第一話 尾張の大うつけ
天文十七年、秋――尾張・那古野城。
この日の空は雲ひとつ見つからぬ朗天で、麗らかな日差しが座敷まで飛び込んでいる。
戦国の世とは思えぬ平穏さに、書院で書を開いていた池田恒興は思わずふっと笑う。
池田家は恒興が生まれたときは既に織田弾正忠家・家臣だったが、彼の父・池田恒利は元々は室町幕府十二代将軍・足利義晴に仕えていたという。
さらに、恒興の母が織田弾正忠家当主・織田信秀が嫡男・吉法師の乳母となった。
その縁があってか恒興は、その吉法師の小姓となった。
そもそも那古野城は駿河の守護大名・今川氏親が、尾張東部まで支配領域を拡大していた時期に領有していたものだという。それを織田信秀が、城主・今川氏豊を追放して城を奪い、那古野城は織田弾正忠家の城となったとされる。
元々尾張は守護大名・斯波氏の守護にあり、その守護代である織田家の勢力下にあったという。しかし応仁の乱にて織田家は分裂、東軍についた大和守家(清洲織田氏)と西軍についた伊勢守家(岩倉織田氏)が戦後の尾張支配を巡って抗争状態となったらしい。
斯波氏は両者を巧みに操縦していたが、やがて実力を失ったという。そんな大和守家から枝分かれした一族が弾正忠家である。
織田信秀はまだ元服前の吉法師に那古野城を譲り、末森城へ移った。
城に残された家臣たちにとって吉法師が主となったわけだが、この吉法師の行動が織田弾正忠家を二分させることになる。
天文十五年、吉法師は元服し名を変える。
織田三郎信長――と。
「恒興、ここにおったか」
恒興が視線を運ぶと、廊にある武将が立っていた。
名を平手政秀――、信秀の代から弾正忠家に仕える重臣の人で、信長が誕生すると彼の傅役となり、次席家老を務めたという。さらに昨年には後見役として信長の初陣を滞りなくすませている。
「如何されましたか? 平手さま」
今や白髪の交じった頭に、顔にも皺が刻まれる歳となっていた政秀だが、この日は眉間にも皺が浮かんでいる。
「若(※信長)を探しておるのだが、そなた一緒ではないのか?」
「申し訳ございません。今朝お部屋に伺ったのですがいらっしゃらず……」
「それっきり会うておらぬというわけか……」
政秀はそう言って嘆息した。
恒興は小姓としてなんたる様かと叱責されるかと思ったが、信長に振り回されているのは常、傅役である政秀もその一人だが、彼にすれば責任は恒興より重い。
政秀を信長の傅役に指名したのは、信秀だという。
彼は信長を織田弾正忠家の跡取りとして、立派に養育することを旨としている。
だがその信長といえば、吉法師と名乗っていた頃からすることなすこと常軌を脱し、今や『尾張のうつけ』と広まっている。
叱責されるのは信長ではなく、傅役である政秀なのである。
このままでは、信長が織田弾正忠家当主となれるか非常に危うい。
世は下剋上、実力があるものが出世する世。
故に主君筋である織田本家・大和家は、弾正忠家がいつ守護代でもある自分たちを脅かすか戦々恐々らしい。彼らにすれば信長より、温厚な性格と知られる信長の弟・信行が当主になってくれたほうがいいらしい。
信長に守護代を脅かそうという意思があるかは定かではないが、今や尾張守護大名・斯波氏にその力はなく、周りは駿河の今川や甲斐の武田、美濃の斎藤と領土を広げようとする強者に囲まれ、いつ尾張に手を伸ばしてくるかわからない。
結束しなければならないという時期に、内輪揉めしている場合ではないのは恒興でもわかる。
「若は、なにを考えておられるか……」
政秀は、三度嘆息した。
それは恒興も同感で、信長がなにを考えているか本人に聞きたいところだ。
「平手さま……」
「恒興、以前わしが言ったことを覚えておるか?」
そう言われ、恒興は「是」と即答した。
恒興が信長の小姓となって、少し経った頃のことだ。
――そなただけは、吉法師さまの御味方でいよ。
まだ十歳の子供である恒興に、政秀はそう言った。
ただそのときは、彼の言っている意味がわからなかったが。
この那古野城内でも、信長の素質を疑う家臣がいる。
信秀公の跡継ぎは、末森城の信行にすべきだと――。
信長を探すため書院を出た恒興は、城門まできて思わず顔を顰めた。頭になにか硬いものが当たったのだ。
落ちているのは、柿である。
