わたくしの革命
「あらあら、思ったよりも早いのですね」
一か月後、ヘズガルズの宰相ローフォール伯爵から届いた密書を見て、思わず笑ってしまいました。向かいに座ったカイが不思議そうな顔をしています。
「ヘズガルズで革命の兆しがあるそうですわ。急いで帰りませんと。これでようやくヘズガルズをお兄様に献上できますもの」
宰相はわたくしが里帰りした理由を、懐妊中の自分を放置して寵姫とばかり過ごすルファル王子に愛想を尽かしたからだと説明したようでした。わたくしの意図した通りです。
イズンガルズの不興を買ってまでノルンヘイムに乗り換えたにもかかわらず、次の宿り木のあてもないのにノルンヘイムを蔑ろにする考えなしのルファル王子と、それを諫めもしない国王夫妻に、民は痺れを切らしたのでしょう。民が求めているのは、役に立たない王子ではなくわたくしです。
ヘズガルズがノルンヘイムに力で従わせられなかったのは、ヘズガルズの商業国としての強さのおかげだと国王も王妃も信じているようでした。そのせいで、二人とも楽観視しているのでしょう。一度ノルンヘイムの旗下に入り、友好国として十分な支援を行ったことでもうノルンヘイムとは対等になれた、と。確かにヘズガルズの裕福さと発展した交易路は魅力的です。だからこそお兄様も、犠牲を最小限に抑えてヘズガルズを穏便に取り込みたいとお考えになったのでしょう。ですが、お兄様がその気になればヘズガルズを制圧するのはたやすいことでした。
ノルンヘイムは今や大陸の覇者。ノルンヘイム王家出身の王太子妃さえいればヘズガルズの平和は約束されたも同然です。ですが、ノルンヘイムの次期国王たるお兄様は、叛意を持つ者ならばたとえ同盟国であっても容赦しないと知れ渡っています。もしもわたくしがヘズガルズを切り捨てれば、仮初の平和は一瞬で終わってしまうのです。弱者がより強い者に縋ろうとし、不要になった群れの長を追放しようとするのは当然のことと言えました。
ファムに命じて旅の支度をはじめます。行って帰って、慌ただしいこと。
お兄様の許可をいただき、カイに別れを告げて、久しぶりにヘズガルズの地を踏みます。民はわたくしを歓喜と共に受け入れました。
「帰ってきてくださったのですね、王太子妃殿下!」
「ああ、よかった……! どうか我々を導いてください、我々には貴方様が必要なのです!」
「ご心配をおかけし、申し訳ございません。ですがわたくしの心は、常に貴方達と共に在ります。何故ならば、皆様はわたくしの愛しい民ですもの」
わたくしを迎えるべく集った民は、みな滂沱の涙を流して跪いています。この辺境の町には、わたくしが立ち寄ると事前に宰相が情報を流していたので、革命軍の人間もいるはずです。当然、宰相が放った偽客も混じっているでしょう。
「わたくしのお兄様は、心を痛めていらっしゃいました。せっかく蛮族を改心させて大陸に平和をもたらすことができたのに、暴虐な王族に苦しめられる民がいたなんて、と。わたくしも、横暴な君主に振り回されて嘆き続ける貴方達の姿は見たくありません」
お兄様は貴方達の味方であると印象づけ、大義はこちらにあると示し。民衆は、救いを求めるような目でわたくしを見つめています。
「わたくしの望みはたったひとつ。この地をあまねく包み込む、慈悲の光をもたらすことです。ですがヘズガルズ王家は、嘆かわしいことにそのつとめを果たせなかった。だって果たせていたのなら、愛しい子らがこのように怯えて惑うことはないでしょう?」
お兄様、愛しいわたくしのお兄様――――エイルは、貴方の妹たれているでしょうか?
「国の頂に立つ王こそが、民を強く導く光としてあらねばなりません。己の移り気ひとつで国に混沌を落とし込むなどもってのほか。それは真なる王ではなく、王を騙るだけの暗愚の在り様です」
ですから、お兄様だけを信じなさい。お兄様だけがもっとも尊い、唯一の王。今こそ偽りの君主から王冠を奪い取り、真の統治者に捧げるのです。
「今、わたくしのお腹にはヘズガルズの新たな時代を象徴する命が宿っています。ヘズガルズに古くから息づく王家の血とわたくしの意志を継いだこの子なら、愚かな為政者になることはきっとないでしょう。……ですがこの子が正しき王として貴方達の前に現れるより先に、国は荒廃してしまうかもしれません。他ならない、この子の祖父や父親の所業のせいで。同じことは、貴方達の子にも言えます。無垢な子らが享受するはずだった幸福な未来を、大人の過ちで奪ってしまっていいのでしょうか?」
自分が不幸になるのは嫌でしょう? 後に続く世代から恨まれるのは嫌でしょう? 立ち上がるための大義名分が欲しいでしょう?
