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わたくしの結論

 今日はノルンヘイムから使者が来る日でした。わたくしはヘズガルズの王太子妃として、兵力面でも物資面でも、そして資金面でもノルンヘイムの助けとなるようヘズガルズの宮廷に働きかけています。その見返りとして、使者達が返礼を持ってくるのです。

 わたくしが少しお願いするだけで、ノルンヘイムから切り捨てられたくないヘズガルズの官僚達はよく働いてくれました。イズンガルズ側の国家に対する経済制裁に通行税の吊り上げ。どれも効果は絶大でした。

 もちろん、ヘズガルズの民を懐柔することも忘れてはいません。だっていつかルファル王子を廃した時に、円滑な統治ができなくては困りますもの。

 わたくしは、王太子妃(わたくし)の予算を削って民草に施しをしていました。それでも足りない分は持参金から賄っています。孤児院や医院に多額の寄付をしたり、救貧院で暮らす者を人足とした公共事業を提案したり。わたくしは、政治も何もわからない小娘です。ですが、慈善活動ならばどれだけ励もうとも誰にも咎められはしません。わたくしに与えられた予算を使っての采配なのですから、なおさらのことでしょう。

 もちろん公共事業については、宰相であるローフォール伯爵にきちんと相談したうえでのものです。ヘズガルズの宮廷を実質的に取り仕切っているのは、この実力だけで今の地位を手に入れた野心家の老伯爵でした。国王夫妻は遊興に耽るしか能のない小心者で、王子も伊達男気取りの軟派者。そんな彼らを掌握するのは実にたやすく、次にわたくしが味方に引き入れるべきはローフォール伯爵以外にいなかったのです。

 ローフォール伯爵はトクラー侯爵の政敵でした。自らの手腕のみを頼りに成りあがった宰相にとって、家柄だけで宮廷を牛耳る筆頭貴族は邪魔以外のなにものでもないのです。トクラー家の鼻を明かすだけではなく、トクラー家を潰すきっかけとなったわたくしに、宰相がおもねるようになるのは当然の帰結でした。もしかしたらルファル王子がトクラー家の令嬢との婚約を破棄できたのも、ローフォール伯爵が裏で手を回していたからかもしれません。トクラー家が王家と縁づいてしまえば、ますます彼の出る幕がなくなってしまいますもの。

 放置されていた古い街道の整備、街中の下水道や煙突の掃除。わたくしが提言したものは、王家にとっては重要度の低いものばかりです。ですが、民の暮らしに直結するものでした。

 貧民に働き口を用意したいと言ったわたくしを、ルファル王子は慈悲深いと褒めそやし。一方のローフォール伯爵は含みのある笑みで賛同しながら、さっそく動いてくれました。……恐らくローフォール伯爵は、わたくしがどういった女であるかも、ヘズガルズを真に治めるべきが誰なのかも理解しているのでしょう。優秀な臣下は、わたくしも大歓迎です。働きぶりに応じた評価をしてあげることにしました。

 わたくしの名のもとに行われた慈善事業の数々に、ヘズガルズの民も歓喜の涙を流しているようでした。これでわたくしの評価は盤石です。庇護(あい)してくれる王太子妃(わたくし)に報いるため、一丸となってノルンヘイムの支援をすることに、民草も異存はないようでした。これでヘズガルズは、ノルンヘイムのいい養分となってくれることでしょう。

 戦勝を重ねるノルンヘイム側、敗北の色が濃いイズンガルズ側。どちらにつくべきか、諸国の王にもご理解いただけたようです。イズンガルズの同盟国だった国々はひとつ、またひとつと白旗を上げていました。物語では十年近く続いたこの戦争ですが、早々にヘズガルズというイズンガルズ側の主要同盟国を抑えたおかげで短縮化が見込めます。イズンガルズ、そしてスカジガプが降伏するのも時間の問題でしょう。

 物語においても、ノルンヘイムは基本的に優勢を保っていました。お兄様が辛酸を舐めることになるのは、“主人公(かれ)”が出陣したときか、主人公(かのじょ)が小細工を弄したときだけです。“主人公(かれ/かのじょ)”が死んだ今、戦況が覆ることはありえません。


 ノルンヘイムからの使者が到着したとの報告を受け、ルファル王子と共に謁見の間に向かいます。並ぶ使者達の中にはカイもいました。使者達はこれから一週間ほど、迎賓館に滞在する予定になっています。

