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僕の虚勢

* * *


「エイルの結婚相手が決まったぞ」

「へぇ、そうなんだ」


 にやにやと笑いながらシグルズがそう告げた時、僕の心にはある種の平穏がもたらされていた。これで、これで全部終わった。もう何も考えなくて済む。

 久しぶりに王宮に戻り、宮廷魔導師達の城で戦果の報告書をまとめようとした僕にその報せを持ってきたシグルズは、何を思っているんだろう。僕の浅ましい胸の内は、見透かされていやしないだろうか。

 しばらく前からエイルが婚約者を探しているのは知っていた。だから僕は行動に移した。僕ら兄弟の釣書を送ろうとする母さんを必死に説得して辞めさせて、僕のことはいいから弟達の結婚相手だけ考えてくれと訴えて。自分から戦場に積極的に赴いて、敵兵を殺して土地を焼くことだけに集中して。そうすることで、僕は王宮から……エイルから逃げた。

 だって僕は、エイルの求めているような男じゃないからだ。エイルの婚約者に名乗りを上げる資格すらない僕が図々しくその視界に収まることに、どうしても耐えられなかった。エイルが誰かを選んで、その誰かがエイルにべたべたと触れるところを、見たくなかった。全部全部、僕の全然知らないところでやってほしかった。


「なんだ、それだけか? つまらんな」

「他にどういう反応をすればいいのさ」


 どうか醜い僕を見ないでほしい。シグルズはこの程度で僕を軽蔑しないとわかっているけれど、それに甘える自分が嫌だ。日に日に綺麗になっていくエイルを、僕はこれ以上見てはいけないし、彼女に対して僕がそんなことを思っているなんて、決して他人に知られてはいけない。


「そういうシグは、結婚とか考えなくていいの? 君だって、方々から誘いが来てるだろ。君の眼鏡に適うご令嬢はいないのか?」

「結婚などより先にやらねばならんことがあるのでな。それに、女ならばリーヴァが一番面白い」

「ああ……。彼女も中々折れないね」


 思った通りの反応が得られず、シグルズは代わりだと言わんばかりに僕を存分に痛めつけてから帰っていった。おかげで思考はすぐに痛みに塗り潰される。ばったりエイルに会っても、きっと大丈夫だ。


*


「んー……。やっぱりカイなら平気でしたけど……これでは何の練習にもなりませんわ」


 昨日の僕は、我ながら完璧だったはずだ。エイルに会って、ちゃんとお祝いの言葉も言えた。どこぞの王子に嫁いでも、エイルはうまくやるだろう。それがシグルズのためになることなんだから。

 それなのに、今日のこれは一体どうしたことだろう。なんで僕の執務室を開けたら伴もつけていないエイルがいて、問答無用で押し倒されているんだろうか。……訂正。エイルに正面からすごい勢いでぶつかってこられて、バランスを崩して座り込んだ僕の脚の上にエイルが乗っている、が正しい。あまり変わっていない気もする。


「いきなりなんなんだよ……。ついに気でも狂ったか?」

「カイがまだ宮廷魔導師の城の執務室にいることは、事前に他の者から聞いていましたもの。いつ戦場に戻るかわからないんですもの、すぐ行動したほうがいいでしょう?」

「何の説明にもなってない!」


 華奢なエイルを押しのけて、立ち上がることは決して無理ではないはずだ。せっかく鎮めた心がまた荒れる前に、胸の音が押さえきれずに伝わってしまう前に、エイルから逃げなければいけない。それなのに。


「わたくし、お父様やお兄様には抱きつくことができますわ。そして今、カイにもできることが証明されました」

「えっあれ抱きついてきてたのか?」

「受け止めきれないカイが悪いのです! ……こほん。けれど、同じことをルファル王子にできるかわからないのです」

「な、なんだよ、急に」


 エイルの小さな白い右手が、僕の頬にそっと触れた。


「カイ……。わたくし、怖いのです。わたくしはもうすぐ、ルファル王子のもとに嫁ぎますが……わたくしは、あの方を愛せるのかしら……」

「かまととぶるのはそれぐらいにしろよ。手練手管の練習台に僕を選んだのは失敗だったな」


 震える指先を無理やり引きはがす。すると、エイルは興が冷めたようにあっさりと立ち上がった。


「あら、わたくしはちゃんと考えて貴方を選びましたのよ? だってカイならわたくしに騙されませんもの」

「……くだらない」


 騙されない、か。確かにそうだ。不安そうなエイルを抱き寄せて、望まない縁談から助けてみせると囁く……そんな愚行、僕は絶対にしないから。

 僕はシグルズの側近だ。僕のすべてはシグルズのためにある。シグルズの意に沿わないことは決してしてはいけない。そしてそれは、エイルも同じだ。シグルズに身を捧げたエイルが受けると決めた縁談なら、それを妨げることはエイルへの侮辱に他ならない。


