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映画の小骨  作者: トリム
4/9

ヴァージンスーサイズ (1999 /アメリカ)

原作の邦題は「ヘビトンボの季節に自殺した5人姉妹」。

内容はタイトルの通り、まだ十代の姉妹達が次々と自殺するお話し。


と聞くと、「じゃなんで自殺したの?」ていうことになるけど

結論から言って「これが自殺の理由!」というのは、はっきりとはわからない。


その理由はこの物語の描かれる視点にある。

そしてこの描かれ方こそがこの物語の旨味、みそ汁の「だし」にあたる。


その視点とは、姉妹達と同年代で、同じ街に住む「ぼくら」からの視点。

しかもこの「ぼくら」が回想するという描かれ方。

「ぼくら」と姉妹達の出来事、あるいは姉妹について

人から聞いた話によって物語は展開していくので、

我々観客は「ぼくら」とおんなじ視線で姉妹達を追うことになり、

「ぼくら」が知ってる以上のことは我々に与えられない。


つまり、「あるスキャンダルについて取材してる芸能リポーターをワイドショーで見てる状態」だ。


主人公である姉妹達と我々に距離がある。

普通だったらこれがこそばゆいんだろうけど

慣れてくるとこの距離感がミョーに心地いい。


ふと、思い出したことがあった。

まだ、恋愛=つきあった、別れた、またつきあった、また別れた、

ではない頃、世間では「子供」と言われてる頃、

となりのクラスの女の子がすごく気になって、

でもこれが「好き」という感情だということを知らなくて、

名前や何委員なのかは知ってるけど、かといって

彼女本人に話しかけて仲良くなろうとはしない。

いや、できない。

いつも遠くから見ていた、あの距離感。


あの頃の僕と同様、「ぼくら」は五人姉妹に魅かれ、

姉妹達を理解しようとした。


そしてあの頃の僕と同様、「ぼくら」がただひとつ分かったことは

彼女達について「何も知らない」ということなのだ。






2000,7/22

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