第697話 同行
加工したはずの触媒が作用しない。
つまり俺が失敗したことになるんだが、それを認めるとただじゃすまないだろう。いや、認めなくても同じか。どう考えたって、拘束され監禁される未来しか見えてこないのだから。
とはいえ、オルドウ伯爵のこれまでの対応から考えるに、白都と同様の事態に陥る可能性は低いはず。公正な手順で扱われるはず。なら、このまま監禁拘留されるのも……。
駄目だな。
やっぱり、拘留なんて受け入れられない。
あんなのは、こりごりなんだよ。
だったらもう、無理やり出て行くしかないのか?
倫理も今後の伯爵家との関係も無視して?
ただ、そうすると、色々と問題が……。
決断を迷う俺に、剣呑な空気をまとった伯爵の側近たちが近づいて来る。
「……」
何を選択するにしても、躊躇している時間はないようだ。
今すぐ……ん?
「先生!?」
「どうした?」
「触媒の色が変わり始めてます!」
色が変わった?
ということは。
「これは……作用してるぞ!」
薬師の言葉に、側近たちの足が止まる。
オルドウ伯ももうこっちを見ていない。
「ベニワスレだ、ベニワスレの寒実を持ってこい!」
「分かりました」
「っ!」
堪らず鍋へと駆け寄っていく伯爵。
側近たちも俺から離れ、伯爵の後ろに。
「触媒が使えるのか? 調合できるのだな?」
「……おそらくは」
「そうか、できるのか!」
「「……」」
領主の威厳を投げ捨てたような高揚を前に、薬師と助手が言葉を失っている。
その手も止まってしまった。
「何をしている? 早く続けるんだ!」
「し、承知しました」
室内にいる皆の視線が釘付けになる中、ついにベニワスレの寒実が……。
「それで、冒険者さんは他にどんな冒険をしたんですか?」
「お嬢様が聞いて面白いような話ではありませんよ」
「そんなこと、聞いてみないと分かりません」
「……血なまぐさい話ですし」
「大丈夫、わたしそういう話に強いんです。ですから」
自信満々の表情で先を促してくるのはオルドウ伯爵家の令嬢。
ただし、病に伏している方の令嬢ではない。彼女はその妹、伯爵家の次女になるらしい。
「ですから、ぜひわたしに教えてください」
なぜ伯爵家の次女が俺の横でこんな話をしているのか?
正直、俺にもよく分かっていない。
完成した霊薬を手に長女の病室に向かうオルドウ伯たちを見送り、領主館を後ににした俺にどういうわけか彼女がついてきただけだから。
「冒険者さん?」
「そんな話より、本当に外出しても良いのですか? すぐに館に戻るべきじゃないんですか?」
「まったく問題ないです。館の皆は今あの人の治療のことで手も頭も一杯なので、わたしはいない方がいいんですよ」
あの人……。
「もちろん、あの人……お姉さまの容態は気になりますけど、アレがあれば確実に回復するでしょうし、わたしにはできることもありませんので」
「……」
「ですから、こうして外に出た方がいいんです」
さすがに、街に出た方がいいということはないだろう。
「それに……わたしの不在なんて誰も気づいていないかもしれませんよ」
それも言い過ぎだ。
たとえどんなに大変な状況でも、あの領主家が令嬢の不在に気づかないわけがない。
ただ、そうすると……。
最初に覚えた疑問がまた浮かんでくる。
なぜ護衛をつけてない?
なぜ彼女は1人なんだ?
「……」
まさか、いつも1人で街に出てるのか?
いやいや、彼女はどこかの剣姫公女じゃないんだぞ。
若い伯爵令嬢が普段から護衛も従者も連れず出歩いてるなんて考えられない。
なら、今回だけ?
今日だけ1人で?
偶然俺に会ったと?
「わたしのつまらない話はこれくらいにして、次は冒険者さんのお話を聞かせてください」
「……」
「ちょっとした冒険話でもいいですから」
「……」
「冒険者さん?」
本音を言うと、すぐにでもこの怪しい状況から離脱したい。
彼女を置いて走り去りたいぐらいだ。
が……。
はぁぁ。
仕方ないよな。
「……面白くない話でいいなら」
「はい! あっ、でも、絶対面白いと思います」
「……」
いつも通り大勢の人が往来する大通りを、いつもとは違う心持ちで進んでいく。
過去の話をしながら、いつも以上に周りを警戒し、それでいて目立たないように歩き続ける。
「……といった感じでしょうか」
「凄いなぁ、冒険者さんってそんなこともするんですね」
「その件については、色々と偶然が重なっただけですよ」
今は白都での経験談を1つ話し終えたところ。
「偶然、ですか?」
「ええ」
「それでも凄いです」
色々と端折って無難な内容にしたのだが、お嬢様は満足してくれたようだ。
「冒険者さんなら、何が起こっても軽く解決しちゃいそう」
「いえ……」
そんなわけはない。
実際、これまで何度も躓いてきた。
つい先日も……。
「白都では他にも色々と活動してたんですよね?」
「……」
「でしたら、他のお話も?」
「……申し訳ありません」
残念ながら、これ以上話すことはできない。
そこに目的地が見えているんだ。
「宿に到着しますので」
「あっ……もうお別れなんですね」
同行は夕連亭までと最初に約束をしている。
だから、ここで別れるのは予定通り。
まったくの予定通りなんだが……。
「お嬢様、ここからはおひとりで?」
「はい、もう少し散策してから帰ろうと思ってます」
本当に大丈夫なのか?
「日暮れ前には帰りますし、それに、オルドウは治安のいい街ですから平気ですよ」
「……」