これはいわば聖戦です。暗君を廃し、己の手で勝利を掴むことの快感を知りなさい。選択するのは貴方達です。
「ヘズガルズの王太子妃として、わたくしはその不条理に立ち向かいます。共に偽りの王を討ち取り、この国に真実の平和をもたらさんとする勇士は、どうかわたくしに力を貸してくださいまし」
わたくしのお願いに、民は拳を天に突き上げて応えました。
自らの意思で選択したことならば、誰しもがそれを正当化したがるものです。後になってその判断が間違いだったと気づいても、すでに手遅れ。ヘズガルズの現王朝を捨てたのは、貴方達ですよ?
*
ヘズガルズの王都を目指す軍靴が高らかに響きます。町を過ぎるたびに行軍の列は長くなっていきました。
先導する王太子妃を見て、剣を捨てて跪いた賢明な騎士には微笑を。剣を抜いて斬りかかる愚かな騎士には民からの裁きを。武装する民衆の姿は王宮に向かうわたくしの護衛だと言えなくもないせいか、中央も手を出しあぐねているようです。宰相が派遣した、正規軍の存在も大きいでしょう。革命軍はごくごくわずかな血だけを流して王宮に辿り着きました。
「何故……何故だい、エイル? 何故貴女は、そのような野蛮な者どもと共にいるのだろう?」
夜も明けきれない、暁の頃です。これまでわたくしや宰相が行っていた根回しのおかげで、官僚や騎士達の多くは自ら投降したため、王宮の陥落はとてもあっさりとしたものでした。
ややはだけた寝間着姿のルファル王子は、事態がうまく呑み込めていないのか半笑いでわたくしを観ています。彼に縋りつく……ええと、なんというお名前だったかしら。とにかく、ルファル王子の寵姫は異様な雰囲気を感じ取ったのか凍りついていました。
「何故? 異なことをおっしゃいますわね。これこそわたくしと国民の総意です。ねえ、宰相」
「おっしゃる通りでございます、王太子妃殿下」
陰からぬっと現れた宰相に視線を移すと、宰相は恭しく一礼しました。これでもまだ王子は事態を飲み込めていないのでしょうか。
「私の移り気が貴女を寂しがらせ、嫉妬に駆らせてしまったのかい? なるほど、私は大罪を犯したようだ。いかようにも罰してくれ、貴女の気が済むまで。だからどうか、怒りを鎮めてくれないか?」
まあ。これにはさすがのわたくしも驚いてしまいます。このわたくしが、悋気から王位簒奪をもくろむと思われているだなんて。
「はぁ……。とてもとても残念です、ルファル様。夫婦として過ごした情もありますから、せめて一縷の希望があれば、と思ったのですが……やはりわたくしの選択は、正しかったのですね。……皆様、このような無様を晒していても、彼はこの国の王族でありわたくしの夫だった方です。どうか丁重に扱ってくださいまし」
この表情、ちゃんと悲しんでいるように見えるかしら。顔を背けて革命軍に指示を出し、踵を返します。宰相がここにいるということは、国王夫妻の拘束も済んだのでしょう。無事、王宮を陥落させることができました。
*
「わたくしとルファル王子の子は、いまだ生まれてもいません。たとえ優秀な摂政がいたとしても、幼き王はその無垢な傲慢さで国を乱す恐れがあります。……畏れ多くも、幼き王を傀儡にしようともくろむ佞臣がいないとも限りませんし」
昼になると、議員や大臣達と臨時の会議が開かれました。革命の主導者かつ、唯一現王家の象徴となれるわたくしも当然その会議には出席しています。わたくしに政はわからないのに、困ってしまいますね。
「王太子妃殿下は、よもや我らの忠義をお疑いになられているのですか?」
「この場にいる貴方達のことだとは言っていないでしょう? それに、たとえ今はおらずともいずれそのような二心を持つ者が宮廷に忍び込む可能性は誰にも否定できないはずです。どれほど澄んだ水も、廃棄物を投げ込まれれば濁るもの。我が子が王としての自覚に目覚める前に、悪に染まってしまうなどあってはならないことですわ」
議員の一人の言葉をぴしゃりと跳ねのけます。わたくしの邪魔はさせません。
