わたくしの提案
今日は、待ちに待ったお兄様とのお茶会です。例のごとくカイがいるのは嫌ですが。カイの顔は、アラーニェちゃんに会いに行くついででよく見ていますから、とうに見飽きているのです。
それでも、淑女教育の息抜きにはなります。どこぞの貴族令嬢達と囲む、お茶会とは名ばかりの品評会とは違いますもの。離宮で過ごしていた頃から、わたくし達のお茶会ではどんな使用人も締め出す決まり。気心の知れた者だけしかいない、秘密の空間ですから。
ですから、王族専用の奥まった場所にあるサロンで開かれたお茶会の時間は(カイというおまけ付きで)お兄様と過ごせるとても楽しいものになるはずだったのですが……。
「そんなこと、わたくしはぜーったい認めませんわ!」
お兄様から直々に実験場を下賜していただこうとするだなんて……ずるい! カイばかりずるいです! わたくしが箱庭などもらっても持て余してしまうのはわかっていますが、痛み以外のものをお兄様から与えてもらう機会はわたくしにもあってしかるべきではないですか!
「シグの決定に不満でも?」
「違います! そういうわけではありません! ありませんけれどっ!」
お茶会の席ということでマスクを外しているせいで、カイのにやつく顔はよく見えてしまいます。非常に! 非常に不愉快です! 仮にマスクがあったとしても、そのマスクの下で同じ顔をしているのでしょうけど!
「ねえお兄様、カイの言っていることは本当でしょうか? わざわざ実験場を与えるほど、有益な結果が得られると思います?」
「ふむ。エイルはカイの力を疑っているのか?」
「だって、カイ自身が自分の力量を掴みかねているのでしょう? 小規模の実験しかできないから必要なデータが取れていなくて、行き詰まっているから実験場が欲しい……けれどそれでは、実際にどの規模の実験場を与えるべきなのかわからないではないですか。街一つなんて自己申告です、自己申告ならどんな見栄も張れますわ」
「はぁ? 心外なんだけど」
カイはじとっとした目でわたくしを睨みながら、親指の爪を噛んでいます。カイにばっかりチャンスは与えません。好敵手の足は、引っ張れる時に引っ張っておくのです。
それがお兄様の覇道を阻むことになってしまえば本末転倒ではありますが、カイのために無駄なリソースを割くことがないか事前に確かめることは、決してお兄様の邪魔になることではありません。むしろ節約となってお兄様の一助になるはずです!
……もちろん物語を知るわたくしは、カイの実力をちゃんと知っているのですが……それはあくまで十五年後のカイのことです。
二十九歳のカイならば、街のひとつやふたつ、単身で攻め落とせてしまいます。ですが、十四歳のカイがどこまでやれる子なのかは知りません。ですから、この目で確かめておかないと。
「それは一理あるな。私としても、一度カイの全力を見てみたくはある。街とひとくちで言っても大きさの程度はあるゆえな。どのような実験場を用意すべきか、指針程度は必要だ」
「ええ、ええ! ですから、実際に実験場を与える前に、わたくし達の前で何度か演習をしていただきましょう。演習場所は……そうですね、手始めにペルレ宮殿なんていかがです?」
「いいだろう。構わないな、カイ」
「望むところさ」
お兄様は、興味深げに頷きます。カイもあっさり受け入れました。それはそうでしょう。だってペルレ宮殿は、王都における王弟殿下の居城なのですから。
今、王弟殿下は王都にいらしているので、そちらに滞在しているのです。規模は王宮の半分ほど。まずはそこを、王弟殿下ごと燃やしてもらいましょう。
厳重な警備をかいくぐり、火事に見せかけて無事王弟殿下を暗殺することができたなら……少なくとも城攻めの能力はあるとみなせますし、自動的にお兄様が王太子になれますもの。
それに王弟殿下は、物語においては主人公側につき、王位簒奪を目論んでいました。このことから、わざわざ王弟殿下を殺さずともお兄様は王になれると思うのですが……生かしておいても、火種にしかなりません。表舞台からも、生者の世界からも、きちんと退場していただきましょう。
「ペルレを陥落とせば、叔父上の直轄地はたとえ名義だけでも私のものにできるだろうな。父上も、政の勉強をさせられるうえに私の地位が確固たるものになると思えば喜んで下賜してくれるはずだ」
その一部を、内密にカイへ貸し与えれば。あとはカイの好きなようにすればいいのです。いつ実るかもわからない投資ではなく、お兄様の役に立つことをした見返りだと思えば、わたくしの嫉妬も収まります。
「その通りですわお兄様。けれどカイに実験場を与える前に、もう一つ燃やしていただきたい場所があるのです」
「ほう。申してみよエイル、どこを焦土とさせたいのだ?」
