第二話 それぞれの思惑
尾張・末森城――。
末森城は、東山丘陵地の末端に位置する標高一寸四分二厘(四十三メートル)の丘に、東西約五寸九分四厘(百八十メートル)、南北約五寸九分四厘(百五十メートル)の規模で東山丘陵の末端に織田信秀が築城した平山城である。
信秀は現在、この末森城に居城している。
「止まれ! 何者だ!?」
前方から駆けて来る馬に、門番が声を荒らげた。
「ふんっ。この柴田勝家の顔を知らぬとは、うぬら新参者だな?」
「し、柴田勝家さま!? と、とんだご無礼を……!」
真っ青になる門番は槍を引っ込め、低頭した。
「殿にお目通り致す! 門を開けよ!!」
勝家はそう叫ぶと、開かれた門内へ駒を一気に進めた。
暫くして――。
「勝家、相変わらず派手な登城じゃ」
壁の織田木瓜紋を背に、その人物は脇息に寄りかかって勝家を笑った。
現・末森城主であり、尾張の虎と言われる織田弾正忠家当主・織田信秀である。
「殿、那古野城での噂、お耳に届いておりましょうや」
「あの馬鹿息子、また城を抜け出したそうだな?」
さすがは信長の父、那古野城を譲ったとはいえ、噂は届いているようだ。
「笑うている場合ではありませぬぞ。家中が揺れ動いておりまする」
勝家の諫言に、信秀は表情を引き締めた。
「アレのことは、政秀に任せている」
「ですが万が一のことがあれば、平手どのの腹一つではすみませぬ」
「わしにどうせよと?」
睥睨する信秀に、勝家は視線を逸した。まさか己の口から、弾正忠家・家督相続をどうのとは言えない。
「それは……」
「ところで勝家、信友さままが信長のことを気にされておられてな。わしに意見してきた」
「意見……にございますか?」
信秀は苦笑したが、その目は笑っていなかった。こちらの肚を探っているのか、鋭い眼光は猛将と言われる勝家でさえ恐れさせた。
信友こと織田信友は、尾張守護代・織田大和家当主である。弾正忠家の本家ではあるが、格は主君である大和家が上、従うのが道理である。
なれど弾正忠家の今後について口を挟んできたことが、信秀の疑念を誘ったようだ。
結局信秀の真意を掴めぬままに、勝家は広間を辞した。
そんな勝家を、呼び止めた女人がいる。
藤色の打ち掛けを梔子色の小袖に羽織り、背の中ほどで括った黒髪をその上に流している。信秀の側室にして、信長の生母・土田御前である。
「――お方さま」
「その顔では、殿の真意、聞けなかったようですね? 勝家どの」
「大和家の介入が災いしたようにございます」
「あちらとしても、信長が弾正忠家を継ぐと困るのでしょう。いずれ衝突するのは必定。ですが、それは我々にとっても困ること。おわかりですね?」
「ごたごだが生じている間に、駿河の今川、甲斐の武田、三河の松平がこの尾張に攻め入って来る」
「そうです。殿とて、十分に承知していることでしょう。この混乱を静かに鎮めるには、誰が相応しいかを」
「ご子息――、信行さま」
土田御前は「是」とも「否」とも言わない。だが、その口ぶりから信行に後を継がせたいと思っているだろう。
彼女にとって信長も腹を痛めて産んだ我が子だが、すぐに引き離され、信長は乳母が育てた。対し信行は土田御前自ら育て、その性格は温厚で真面目。織田弾正忠家のことを考えれば母としての思いより、弾正忠家の人間として今後のことが心配なのは当然だろう。
更に、尾張国内の状況である。
きっかけは、応仁の乱である。
尾張の守護大名は斯波氏は足利一門であり、細川氏や畠山氏とともに管領に就くことができる「三管領」の家柄で、尾張だけでなく、越前・遠江の守護を兼ねていたらしい。
越前を本国としていた斯波氏は、尾張に守護代として織田教広を派遣した。以来、織田氏は尾張守護代として発展していくことになる。
応仁の乱で守護の斯波氏は、西軍に属した守護の斯波義廉と、東軍に属した一族の斯波義敏に分かれて争うことになったという。結局、斯波義敏の系統が守護を相承することになったらしい。ただし本国の越前は朝倉氏に奪われ、遠江も駿河の今川氏に侵略されたため、尾張へと下向したという。
応仁の乱では、守護代の織田氏も東西に分かれており、斯波義廉を奉じる守護代の織田敏広と、斯波義敏を奉じる織田敏定が争っていたという。この対立は乱後も続き、やがて尾張八郡のうち、織田敏広の系統が上四郡すなわち丹羽郡・葉栗郡・春日井郡・中島郡を管轄する守護代、織田敏定の系統が下四郡すなわち海東郡・海西郡・愛知郡・知多郡を統括する守護代として君臨するようになった。
つまり、尾張では上四郡守護代と下四郡守護代という二人の守護代が並立するようになったわけである。上四郡守護代となった織田敏広の系統を、代々受領名を伊勢守と称したことから伊勢守系織田氏と呼び、下四郡守護代となった織田敏定の系統を、代々大和守と称したことから大和守系織田氏と呼ぶ。
もともと織田氏の宗家は伊勢守家のほうであったが、やがて、守護を奉じる大和守家の勢威が拡大したらしい。
だが、大和家が弾正忠家の跡目相続に干渉してくるということは、他に思惑があってことなのか。
織田弾正忠家は守護代ではない。勢力が大和家より大きくなっていることは確かだが、いくら下剋上の世とはいえ、信秀も大和家と事を構えようとは思ってはいないだろう。