「寵姫は、ルファル王子に目をかけられていました。寵姫の一族のような、腐敗した王族にたかり甘い汁を啜ろうとする一派にとって、わたくしやわたくしの子は目障りな存在でしょう。わたくしの心はヘズガルズにありますが……この子には、ノルンヘイムにて君主としての在り方を学ばせたいと思います」
だって、この国にいては危険ですもの。かつて王子の元婚約者とその一族がわたくしを暗殺しようとした事件は、この場にいる者達の記憶にも新しいでしょう。わたくしを強く咎める声は上がりませんでした。
「では妃殿下、君主が不在の間、我が国はどうすればよいのです?」
「ノルンヘイムが次期国王シグルズ・ヴィンタケーケン・ハルメニア・ノルンヘイムを君主とする、一時的な同君連合の形を提唱いたします。王太子妃の実兄である彼ならば、摂政位にもふさわしいでしょう。それに、我が兄の名があれば、たとえ独立王朝が立たずとも諸国に威を示して国家を守ることが可能です。我が祖国ノルンヘイムは、ヘズガルズに健全な統治をもたらすために最大限の助力をいたしましょう」
会議室がざわめきます。初めにその疑問を投げた宰相は、静かにわたくしの次の言葉を待っていました。
「無論、シグルズ王太子が統べるはノルンヘイムの地です。ヘズガルズには、これまでと変わらず独立した政府が存在しますし、実質的な統治は国内にいる貴方達の手でこそ行われるでしょう。……政府の中心に立つ者には、ローフォール伯爵、貴方を推薦いたします。これからも宰相として、国をしかと支えてくださいな」
「はっ、謹んで承ります」
あとはこの国の今後に関する話し合いをいくつかして、会議は終了になるようです。
後はわたくしではなくお兄様が参加なさることでしょう。無事にヘズガルズをお兄様に献上できました!
燻るだけの睨み合いに同盟国間の小競り合い、はたまた大規模な衝突、そしてうわべだけの停戦期間。すべてを含めて十年ほどの年月をかけて続くはずだった戦争も、この短期間で済ませることができました。聖鐘教の廃止によって一気に戦火を燃え上がらせられたことと、人の世のすべてを遊びとしか思っていない偽聖職者フロディによってお兄様が回り道をさせられなかったことと、そしてイズンガルズの最大の支援者だったヘズガルズを早い段階から掌握していたことが大きいでしょう。
お兄様がリーヴァを妃に迎えると決めたのは驚きましたが……物語において、イズンガルズの皇女を人質として娶ったのは、戦争が七年目に入って一時的な停戦を迎えた際のことです。
十年目、つまり物語の開始時には、皇女奪還のためにイズンガルズが停戦を破り、主人公も再度戦火に身を投じることになっていました。ですが今の皇女は九歳か十歳程度の子供です。死んでしまった叔父様ならまだしも、お兄様がそんな子供にたとえ仮初とはいえ妃の位を与えるわけがないでしょう。
リーヴァは恐らく、物語上では何らかの理由ですでに死んでいたのだと思います。ですがわたくしが運命を書き換えたためか、現実はあの物語のようにはなっていません。未来を変えたことで失われた命があるのなら、リーヴァは未来が変わったことで生き延びた命なのでしょう。
「現在幽閉中の王家の方々については、いかがいたしますか?」
「ああ……そうですわね、変わらず丁重に扱ってくださいな。王家の人間としての自らの不出来さを恥じ、反省してくださるといいのですけれど」
大臣が発した疑問にそう答えます。異議の声は上がりませんでした。
これで当分はわたくしがヘズガルズですべき仕事もありません。さあ、ノルンヘイムに帰りましょう。
ヘズガルズからの同君連合の打診を受けて、お兄様はとても迅速に行動してくださいました。ノルンヘイムの王位継承と同様に、戴冠式はお父様の喪が開けてから……あと四か月ほど先のことになるようですが、お兄様は実質的なヘズガルズの支配者になったのです。
しばらくして、国王夫妻が持病を悪化させて亡くなったと聞きました。何の病気かは存じませんが、おいたわしいことですね。
さらに不幸なことに、ルファル王子も風邪をこじらせてしまったんですって。手厚い看護もむなしく、もう長くはないとか。まだお若いのに、可哀想な方。