「城下の貧民街です。住人を一人も生かすことなく、あの区画を綺麗さっぱり消してくださいな。できますわよね、カイ?」
「当然。貧民街なら、規模的にも僕が欲しかった実験場にぴったりだし。一度しか使えないのが痛いけど、自由にできる場所をあとでもらえるんだろ?」
頼もしいお返事をもらえて、わたくしは大変満足です。これで“主人公”を消せますね。
「面白い。貧民街がなくなれば、城下の様子を多少作り替えることもできるな。当然、莫大な金が動くだろう。私の采配を見せるいい機会になる」
お兄様の賛同も得られました。これで何の憂いもありません。あとはカイを信じて、ゆっくり待つことにいたしましょう。
……とはいえ、王弟殿下はなるべく早く消しておいてほしいものです。お相手するのも疲れてきましたもの。
*
「まぁ。卑しい豚が、こそこそと。哀れなものだな、どこにいようと生来の浅ましさがにじみ出てしまうのは」
そう声をかけられたのは、お茶会を終えてお部屋に戻る途中でした。傍にはお兄様も、カイもいません。
「豚さんは可愛いらしいですね。威張り散らすしかできない形だけの貴婦人より、ずっと」
足を止め、にっこりと微笑みます。せっかくいい気分だったのに残念です。王妃の顔を見てしまうなんて。
「そういえば、お義母様にささやかながら感謝の意を示そうと、贈り物を用意したのです。綺麗な装飾の施された鏡と、おしろいです。とっても白く塗れるんですって。ファム、後で届けて差し上げてね」
「ひぇ……は、はい……」
一歩下がったファムに声をかけます。ファムは引きつった笑みで頷きました。ああ、ファムも王妃が怖いのですね。
五年前の王妃は、もうちょっと綺麗な顔立ちをしていたと思うのですが……最近はひどくやつれて、なんだか恐ろしい形相なのです。まるで絵本に出てくる魔女のよう。王妃にその自覚はないのでしょうか?
一国の王妃ともあろう者がはしたない。権力者が次々に死んでしまえば怪しまれるので時機を見計らわないといけないというのに、あまりにも目障りなことをされると早く消したくなってしまいます。
「それはそれは。せっかくの申し出だが、それはお前が使うといい。母親に似たその厚顔に今さら厚塗りなどしたところで効果はないだろうが、心根の黒さぐらいは染められるやもしれぬ」
「いやですね、お義母様には敵いませんわ」
まあ、怖い。
わたくし、知っていますからね。いつも貴方が、わたくしとお兄様を亡き者にしようと目を光らせていることを。けれど、決して貴方の思い通りにはさせませんから。勝つのはわたくし達です。
きっと、お母様を殺したのもこの女なのでしょう。わたくし達からお母様を奪った罪は重いのです――――ですからこの女には、万全の状態で報いを受けさせなければ。
「ふざけたことを抜かしおって、……お前達の悪事、必ずわたくしが暴いてやるからな。もう何も、わたくしから奪わせはせぬ……!」
「最初に奪ったのは、貴方のほうでしょう? それに、貴方の思い描いていた未来とわたくしが信じる未来、どちらが正しいのか……判断するのは民ですわ」
もっとも、お兄様は暴君なのですけれど。とはいえ、シンフィ王子だって愚王になる未来しか見えません。優秀さで言えば断然お兄様のほうが上です。王妃派ではない宮廷人達が、お兄様が王子になってよかったと言い合っているのをわたくしは知っているのですから。
王弟殿下がこのまま王太子になるか、あるいは王弟殿下を摂政に据えてお兄様を王太子とするのか。それが、今の王位継承問題の主題です。五年前に病没したシンフィ王子のことなんて、だぁれも惜しんでなんかいませんでした。惜しんでいるとすれば、それは都合のいい傀儡を失ってしまった佞臣ぐらいのものでしょう。
「減らず口を……! 今に見ておれ!」
その“今”とやらは、果たして本当に来るのでしょうか? 来たところで、お兄様には何の影響も及ぼせないでしょうが……。
*
「殿下、お手紙が届いております」
「わたくしに?」
お部屋に戻ると、侍女の一人が一通の封筒を差し出してきました。差出人は……王弟殿下ですね。最近、たまに王弟殿下からお手紙が来るのです。王弟殿下が王都にいる今は、観劇やお散歩に誘われることもよくありました。一度も行ったことはありませんが。そんなことに貴重なお休みの時間を使うぐらいなら、お兄様と過ごすに決まっています。たとえそれが叶わなくても、カイの家に行ってアラーニェちゃんと過ごすことはできますし。
王弟殿下からのお手紙はプレゼントに添えられていることが多く、今日は可愛いドレスが一緒に贈られていました。可愛いのですが……何故、わたくしのサイズにぴったりのドレスを用意できたのでしょう。子供の体型には汎用的な基準があって、既製品で十分まかなえるのでしょうか?