熟していれば頭が大変な事になっていたが、那古野城の城門に柿の木などない。
不審に思って視線を上げて、思わず絶句した。
塀の上に、柿を齧る風変わりな少年がいた。
片肌脱ぎにした緋色と鬱金色を中間で暈かし染めた小袖、長い髪を括る紅の組み紐という傾奇者だ。しかし、その人物は塀に乗っていようと恒興の立場では怒れる身分ではない。
「の、信長さまぁ!?」
「よぉ、勝三郎」
ありえぬ登場の仕方に呆気にとられつつも、恒興は必死に言葉を絞り出した。
「よぉ、ではありませぬ! そのような所でなにをされておられるのですか……!?」
「なにって、これから河へ行こうとしてだけだが」
要は、いつものごとく脱走であろう。
「信長さまはこの那古野城の主にございます」
城主が塀を越えて川遊びにいくのは、信長だけだろう。
「お前、俺に大人しく座っていろと? 無理だな。顰めっ面の家臣たちの顔を見ているより、野を駆けていたほうが気が楽だ」
さすが信長も、家臣たちが自分をどう見ているかわかっているらしい。
「お立場が悪くなるだけでございます」
「お前、政秀の爺にたいぶ影響されているな。小煩いところなどそっくりじゃ」
呵々《かか》と笑う信長に、もはやお手上げの恒興である。
「ちょうどいい。お前も付き合え! 勝三郎」
恒興をもう一つの名で呼ぶ信長は、そういって親指を立ててこっちへ来いと動かす。
「私まで塀を越えろと? これまで一度も越えたことがないのをご存知ではありませぬか」
「勉学もいいが偶に躯を動かせ。戦場では知恵も大事だが」
ゆくは恒興も、織田家の武将として戦場に立つだろう。
だがその時彼の前にいる総大将は、末森城にいる織田信行ではない。織田三郎信長――、恒興はそう思っている。
――そなただけは、吉法師さまの御味方でいよ。
平手政秀に言われた言葉通り、どこまでも付き従おうと思う恒興であった。
◆◆◆
片や――、美濃国。
稲葉山城の一室で、その男は一通の書状を開いた。
「尾張の虎め……」
男の名は斎藤新九郎利政――、またの名を道三。
今や美濃国の大名だが、道三は元々は油売りであった。
当時名乗っていた名は庄五郎といい、武士になりたいと思った庄五郎は、美濃守護・土岐氏守護代の長井長弘・家臣となることに成功し、長井氏家臣・西村氏の家名をついで西村勘九郎正利を称した。
斎藤姓を名乗るようになったのは天文七年、美濃守護代の斎藤利良が病死したのがきっかけである。
道三が呟いた尾張の虎とは、織田信秀のことである。
道三が美濃の国主となる際、美濃守護大名・土岐頼芸と対立関係にあった。きっかけは道三が頼芸の弟・頼満を毒殺したためだが、その頼芸を道三は尾張へ追放した。これにより、道三は美濃の主となったわけだが、頼芸を後押ししたのが尾張の虎と言われた織田信秀である。
その織田信秀が大規模な稲葉山城攻めを仕掛けてきたのは今年のことたが、道三は籠城戦で織田軍を壊滅寸前にまで追い込んでいる。
まさに下剋上の世を、身をもって駆け上がった男である。
織田方から書状が届いたと聞いた道三は、いちゃもんでもつけてきたかと思ったがそうではなかった。書状を開けば、和睦したいという。
果たして本心かどうか――。
ついこの間まで、戦っていた相手である。
和睦と見せかけて襲うのは、この世では珍しいことではない。
「父上……」
衣擦れをさせて、一人の女人が道三の前に座った。
「帰蝶か」
帰蝶――、道三の娘である。
「尾張から書状が届いたと伺いました。また――、戦になるのでございますか?」
「最悪はそうなるであろうの。だがこの道三、噛み付いた相手は必ず仕留める。これまでそうしてきたのだ」
織田信秀が尾張の虎なら、道三は美濃の蝮と言われている。
主君の謀殺や乗っ取りなどの手法を用い、戦国大名にまで登り詰めたのが理由である。
「ですが草の者(※忍者)によれば、現在の尾張は纏まっていないとか」
尾張が一つでないことは、道三も知っていた。
「確かに攻め入るなら今であろうの。信秀も最近では病がちだと聞く。尾張で力があるのは信秀の織田弾正忠家。奴がくたばれば、目の前のたんこぶがなくなるが――」
道三はそう言って、視線を手元の書状に視線を戻す。
「なにか気にかかることが? 父上」
「帰蝶、お前にやってもらうことがある」
「――なんなりと。父上」
帰蝶はそう言って、頭を下げた。