 トクラー侯爵の妨害がなくなった今はお兄様ともお手紙のやり取りができるようになりましたから、カイも使者団の中にいることは事前に聞かされていました。カイが前線に立たなくてもよくなったということは、やはり戦局は安定しているのでしょう。カイまでもがお兄様の傍から離れていることに一抹の不安こそありますが、じきにスカジガプも陥落()ちて偽剣レーヴァテインが手に入るはずです。たとえわたくし達が不在の間にスルトを引き寄せてしまったとしても、十分対処できるでしょう。

 ローフォール伯爵には、カイへの秘密の言伝を頼んでおきました。零時になったら王宮のとある部屋にこっそり来るように、と。謁見の間、いつも通りのローブとマスクで日光を遮断したカイは、わたくしのほうを見ようともしません。ですがローフォール伯爵の目配せからして、わたくしの言葉はカイに伝わっているはずです。

 それが正しかったことは、夜にわかりました。夫婦の寝室で窓を開けて夜風に当たっていると、ふいに強い風が吹いたのです。一瞬ののち、部屋の中には夜に融ける黒いローブを纏ったカイが立っていました。窓を開け、目印を用意しておいたかいがありました。ああ伝えておけば、カイなら絶対に風になって窓から侵入(はい)ると思ったのです。


「わざわざ呼び出して、なんの……うわあっ!?」

「時間通りですわね、カイ」


 一糸まとわぬ姿で寝台の上に這うルファル王子を見て、カイは慌てて目をそらしています。だらしない声を上げながら一人で腰を振る王子の姿は、同性のカイから見てもやっぱり見苦しいものなのでしょうか。


「ほとんど毎晩このありさまですの。おかげでわたくし、この方が静かになるまでは眠ろうにも眠れませんわ。本当は、同じ寝台で眠るのも汚らわしいのですけれど」

「も、もしかして、まだあの香を使ってるのか? もう二月は経っただろ?」

「だってこの方、とても気持ち悪いんですもの」


 もちろんお兄様のためならばなんだっていたしますけれど、だからと言って心まで娼婦に堕ちる気はありません。わたくしの肌はそこまで安くないのです。

 わたくしの気を引こうと必死になっているのであればいじらしくもありますが、自分こそ世界中の女性を魅了する伊達男だと信じて疑っていないような自信に満ちた振る舞いがいちいち鼻につきますもの。……わたくしはもう王子の虜だと思われるよう、わたくし自身が仕向けた節もあるのですけれど。


「さ、カイ、早くわたくしをここから連れ出してくださいな。わたくし、自分の部屋に帰りたいのです。もちろんその部屋も、窓は開けてありますわ」

「あ、ああ」


 両手を伸ばすと、カイは少しためらうようなそぶりを見せながらもわたくしを横抱きに抱えて窓から飛び降ります。香が薄れてしまわないようにでしょう、風の力を使ったのか窓はひとりでに閉まっていきます。わたくし達を魔術の風が包み込み、たちまちわたくし達は風になりました。


「まあ。今日の月、とても綺麗ですわ!」

「月なんて、いつ見ても同じだろ」

「そんなことはありません。よくごらんなさいな。そういえば、この国に来てから気づいたのですけれど……貴方の瞳は、月のように見えませんこと?」

「はぁ?」

「きっと導きの三神は、人の身でありながら美しい月を宿す者が気に入らなかったのでしょう。ですから呪いをかけてしまったのです。決して太陽の下を歩けないように。月は、太陽がなければ輝けませんもの。けれどカイにとっての太陽はお兄様ですから、なんの問題もありませんわね」

「……」


 わたくしの部屋にはすぐつきました。この部屋には、特別に手配させた防音の魔術がかけられているので安心でしょう。


「ほら、ついたぞ。さっさと寝ろよ。明け方になったらあの部屋に戻しておいてやるから」


 室内に降り立ったカイはわたくしを降ろし、くるりと踵を返します。


「あら。確かに夜明けにはあの部屋に戻らないといけませんけれど、わたくしは眠るために私室に戻ったわけではなくってよ?」

「え? じゃあ、なんで……」


 ですが、行かせるわけにはいきません。カイが出ていかないように、しっかりとその腕を掴んで窓を閉めます。カイのくせに、わたくしにみなまで言わせるつもりなのでしょうか。


「ルファル王子は毎晩のようにわたくしと寝所を共にしています。ですがわたくしは乙女のまま。このままでは、あと一年も経たないうちにわたくしは石女(うまずめ)と呼ばれてしまうかもしれません」

「あ、あの香は、君が王子に慣れて心の準備を済ませるまでの時間稼ぎのためのものだ。今の王朝の血統を残すためにも、あの王子の子を産まないといけないんだろう? そ、それなのに、今の今まで君はあの王子のことを……本当に、なんとも思ってないのかよ?」