王弟殿下からのお手紙は、念のため必ず目を通していますが、内容は変わり映えしないものでした。けれど今日のお手紙は、いつもと少し様子が違います。
季節の挨拶や自領の様子、珍しい異国の話などをちりばめた長い長いそのお手紙には、要約すればわたくしを自分の庇護下に置きたいということが書かれていたのです。人質にしたいのか、純粋にわたくしを慮っているのか、それとももっと別の欲望があるのか。お兄様やお父様もご承知のものだとは思うのですが……なんだか嫌な感じです。
こんなお手紙が届いたことは、今までありませんでした。王弟殿下のことは、お父様もお兄様も黙認しているのだろうと確認してはいませんでしたが……一度、聞いておいたほうがいいでしょうか。どうせもうすぐ死んでしまう方ですけれど、相談の実績はあったほうがいいですよね。
お兄様と二人きりの晩餐の席で王弟殿下の話をすると、お兄様は怪訝な顔をしてらっしゃいました。「どんな意図であれ、私の許可なくエイルに近づこうとするのは気に食わないな」……まあ、お兄様はご存知ないことだったのですね。黙っていたのは、わたくしの勝手な裁量です。申し訳のないことをしてしまいました。
こっそりお父様の執務室に行って王弟殿下の話をすると、お父様は眉根を寄せました。「あいつがそんなことをしていたなど、余は何も聞いていないぞ」……あら、まさかお父様もご存知なかっただなんて。これはきな臭くなってきました。
わたくしの身柄が王弟殿下のものになれば、王弟殿下もさぞ喜ぶはずです。それがどんな理由であれ、何か利益があるからこそ王弟殿下はわたくしと接触を図ろうとしているのですから。
そんな王弟殿下と、わたくしの仲を取りもとうとしている者がいるのです。お父様の耳にも入れさせず。それができる者は限られてくるでしょう。わたくしが消えて喜ぶ者、王弟殿下に恩を売って得をする者。該当するお方は、一人しかいないではないですか。
どのような形であれ、王弟殿下が王女たるわたくしを手に入れれば、お父様にとって下手に出られない存在になるのは必至。お父様だけではありません。お兄様派の貴族を納得させる材料にもなりえます。
王太子の座は王弟殿下のものになってしまいます。王弟殿下が王になった暁には、王弟殿下とわたくしの(便宜上わたくしが母親として扱われるだけかもしれませんが)子が王太子になるのです。それが神に許される範囲で、もっとも血の濃い継承ですから。そうなってしまえば、お兄様の手は王冠から永遠に離れてしまいます。
おまけにわたくしは、王弟殿下という鎖に繋がれておとなしくせざるを得なくなってしまうのです。養女ならば養父に、妻ならば夫に逆らえませんもの。
実際のわたくしは、王弟殿下に失礼がないようお手紙にお返事を書いていただけですが、もしわたくしが「叔父様のこと、大好きです!」などと言っていようものならすべてが詰んでいましたね。社交辞令であってもそのような言葉を使ったことはありませんから、言質を取られる心配はありませんが。
わたくしのような子供に、王弟殿下が興味を持つとは思えません。わたくしは形だけの立場を与えられて飼い殺されるのでしょうね。万が一興味を持つのであれば……その先は、あまり考えたくありません。お兄様の覇道の一助となるのであればそれもやぶさかでもないですが、現状では意味があるとも思えませんもの。
もう。本当に、王妃ったら人の悪い方。わたくしなんて、まだまだあの女の足元にも及びませんね。けれど、わたくし達のほうが強かなはずです――――信じていますからね、カイ。