ひとばしら
死ぬ場所がない。ただ、家で自殺をするにはいろいろと厄介ごとが絡んできそうだ。
だから私は、適当な格好で外へ飛び出し、血眼で死に場所を探しまわっている。
いつもなら高校の体育の授業だけでへとへとな私である。
しかし、皮肉にも自分の死に向かって走り回り、歩き回っている今は全く疲れることがない。
死ぬのにいろいろな場所を考えた。線路への飛び降り、ビルからの身投げ、雑木林での首つり。愉快にもここまで考えて、やっと自殺の種類の多さに気づくのだ。ニュースで自殺の報道があったり、また、自殺の影響で自分が乗る電車が遅延したことも少なくない。それほど耳に入ってくる自殺というものだが、私はまだまだ自殺に関して知らないことが多すぎる。百歩譲って全ての自殺方法を知ることは可能だろう。だが、その行為に至った理由を全て知ることは不可能だ。それぞれが人を嫌いになったり、あるいは自分を嫌いになったり。またはそうせざるを得ない立場に置かれてしまったり。とにかく理由は様々で、理解できないことが多いものなのだろう。
現に、今の自分が自殺をしたいと考えた理由は簡潔に言葉で表現できるものではないのだ。
学校のクラスでの自分、部活の自分、遊びに出かけたときの自分、家での自分。
周りの人間は、たくさんある自分の立場のうち一つだけを見て自分と接してくる。あたかもそれが私の全てであるように。
クラスで静かにしている自分が本当の自分ではない。
部活に誰よりも真剣に取り組んでいる自分が本当の自分なのではない。
遊びの時にノリがいい自分は本当の自分ではないし、
家に帰って家族に接している自分は、やはり、本当の意味で自分だと言えない。
それぞれの立場の自分が少しずつ交わって、やっと私が認める真の自分となる。
この全てが理解されず、また理解しようとしない人間が多すぎる。先生であっても、友達であっても、家族までもが私を理解していない。そして、それぞれが思う「型」に私をはめ込もうとしてくる。
だから、それが嫌だから私は自殺を考えている。
さっき考えたように、私の自殺の理由が簡潔にまとまるわけがない。そこには、多くの人間が自分の存在を決めつけてきたという事実があるのだから。たった一人が突発的な思い付きで自殺という行動に起こそうとしているのではなく、新しい人間関係が生まれるごとにジワジワと違和感を抱いてきたのだから。違和感が大量に絡みついている限り、自殺をしようとしている心の中も複雑だ。
今までないほどに自殺に対して真剣に考えながら、歩き回り、いつの間にか街の商店街についていた。
足が止まることはなかったが、結果として自殺への思考はこの時に止まっていた。
商店街にはいろいろな店がある。その中でふと目に入ったのはボロボロの洋服店。70を過ぎたおばあさんが店を営んでいるようだ。しかし店のたたずまいがボロボロである。今にも割れそうなガラスが張られている扉、虫に食われていてもおかしくなさそうな洋服類。このお店を見て率直な感想として「存在することに意味があるのか」と思ってしまう。人でにぎわっているわけではないし、むしろこの店に人が入っているのを見たことがない。人に必要とされていない店だとすると、いまだに営業しているのはおばあさんのエゴなのではないか。自己満足で店を続けているだけではないのか。そんな偏見をを持ったまま、店の前を歩き去っていく。
ほかの店もそうだ。さびれている店、人目につかないような店でお客さんが来るわけでもないのに店主がずっと中にいる。この大きな社会の中でなぜそのような時間の使い方をしているのか。社会という大きなくくりで見れば意味のないようなことをなぜしているのか。商店街でも、町工場でもたった一軒つぶれたところで人々の生活が大きく変わるわけではない。
ふとした瞬間、自分の存在に重ねてしまう。
なぜ自分は生きていたのか。誰の役にも立たない。そしてこの先、誰かの役に立つわけでもない。今まで自分がいた場所に別の誰かが立ったとしても周りのみんなも気にすることはないだろう。むしろ今までより楽しく良い世界になるのではないだろうか。私の存在意義とは何なのだろう。この世に生きて残る理由がなく自殺を考えている。ただ、なぜ今まで引き延ばしてきたのであろう。昔から私は存在意義などなくて、死にたくないから生きていた。自殺だって今回考えたのが初めてというわけではない。何回だって自殺を本気で考えた。それでも死ななかったのは痛みを感じたくなかったから。苦しみを感じたくなかったから。決してそこに「生きる理由」があったわけではない。「死にたくない理由」をもって惰性的に生き続けていたのだ。ただ、最近、生きていて積み重なった苦しみが耐えられる範囲を超えたのだ。耐えられるといっても、他者が見れば思わず目を背けたがるような暗い生活を何とか続けていただけで、人前にいるときだけは作り笑顔でしのいでいただけだ。考えれば考えるほど暗い気持ちになるし、生きるモチベーションが下がる一方で、死へのモチベーションだけが上がってゆく。
