第698話 秘密
「ほんとにほんとに平気です。何か問題が起こっても、奥の手を使えばいいだけですから」
特別な切り札でもあるのか?
にわかには信じがたいが、この自信満々の表情。
とても作り話をしているようには見えない。
「それは、間違いないのですね?」
「もちろんです!」
やはり、嘘とは思えない。
「とっても強力なんですよ」
「……なるほど」
領主家ともなれば、次女に奥の手の1つを持たせるくらいのことはするのかもしれないな。それにまあ、自衛手段があるなら1人での外出が許されるのも納得できる。
「ですので、わたしのことは気にせず宿でお休みください」
「……」
「疲れた身体を労わってくださいね、冒険者さん」
色々と納得はしたものの、彼女のこの言動につい。
もう冒険話は不要ですか?
と口から出そうになる。
「では、またお会いしましょう」
そんな俺に微笑みながら彼女が離れていく。
「あっ、そうだ。次も冒険譚を?」
だから。
「分かりました」
思わず頷いてしまった。
「お客様、お帰りなさい」
領主家令嬢と別れ夕連亭の敷地に足を踏み入れた俺に店員が声をかけてくる。
「今夜もよろしくお願いします」
「こちらこそですよ。それで、夕食はどうしましょう?」
「……今夜は早く休みたいので、食事は抜きにしてください」
「承知しました」
よく見知った馴染みの関係だけあって、お互い気安いものだ。
「ところで、さっきのお連れ様は?」
「領主家のご令嬢です。この近くに用事があるようですね」
「えっ? ササリーシャ様が」
ササリーシャ?
ああ、臥せっている長女の名前か。
「ササリーシャ様ではなく、リャナーヤ様です」
「……リャナーヤ様?」
「領主家の次女令嬢ですよ」
「伯爵様の次女、ですか?」
彼女を知らない?
いや、他ならぬ夕連亭の従業員が知らないとは思えないな。
「あの、リャナーヤ様という方はオルドウ伯爵家にはいませんけど?」
ん?
「伯爵家御令嬢はササリーシャ様だけですね」
そんなわけない。
あのお嬢様自身がそう名乗ったんだぞ。
けど、彼がそう言うなら。
「領主様の養女でしょうか?」
「養子縁組の話も聞いてないです」
「……」
どういうことだ?
「あっ、でも、私の知識不足かもしれません。たとえば、領主様が最近養子縁組なされたとか……」
つい最近なので情報が入っていないと?
「秘密のとか……」
囁くように耳元で告げてくる。
「秘密?」
つまり、秘すべき娘?
隠し子のような?
「……」
確かに、その可能性は考えられるな。
実際、この世界の大領主家、大伯爵家なら隠し子がいてもまったく不自然じゃない。また、ごく最近の養子縁組という線もあるだろう。
ただ問題は、今それを俺に告げたのが目の前の彼だということ。
この夕連亭の者が領主家の内情を知らないなんてあり得るのか、というこの一事。
「……」
夕連亭には謎が多い。
キュベリッツ王国の諜報関係に属するその一部については俺も知っているものの、それでも未知の部分は相当存在するはず。
そんな夕連亭の従業員が現住する土地の領主情報に欠けているとなると、これはもうただ事じゃないだろ。
よほどの秘事が伯爵家によって隠されているか?
信じがたいことだが、夕連亭が伯爵家の内情に興味を持っていないのか?
そう言えば……。
領主館での伯爵との会話が浮かんでくる。
『冒険者コーキよ、今夜は我が館に泊まっていかぬか?』
『ありがたいことですが、今夜は少々用事がありますので宿に戻りたいと思います』
『ふむ、宿はどこを取っておるのだ?』
『夕連亭です』
『夕連亭だと?』
『問題でもあるのでしょうか?』
『いや……冒険者には問題などないはずだが、勧めたい宿ではないのでな』
あの時のオルドウ伯の口調と表情。
明らかに、夕連亭を訝しんでいる様子だった。
多少なりとも夕連亭の秘密を知っている者のそれだった。
そのような相手に対して夕連亭の面々が無関心でいると?
ないな。
さすがに考えられない。
なら、やはり……。
領主家が何かを秘匿している。
あるいは、リャナーヤという令嬢が実在していない。
そしてもう1つ。
夕連亭の彼が嘘をついている。
このどれかである可能性が高いだろう。
「お客様?」
「……」
「コーキ様?」
「ああ、すみません」
「その……よければ調べましょうか?」
「いえ、そこまでは」
領主家の秘密に俺が関わる必要なんてない。
少なくとも今の段階では、興味を持つことすら避けるべきだろう。
そもそもオルドウ伯爵が何を隠していようと、リャナーヤ嬢が何者であろうと、俺にはまったく関係ないことなんだ。
それに、夕連亭の者に調査を頼むのもどうかと思う。
今はこうして良好な関係を築いているとはいえ、この宿と俺の過去を考えればな……。
そう。
どんなに快適で、どれだけ楽に過ごせようと、夕連亭が並の宿ではないことを忘れちゃいけない。ここは謎に満ちた人宿、裏で諜報を扱う尋常ならざる組織なのだから。