ただ、この状況下で今川や武田勢を迎え撃つとなると、冷静に戦えるか些か疑問である。
弾正忠家では家臣までも、信長を推す派と信行を押す派に意見が割れ、実際勝家は信行を推していた。
ふいに、土田御前が口許を緩めた。
「殿は美濃と和睦さなるおつもりのようです」
「先般の敗戦が響いたのでございましょうか?」
「さぁ。ですが、美濃の斎藤道三は蝮といわれているとか。もしかすれば、蝮の毒が功を奏するかも知れません」
妖しく笑う彼女に、勝家は眉を顰めるが真意はわからなかった。
◆◆◆
この日――、空は快晴であった。
そんな空の下を二騎の馬が駆けていた。
「信長さまっ、いったい今日はどちらへ!?」
後ろから追ってくる恒興に、信長は行き場所を告げていなかった。
「いいから黙ってついてこい! 勝三郎」
彼はこの日も那古野城を抜け出し、片肌脱ぎにした小袖に腰に瓢箪、緋色の組み紐で髪を高く括っているという目立つ成りである。
馬は尾張を離れ、摂津国に入った。
やがて視界に広がる青い光景に、恒興が絶句した。
眼の前には大海原、信長も初めて海を見たときは絶句したのだから無理はないだろう。
しかも二人がいるのは港である。
「ここは、まさか……」
「そう、堺だ」
堺――、室町時代には足利将軍家や管領・細川氏などが行った日明貿易(勘合貿易)の拠点となっという。現在も明やルソンなどの貿易で栄えているらしい。
応仁・文明の乱以後、それまでの兵庫湊(※大阪湾北西部、現在の兵庫県神戸市)に代わり、堺は日明貿易の中継地として更なる賑わいを始め、琉球貿易・南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる難波津や住吉津などと同様、国際貿易都市としての性格を帯びているという。
当然、南蛮船が幾つも停泊している。
南蛮人は軽衫と呼ばれる筒の部分に膨らみがあり、裾がキュッとすぼまったズボンなるを穿き、伴天連は(※宣教師)は黒い外套を羽織っている。
那古野城主となった年、信長は南蛮船を見たくて堺まで遠乗りに出かけている。
見るもの聞くもの初めてのものばかりで、新しもの好きな信長としては好奇心がそそられた。城に大人しくいろというのが無理というものだ。
この日の本の遥か海の向こうには、ポルトガルやスペインという国があるという。南蛮人たちはそこからやってきたという。
広い海を自由に駆ける彼らが羨ましく見えた。
彼らの国に比べれば、尾張は小さく映るだろう。
そんな小さな国で一族どうしが睨み合い、誰が織田弾正忠家の家督を継ぐか家臣たちまでもが二つに割れる。
信長は決して、父の後を継ぎたくないわけではない。
父・信秀のようになりたいと憧れているが、信秀は主君たる器がどんなものか、示してはくれなかった。自分に呆れている家臣は、逃げているように映るだろう。
そんな信長に、声をかけてきた伴天連がいる。
「これは、信長どの。久ぶりですね? 元気でしたか?」
「カルロス、例のもの用意はできたのか?」
「はい。最新の絵図面を。他の方に悟られぬようにするには苦労致しました」
「ふ、まさか伴天連のお前がそんなものを持っているとは思うまいよ」
そう言って、信長は笑った。隣では、恒興が不安そうな顔をしていた。
「信長さま、あの南蛮人に何を用意させたのでございますか?」
「今にわかるさ。ただ――、家臣どもがまた眉を寄せることになるが」
信長がそう苦笑交じりに言うと、恒興がゴクンっと生唾を飲み込むのがわかった。
突拍子もないことをやるのは今更だが、信長の真意を理解できる家臣ははたして何人いるだろう。
「お帰りなさいませ」
信長と恒興が那古野城の城門を潜ると、一人の僧侶が彼らを出迎えた。
「――来ていたのか。宗恩」
僧の名前は沢彦宗恩――、臨済宗妙心寺派の僧で、平手政秀が依頼し信長の教育係を務めている。
「はい。末森城に召された帰りにございます」
末森城と聞いて、信長は誰が宗恩を呼んだのかわかった。
宗恩を信長の教育係とするには、政秀だけでは進められない。
政秀の主君は信秀であり、況してや信長の実父である。宗恩の人となりを説明し、その上で信秀の決断が必要になる。
「お前を召すというと……」
「信秀公にございます」
やはり、宗恩を末森城に呼んだのは信秀であった。
「俺のことか?」
「それもございますが、美濃とのことで拙僧の意見を聞きたいとの仰せ」
沢彦宗恩は、美濃国にて興宗宗松が開山した美濃の大宝寺の住持(住職)を務めていたという。
美濃にいた宗恩だからこそ、信秀も話を持ちかけたのだろう。
「あの父上を噛みつく蝮のことだ。この尾張に攻め入ってくるとでも?」
蝮とは、美濃の国主・斎藤道三のことだ。
「信秀公は、和睦をお考えにございます」
和睦と聞いて、信長は父・信秀を嘲笑った。
「蝮の毒に当たったか?」
「信長さま、信秀公は一度の負け戦で戦意を失うお方ではないと思いまする。国を護るためには、昨日の敵も味方にするのも手かと」
「蝮がそう簡単に味方になるとは俺は思えんが」
「いずれ――、この那古野城に末森城から書状が参ることでございましょう」
宗恩は終始温和な表情を崩すことなく、頭を垂れた。
――クソ坊主め。
何を考えているかわからない相手には、どうしても毒を吐きたくなる若き信長であった。