血が流れていた。
「カイルっ!」
「大丈夫だ! だが武器が……」
盾にしたバスタードソードは半ばから折られ、これ以上の武器としての役目を果たせなくなった。かと言って盾にしなければカイルの怪我はこの程度では済まなかっただろうし、受けた感覚から考えると【石膚】で強化していなければ、アゼルよりも酷い怪我を負っていた可能性すらあった。
そんな喰血哭だが、すぐにカイルに追撃を仕掛けるでもなく、鼻先――鼻はないため正確には頭部の先端――を軽く上下させて何かを嗅ぐ様子を見せた。
今度は何をするのかと警戒するが、しばらくそうした後、何事もなかったかのように再びカイルに向かって突撃し始める。
「まずい――【風裂刃】!」
エマが注意を引こうと魔術を連発し喰血哭の顔に無数の傷をつけたが、喰血哭は意に介さず執拗にカイルを狙う。
「な、なんでよ⁉」
エマの驚愕の声を聞きながらカイルは怪我を負った腕を庇いながら逃げ回る。しかし不思議なことに、先ほど感じた敵意は鳴りを潜め、攻撃の手も単調なものになっていた。さらに観察をすると、攻撃は頭部による噛みつきや四つの腕部による掴み、叩きつけの攻撃ばかりだ。
横からエマがスピアや魔術で攻撃を仕掛けるが、そちらにはほとんど反応せずカイルばかりを狙い続ける。
その執念深い姿は、アゼルを追いかけていた時と酷似していた。
逃げ続けているうちにカイルは喰血哭の伝説を思い出す。
喰血哭は戦場に現れては死体の血を啜り各地を渡り歩く魔物だ。そして今のカイルは喰血哭の攻撃により血を流している。先ほどの何かを嗅ぎ取るような動作をふまえると、喰血哭が執拗に追いかける理由に見当がつく。
「今の俺は餌ってことかよ!」
カイルのすぐ横で轟音と共に巨大な手が叩きつけられる。慌てて逃げる方向を切り替えると、背中の腕から生えた爪が背中を掠めた。
「くそっ、こっち向きなさい!」
エマが懸命に魔術を放つが、変わらず喰血哭の意識をカイルから引き離すことができない。無理にでも正面に立ち塞がろうとするが、文字通り手数が増えたことで容易に接近することもできない。
動きは大振りであるため予測と回避は難しくないが、いかんせん範囲が大きい。大きく動くことを強いられているため、逃げ回っていたカイルの体力にも限界が来ていた。
「コーネルさん、魔術を――――コーネルさん?」
エマがコーネルに援護を要請したが、振り向いた先に有ったのは暗い木々と夜の闇だけだった。再度呼びかけるが、そこにいるはずの男の姿はどこにもない。
エマの脳裏に「まさか……」という考えが浮かんだが、自分たちよりも強いコーネルが――Bランクの冒険者がそんなことをするはずがないと、その考えを否定する。
「コーネルさん! コーネルさん‼ ――コーネル‼」
諦めず何度も呼びかけるエマの叫びは、次第に怒気の孕んだものへと変化する。しかしコーネル現れず、彼女の叫びは喰血哭が出す轟音と夜の闇の中に消えていった。
「くそぉっ!」
こうなるともはや認めるしかない。コーネルは自分たちを見捨てて逃げたのだと。
カイルは武器を失い、体力的にも限界が来ている。エマとリアナの攻撃は通らない。アゼルは意識はあるものの重体で、一刻も早く治療を施さなければ命に関わる。
コーネルの魔術だけが喰血哭にダメージを与えられる唯一の武器だったのだ。
「このままでは全員が生きて帰るのは無理か……」
カイルは考える。このまま戦っていても勝てる見込みは皆無であり、全員が殺されることは必至だった。だが誰かを囮にすれば全滅は免れるのではないか。
現状喰血哭が狙っているのは自分とアゼルの二名。アゼルは森から出られるかは不安がある。対して自分は片腕を負傷しただけで逃げることは容易だ。
「……仕方ない、か」
少し悩みながらカイルは決断した。
「エマ――――アゼルを連れて逃げろ」
「な、なにを言ってるの⁉ 死ぬわよ⁉」
「わかっている。だがこのまま戦っても全滅だ! そうなれば誰がコイツの情報を持ち帰る?」
「でも――」
「俺たちの仕事を忘れるな。一刻も早く喰血哭の存在をロスウェル子爵に報告して討伐隊を派遣しなければ、次は村を襲うぞ! エマ、冒険者としてやるべきことをやれ!」
そう言われエマは苦しそうに黙り込む。ここでカイルの言う通りにすれば、確実に彼は死ぬことになる。しかしこのまま戦ったところで、注意すら引けないエマではこの魔物を倒すことは不可能。
村の人もロスウェル子爵も、まだ喰血哭がいることを知らない。自分たちが知らせなければ、抵抗する術もなく村は滅ぶことになる。そして何より、リアナひとりで重体のアゼルを抱えて森を抜けるのは時間がかかる。
――エマにとれる選択肢は一つしかなかった。
「カイル……ごめん」
「気にするな。冒険者として活動する以上、いつかはこうなると思っていた」
冒険者は魔物という脅威と最も接触する職業であり、その危険度と過酷さは国に仕える兵士以上だ。命を張る覚悟はカイルもエマもとっくの昔にできていた。
互いに視線を交わし別れを告げる。エマはアゼルを抱えるリアナの下へ。カイルは喰血哭の攻撃を躱しながら、森の奥深くへと誘導する。
相手は伝説の魔物にしてAランクの災厄。Cランクであるカイルが生き残ることは限りなく低い。
互いにこれが最後であると確信し、それでも冒険者として多くの人を救わんとそれぞれが命を賭して動く。
そんな彼らの覚悟を撃ち砕くかのように、一筋の赤い光が喰血哭の頭上に飛来する。
そして、彼らの死の運命は覆されることとなった。
やっと動いたよコイツ……。
彼にとって喰血哭との接触は、想定外中の想定外。ですが同時に、これ以上ない絶好の機会だったのです。




