ウェールズの山 (1995/イギリス)
原題は「The Englishman who went up a hill but came down a mountain」。
中学程度の英語力で訳してみるならば
「丘を登ったが山を下りてきたイングランド人」。
ウェールズのある村にふたりのイングランド人がやってきた。
地図作りのため、村自慢の“山”を測量しに。
その“山”は村の人たちにとって特別な山だった。
歴史的に昔から山に守られ、そして日々の生活を見守る山は
彼らにとって誇りだった。
しかし測量を終えて、山は“丘”だと告げられる。
「丘?オレたちの山が丘だと?」
山と認定されるには高さが6メートル足りなかった。
これで村中が大騒ぎ。
ウェールズ人のイングランドに対する独特の感情も相まって
村の人たちに火がついた!
『だったら、あと6メートル土を盛って山にすればいい』
さぁ大変。子供も大人も男も女も、ふだん仲の悪いあの人とこの人も
皆が協力して“丘を山にする作業”がはじまった。
はたから見ると「なにもそこまで」と思えることに
うらやましいくらいの一致団結ぶりで全力をつくす人達。
その姿をほほえましく見ていたはずが
いつのまにか引きこまれている自分がいる。
小学生のころ、ガンダム博士(機動戦士ガンダムのことね)
と呼ばれてる友達がいた。
彼の前で“シャア専用ザク”を“シャアザク”と言うと注意された。
「略して言うなっ」と怒ったように言う。
中学に上がる時、自動的に公立の中学に行く僕らと違って
彼は私立の中学を受験した。
でも中1の新学期が始まると、彼は僕と同じクラスにいた。
高校受験では有名一流大学の付属高校をめざしていた。
成績はいつもトップクラスだったのに、彼の希望はかなわなかった。
結局、一流大学への進学率が高いと評判の全寮制高校に進学した。
そして3年後、彼は見事一流国立大学に合格した。
うれしかった。なぜか自分のことのようにうれしかった。
どうして彼が一流といわれる学校にこだわるのかは分からない。
しかし小学生のころから彼が勉強する姿を見てる僕にとって、
そして彼が挫折する姿を見てる僕にとって、
そんなことはどうでもよかった。
時おり「アンチ学歴、アンチ偏差値」とカッコよく口にする僕らと
逆行するように突っ走っていた彼の、想いがかなってほしかった。
彼の人生は映画ではない。感動のラストが用意されている保証はなく、
もしかしたら最後の最後まで報われない可能性だってあったのだ。
時間はかかったものの、彼は自分の力で土を盛り
丘を山に変えた。
すっかり引きこまれている僕はやがて
自分自身の何かをその姿に重ねあわせていることに気づく。
そして実際には、ちっとも土を運んでいないどころか
土を盛る場所すらもはっきりと分からない自分を知る。
山は、どこにある?
2001,5/31