「わたくし、気づいてしまったのです――既成事実がある以上(・・・・・・・・・)父親は誰でも構わない(・・・・・・・・・・)、と」

「なッ……!」


 ここまで言えば、鈍いカイでもわたくしの目的を理解したようです。

 側近達は、誰一人としてわたくしとルファル王子の仲を疑っていません。ルファル王子本人も、妄想の中のわたくしを本当のわたくしだと信じ込んでいます。

 わたくしの紫の髪も、カイの白髪金目も、遺伝するものではありません。ラシック家のおじさまとおばさまの髪や目の色は典型的なノルンヘイム人の色、すなわちわたくしのお父様とお母様とよく似た色です。母親(わたくし)の血が濃く出たのだと言えば、産まれた子供にヘズガルズ人の特徴がなくとも周囲は違和感を覚えないでしょう。

 毎夜ルファル王子に愛されているわたくしが子を宿せば、誰もがその子をルファル王子との子だと思うはずです。わたくしは、今この瞬間もここにはいないことになっています。今の時点で唯一子供の血統を疑えそうなのは、カイとの密会を知るローフォール伯爵ぐらいのものですが、彼だってわたくしを敵に回せばどうなるかは察していることでしょう。だからこそ、伝令役に伯爵を選んだのです。


「どのみちヘズガルズはお兄様(ノルンヘイム)のものになります。王位を継ぐのはあの王子の子より、わたくし達の子のほうが都合がいいではないですか。ねえ、カイ。この国の王の父親になる気はないかしら?」

「ふざけるな! ほ、本気で言ってるのか!?」

「もちろん本気です。これが二ヵ月間ヘズガルズの王太子妃として暮らした結果、わたくしが出した結論ですわ」


 お兄様の妹として、誰のもとにだって嫁ぐ覚悟は決めていました。どんな場所に行こうとも、己の使命をまっとうするつもりでした。それでも、無理なものは無理なのです――――わたくしは、好きでもない男に身体を許す屈辱に耐えることができません。


「そ、そんなこと、許されていいわけがない……」

「わたくしが許します。お兄様もきっとわかってくださいますわ。他の誰の許しがいるというのです?」

「絶対、絶対間違ってる……!」

「貴方なら違う結論が出せるとでも? 貴方にわかるというのかしら? あの汚らわしい欲望を見せられた時のわたくしの憎悪が。吐き出された汚物が放つ悪臭に当てられるみじめさが。わたくしの名を呼びながら果てる男が、どれだけ浅ましくおぞましいのか!」

「あ……あの王子の、一体何が気に入らないんだよ!? あいつは確かに馬鹿そうな奴だったけど、君と並んでも引けを取らないぐらいの色男じゃないか! それに、君を愛してるはずだ!」

「わたくしにだってわかりませんわ! けれどあの男に身を委ねるぐらいなら、カイと情を交わしたほうがはるかにいいのです!」


 石女という悪評を立たせるわけにはいきません。そうなれば、わたくしがどれだけ宮廷を掌握しようと“王太子妃”というカードは弱くなってしまいますもの。それだけではありません。“国母”というカードを切れなくなるのです。ルファル王子の身に何かあったとき、子供の有無はわたくしの立場を大きく左右するでしょう。

 だからこそわたくしは、なんとしてでも子供を産まないといけないのです。そして幸運なことに、父親をルファル王子だと周囲に誤認させられる環境は揃っています。そうである以上、その子の父親はわたくしが決めていいのです。

 

「なっ……なんで、君は……そうやって……! でも、ルファル王子で駄目なら、僕はもっと駄目じゃないか!」

「わたくしを拒むというのですか!? カイのくせに生意気ですわ!」

「だって、だって僕はこんなに浅ましくて醜いんだぞ!? あの王子すら毛嫌いした君が、僕のことを大丈夫だと思えるわけがない!」


 わたくしの手を振り払い、カイは頭を抱えてその場に膝をつきます。見開かれた月の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちました。


「君に……君に、拒絶されたら……僕はっ……!」

「どうしてわたくしに拒絶されると思うのです。お兄様に重用される貴方のことは嫌いですけれど、お兄様に信頼されるだけのことはあると認めてもいますのよ? それに……わたくし、月が綺麗だと言ったはずですわ。貴方のことを醜いと言ったことなんて、一度だってあったかしら」


 跪き、カイの涙をぬぐいます。黒いマスクも取り払ってしまうと、カイの唇が不安そうにわななきました。

 言い聞かせるより、実際にやってみたほうがわからず屋のカイにも伝わるでしょう。物は試しと唇を重ね――――思った通りです。王子と違って、嫌な気持ちにはなりません。

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