マリリンとアインシュタイン (1985/イギリス)
原題は「INSIGNIFICANCE」。
辞書をひいてみると「無意味。取るに足らないこと」。
タイトルが「無意味」とは
逆に何か深い意味があるような気がしてなりません。
「マリリンとアインシュタイン」
この、おそらく日本人だけに与えられた素敵なタイトル。
もっとも劇中でこの名前が出てくることはなく、
「女優」と「教授」でしたが。
が、しかしとても素敵な夜でした。
人類史上屈指の天才と、アメリカの、いや今や世界の恋人、
20世紀を代表する女優のひとりが出会うこの素敵な夜。
「この映画はすべてフィクションです」
まず最初に出てくるこのクレジット。
分かっています。分かってるけど、でも夢のような組み合わせです。
特殊相対性理論をまくしたてながら説明してみせるマリリンと
それをうれしそうにうなずきながら聞いているアインシュタイン。
まままマリリン「・・・光は常に同じ速さで全方向へ同時に進む
秒速18万6282マイルで」
アインシュタイン「 .397」ああああああああああああああああああ
マリリン「速くなったの?」まままままままままま
アインシュタイン「正確に言えば、ね」あああああああああああああ
マリリン「驚かさないでよ」まままままままままま
まさに相対するこのふたりの会話はなぜかとても素敵なのです。
マリリンが実際に愛読していたという
「カラマーゾフの兄弟」の本が何気なく登場したり
光の不連続性を象徴しているのでしょうか、時おり出てくるネオンサイン。
そしてアインシュタインの懐中時計は
ヒロシマのあの時間、8時15分で止まってる。
実際の「マリリンとアインシュタイン」と
フィクションの「マリリンとアインシュタイン」、
現在と過去が折りかさなって映画は進んでいく。
自らが導きだした公式E=mc2 が
最悪の方法によって実証されてしまったアルバート・アインシュタイン。
ひとり歩きし始めたマリリン・モンローのイメージを
自分ではもはやどうすることもできず、
しかしそれでも演技派女優をめざした
マリリン、いやノーマ・ジーン・ベイカー。
もしかしたら、ふたりが抱える哀しい何かは
同じものなのかもしれません。
でもこのふたりが出会ったからといって
何かとてつもないことが始まるわけではありませんし、
何かが大きく変わるわけでもありません。
たしかにそういう意味では「無意味」かもしれませんが。
『時間とは相対的なものであり、2人にとって同じではない』
でも、とても素敵な時間でした。
2001,7/23