「ですが、不安に思っていることがあるのは事実です。ルファル王子に近づかれると、なんだか背筋がぞわぞわしてしまって。幸い気づかれてはいないようですけれど、このざまであの方を掌で転がせるようになるのかしら……」


 見栄を切った手前、“できない”では済まされないのに。そう言って目を伏せたエイルの悲しそうな顔に、心がざわつき出す。ああ、だめだだめだ、惑わされるな。うるさいうるさい。静かになれ。

 ……そうだ、嘘だ。今想っていることは全部全部嘘。だから、僕は、これをちゃんと嘘にしないといけない。

 口元を覆うマスクを外し、うつむくエイルの手を取る。エイルは不思議そうに僕を見上げた。


「大変そうだね。……僕ならそんな思い、させないけど?」


 いつかその王子からもらう指輪を嵌めるであろう、左手の薬指。そこに強く噛みつく。血が出そうなほどに深く。治癒の力を持つエイルなら、こんな傷痕なんてすぐに跡形もなく消してしまえるだろう。

 それでも白髪金目特有の鋭い犬歯は、誓いの指輪より先に痕を残した。傷口を啜り、滴る血を舐めとる。苦くて、まずい。


「でしょう? ですからカイに相談に来たのです」

「あのさぁ」


 ――――思った通りの反応だ。

 そう、僕達は幼馴染で、シグルズへの忠誠を誓った同志。恋愛感情なんてものが挟まれる隙はない。だから僕が何を言っても、何をしても、エイルの心は動かない。エイルの心には、届かない。


「そこは、“気持ち悪いですわ”とか“軽々しく触らないでくださる?”とか言って振り払うところだろ」


 わざとらしいため息をつきながら離れる。大丈夫。これで、全部嘘になった。エイルに、僕は自分に付き合ってやっているだけだと思ってもらえる。


「だって、本当に大丈夫なんですもの。同じことをルファル王子にされると不快ですけれど、カイなら平気なのです。どうしてかしら?」

「さすがにそれはあざとすぎ」


 こてんと首をかしげたエイルに呆れ顔で答えても、エイルはどこ吹く風だった。


「それはそれとして、本当に困っているのです! だってルファル王子に触られるのが嫌なままでしたら、その……あのですね、夫婦の……」

「最後まで言わなくていい。大体わかったから」


 聞きたくない。何も。

 エイルは婚姻という形で、シグルズの役に立つことができる。僕には真似できない、エイルだけの特権だ。

 羨ましい。僕にはできないやり方でシグルズに尽くせるエイルが。何もしていないのにエイルを手に入れられる男が。どうせ利用されるだけの男のくせに。エイルのことなんて、何も知らない分際で。

 でも、邪魔はできない。僕ごときがシグルズの考えに異を唱えられるか。エイルの決意に水を差せるか。そんなことをするぐらいなら、舌を噛んで死んだほうがましだ。

 ……駄目だ。心がぐちゃぐちゃになる。何も考えるな。


「でも、シグもそこまで求めていないんじゃないかな。だって、どうせヘズガルズは陥落させるんだろ? ヘズガルズを手中に収めれば、君と王子の結婚なんて無意味なものになる。ヘズガルズの現王朝に価値をなくせば、わざわざ王子との子なんて儲けなくてもいいじゃないか」

「ですけれど、国を奪った後も円滑な統治をするためには最後の王朝の血筋が必要ではありませんこと?」

「あー……。じゃあ、折衷案だ。君はもうすぐ結婚しなきゃいけない、だけどそれまでに王子に慣れるのが難しい。なら話は簡単だ、もっと王子のことを知るための時間を稼げばいい」

「結婚は先延ばしにはできませんわよ?」

「そんなことはしないさ。ちゃんと予定通りに挙式はさせる。二日くれればなんとかするよ」


 大丈夫、大丈夫。僕の心はまた凪いでくれた。その証拠に、エイルと知らない男の夫婦生活が円満になるよう助言だってできている。

 国益のため、王のため。僕はいくらでも自分を殺そう。醜い僕は、そうするのが当然なんだから。こんな僕を、シグルズとエイルは許容してくれた。だからと言ってそれ以上を望むのは、おこがましいにもほどがある。