思考が行ったり来たりしているころ、自分も商店街を行ったり来たりしていたようで、商店街の中をさっきと逆向きに戻っていった。そして気が付くと先ほどの洋服店がそこにあった。じっとお店を見ていると店主であるおばあさんに声をかけられたので店へと入っていった。この時、何に関しても思考が惰性的になっていたのである。
言われるがままに、おばあさんが座っている畳に座らせてもらった。
だが、私を呼び止めてきたおばあさんから話をするそぶりはなかった。
1分間ほど何も話しかけてこなかったので、この店について先ほど考えていたことを口に出した。
なぜにぎわってもいないのに、店を続けているのか。店を開いていることに意味はあるのか、と。
そう聞くとおばあさんはゆっくりとこう答えた。
「商店街は住宅地なんかよりもよっぽど人が通る。そんなところで店を開いているといろんな人と出会うことができるんです。ほかの通りを歩いてたときなんかよりいろんな年代の人たちと。」
おばあさんの答えを聞いた私は、正直、小さな理由でお店を開いているんだと思った。そう思うと疑問が深まる。不思議に思った私の表情を見て、おばあさんはこう続けた。
「いろんな人と出会ったならいろんな話が聞けます。そして、いろんな話を聞けたのなら、その話と自分を見比べて、自分を見直すきっかけにすることができるんです。今まで自分の中になかった観点を他の人は持っていたりするものですからね。」
これを聞いた瞬間に私はこのおばあさんに、自分が自殺をしようとしていることを伝えなければならないと思った。おばあさんなら私の自殺を止めてくれるかもしれない。自殺をあきらめて、暗い毎日に戻った時に立ち直るきっかけをくれるかもしれない。久しぶりに周りの人間に期待をしようと思った。そして、そのことをゆっくりとおばあさんに話した。
私が自殺をしようとしていると聞いたおばあさんは少し困った顔をしたが、穏やかな表情に戻って口を開けた。
「さっき店で暇してるんじゃないかと聞いてきたけど、今新しい仕事ができたね。あなたを変えて、あなたがまだ生き続ける理由を見つける手助けをすること。これはボロボロでもお店を開いていて初めてできることであって、洋服屋を閉店なんかにしていたらあなたの自殺を止めることもできなかったかもしれない。意味がないようなものが人によっては大きな意味を持つし、あなたみたいに正直に事情を話してくれる人が私みたいな小さな存在を大きな存在に変えてくれるのであって。たとえどれだけ待たなくてはいけないとしても、その先にいい出会いがあるんじゃないですかね。でも、途中で『待つ』ということをあきらめてしまっては、一生損をしてしまうと思うんです。今日の場合だと、どうやらあなたはあきらめる前だったんじゃないですかね?まあ、私との出会いをいい出会いと思っていただけるのかはあなた次第だとは思いますが。」
おばあさんから出てきた言葉に私は大きく心を揺れ動かされた。このおばあさんは自分のことを理解してくれ、そのうえで言葉を選んで伝えてくれたのだ。なのに、私はそうではなかった。自分のことを理解してほしい。そう思っていたにもかかわらず、この洋服店のことを理解していなかった。このおばあさんのことも理解しようともしていなかった。自殺を考えているからそんな自己中心的な考えなのかとも思った。だが違う。私は普段から人のことを理解しようとしていなかった。それが自分に余裕があるときだったとしても。その時々で私は「今」の自分を認めてくれる人を求めていた。この自分を変えなければいけない。人に求めてばかりなのをやめて、自分がまず相手を積極的に理解して、そのうえで相手に自分を理解してもらうように努力をしなければいけない。
人生の指針が明確になってきたとき、ふと我に返った。しばらく黙り込んでしまったのに、おばあさんは不思議がらずに、優しいほほえみで私のことを見ていた。
『あの、、、』
『ありがとうございました!』
私はそう言うと、いてもたってもいられなくなったので家まで走って帰ることにした。
それはもう思いっきり走った。息も荒れる。しんどくてひどく疲れていくが、その表情から笑顔を隠すことは不可能だった。
もう日も暮れてゆくころだ。家に帰ってからまず何に挑戦してやろうか。今までの自分の嫌なところを捨てて、成長した自分になるために。暗い日々も、自殺場所を探していたことも、自分の成長に不可欠だっただなんて笑顔で言えるように。そして、立派に成長した姿をおばあさんに見せられるように、自分と向き合って、友達とも家族とも笑顔で向き合って生きていくんだ。
急に成長するなんて無理なことはわかってる。でも確実に一歩一歩成長してやる。
そう心に誓った私は、地面を踏みしめてさらに走るペースを上げていった。