第711話 正体不明
一仕事終えた安堵から大きく息を吐いた俺。
月明かりが照らし出す大庭園にあらためて視線を送る。
「……」
野趣を残しながらも程良く整備された木々や花々、地に敷きつめられた細かな白砂、不思議な魅力を漂わす不揃いの庭石、サヴィラの美しい湖水を取り入れた小川やひょたん池……。
この眺めは現代日本の名庭園と比べても決して見劣ってはいない。
それはひょうたん池周りだけじゃなく。
池の向こうに見える自然林もだ。
雄大で神聖な風情、趣すら感じさせてくれる複数の大木。
特に一際背高いあの威風堂々たる巨木なんて……なっ!?
「嘘だろ」
感嘆の思いで眺めていた俺の目に入ってきたのはあり得ない光景。
巨木のいただきに佇むひとつの影だった。
「……」
月光を背に、大木の樹頭にそれは立っていた。
枝葉の最上部。人ひとりが立てるはずのない、いや、立とうと考えること自体が正気とは思えない場所に文字通り立っているんだ。
「……何者?」
数瞬の自失の後、ようやく出てきた誰何の声。
「……」
シャリヌ家の2人同様返答はない。
ただ、これまでとは空気がまったく違う。
この当然の誰何が場にそぐわないと思えるほどの何かを感じてしまう。
「……」
樹頭に見えるのは深くフードをかぶった人影ひとつ。
通常は一瞬たりとも留まることができない場に直立不動。
おそらくは、魔法の補助がそれを可能にしているのだろうが……。
恐ろしい技術だ。
今の俺にできるようなことじゃない。
「……」
そんな超絶技巧を誇る人物がシャリヌ家の者?
湖畔の館を、オルドウ伯爵を探っていると?
いや、本当にそうなのか?
「……」
人影は無言のまま、動く素振りもない。
まさか間者じゃない可能性も?
っ!
そうだ、まずは鑑定だ。
考えるのはそれからでいい。
「何者?」
場つなぎに一言放ち、情けなくも失念していた鑑定を発動。
?????
レベル ??
??歳 女 人間 ??
HP ???
MP ???
STR ???
AGI ???
INT ???
<スキル>
?? ?? ?? ??
?? ?? ??
結果、入手できた情報は性別と種族のみ。
他は何ひとつ読み取れなかった。
「……」
ある程度予想はしていた。
鑑定不能たる強者だと感じていた。
けど、このスキルの痕跡は!?
スキル所持自体が珍しいこの世界で7つも所持しているなんてあり得ないぞ!
同じく鑑定が不発に終わったエヴドキヤーナでさえスキルの痕跡は3つだったはず。こいつ、俺と憂鬱な薔薇の団長を圧倒したあの大魔導師を越えているというのか?
いったい、何者なんだ?
「……」
身動ぎもせずこちらに視線を送り続ける鑑定不能の人影。
フードの奥は闇に溶け、顔立ちは判然としない。
ただ、月光を反射する輪郭だけが、ほっそりとした体躯を浮かび上がらせている。
「……」
7つのスキルを持ち、難なく樹頭に立つ超絶のこの女性。
状況的にはシャリヌ家の間者と考えるのが妥当なんだが……。
いまだ何も仕掛けてこない彼女が2人の奪還や始末を狙っているようには思えない。俺に対する害意や殺意も感じ……っ、感じないどころじゃないぞ、こいつ、今もまったく気配がないんだ!
どれだけ完璧な気配消去でも自身の存在を視認されたら、気配を隠しきることは不可能。それなのに、彼女は何も感じさせてくれない。この目で捉え続けている俺を嘲笑うかのように、今も気配を消し続けたまま。
「……」
樹頭直立、鑑定不能、7スキル、超絶気配消去。
どれをとっても尋常じゃないこの全てを彼女が持っている。
はは……。
驚きを通り越して笑えてしまうな。
けどまあ当然、笑っている場合じゃあない。
なら、どうする?
こっちから仕掛けるのか?
害意を見せず動きもしない相手に?
いや違う。
この状況で下手に刺激するのは、どう考えても下策だろう。
それにそもそも俺の攻撃魔法が通用するかどうかも分からない、というか通用しない可能性の方が高いはず。
だったら、今はとりあえず。
「いつまでそうしてるつもりだ?」
「……」
「この2人を助けないのか?」
「……」
「おま……君はシャリヌ家の者なんだろ?」
「……」
「黙っていたら何も分からないぞ」
「……」
結果は予想通り。
どんな言葉を投げても返答は返ってこない。
それどころか、彼女の様子にもまったく変化が見られない。こうなるともう、しばらくは様子を見るしかないだろうな。
その前に、覚醒間近の2人を再度しっかり眠らせてと……。
「……」
「……」
「……」
「……」
間違いなくそこには傑出した人物が存在する。
鑑定は不能でも、尋常な相手じゃないということだけははっきり伝わってくる。
敵意も悪意も害意も殺意も感じさせないそんな彼女との気配皆無の無音空間。
ただただ時間だけが過ぎ。
これまで経験したことのない感覚に神経が削られていく。
が、動かない。
こいつ、何を考えてるんだ?
まさか、朝までこのままってことはないよな?
様々な疑問が頭の中に湧いては消えていく。
「……」
「……」
「……」
「……」
恐らくは数分、体感にして数十分が経過。
嫌な汗が頬を伝い始めた頃。
突然、彼女の中に微細な変化が現れ。
そして、次の瞬間。
「なっ!?」
消えてしまった。
樹頭から空に、まるで溶けるかのように。