*


 魔術的な素材をふんだんに使って特別に調合した香を、エイルは喜んで受け取った。

 新たな年を迎え――――ついに、エイルの婚礼の日がやってきた。シグルズのはからい(・・・・)で、僕は戦場から呼び戻されて一番いい席でそれを見ている。


「綺麗だろう、エイルは。兄の欲目とは言わせんぞ」

「……」


 純白のウェディングドレスを纏い、見目麗しい王子の横で微笑む清楚な姫。ああ認めようシグルズ、確かにエイルは綺麗だよ。

 シグルズが僕に何を言わせたいのか。そんなこと、ずっと前からわかっていた。でも、僕はそれに気づかないふりをした。言わない僕を見て、シグルズは新しい愉しみを見つけたようだった。それでシグルズが満足するなら、なおさら僕は口を閉ざした。


 だって、言えるわけがないじゃないか――――醜い僕が、こともあろうに美しいエイルを好きになってしまったなんて。


 エイルがシグルズに似ているから、シグルズへの忠誠の延長でエイルのことを目で追って、シグルズの代わりにエイルを愛してしまったのか。それとも、エイル・エーデルヴァイス・ハルメニア・ノルンヘイムの邪悪さを知っていてもなおその可憐さに魅せられて、エイルという猛毒に自ら蕩けてしまったのか。あるいは、どんな時でもシグルズを第一に考える、どこまでもまっすぐでどこかおかしい彼女という存在に安堵を抱き、そのありようを信頼し、彼女そのものを好ましいと思ったのか。もう僕にもわからない。それについて考えることはすぐにやめたからだ。

 たとえ理由が何であれ、エイルは絶対に僕の手の届かないところにいる。そんな存在に焦がれたところで空虚が広がるだけだし、焦がれた理由を辿るなんてなおさら無意味なことだろう。


 ノルンヘイムが戦勝を重ねていることもあって、式はとても華々しいものだった。誰も彼もがエイルの結婚を祝福している。めっきり表舞台に現れることのなくなった国王陛下も、今日ばかりは王として参列していた。ノルンヘイムの貴族達はもちろんヘズガルズの貴族達も、エイル達を見て眩しそうに目を細めている。

 ルファル王子は軽薄で、頭がいいとは言えなそうだったが……だからこそ、愛らしいエイルの本心を見抜くことはないだろう。せいぜいエイルの手のひらの上で踊るといい。

 ヘズガルズでも、エイルはしぶとくたくましく生きて彼女なりの戦果を挙げていくはずだ。それこそシグルズがエイルに望んだことで、エイルの目的なんだから。

 エイルとルファル王子は誓いのキスを交わす――――決して表に出してはいけない僕の初恋は、これで終わった。


「ッ、なんだ!?」

「父上……!?」


 それを見届けた途端、にわかに周囲が騒がしくなった。慌ててシグルズと共に周囲を見渡す。原因はすぐにわかった。国王陛下だ。国王陛下の胸が、刃に貫かれて紅く染まっている。その後ろにいるのは、ルファル王子の護衛のためにヘズガルズからやってきた兵士だ。


「見よ、暗愚の王は討ち取った! ノルンヘイムに災いあれ!」

「おのれヘズガルズ、我らを(たばか)ったか……! その者を捕えよ!」


 誰もが浮かれ、視線を初々しい夫婦に向けている間の凶行だ。剣を引き抜いて刺客が叫ぶ。国王陛下は倒れ伏し、シグルズの号令により刺客はその場で拘束された。一拍おいて、エイルの悲鳴が響く。崩れ落ちるエイルをルファル王子が慌てて支えていたが、ノルンヘイムの騎士達がすぐにエイルを保護してルファル王子に疑惑の眼差しを向けていた。

 祝いの席を一転して緊張感が包み込む。陛下を手当てしようとする者、わけもわからず逃げ出そうとする者、ヘズガルズ側の参列者を取り囲むノルンヘイムの騎士、弁明を叫ぶヘズガルズの有力者。そんな狂乱の中で、シグルズが一瞬だけわずかに口元を歪めたのを、僕は見ていた。


*


 国王陛下を暗殺したのは、ヘズガルズの兵士に扮したイズンガルズの人間だった――――エイルの結婚式の日に起きた、陛下の暗殺事件はそう発表され、暗殺者は速やかに処刑された。イズンガルズは当然これを否定したが、少なくともノルンヘイム側の国家はどこもイズンガルズを信じなかった。

 祝福されるべき王女の結婚を血塗れたものに変え、和平の足掛かりになるかもしれなかった契りを壊したイズンガルズに報復を。それがノルンヘイムの民の総意となるのにそう時間はかからなかった。

 ノルンヘイムの王女とヘズガルズの王子が縁づくことを、イズンガルズは認めていない。先の暗殺事件の真犯人が明らかになったことで、ヘズガルズ側もそう判断した。そもそも暗殺者を宴の席に紛れ込ませたのはヘズガルズの落ち度だ。イズンガルズに嫌われているとわかった今、ヘズガルズ側もこれ以上ノルンヘイムの悪感情を買うわけにはいかなかったのだろう。ヘズガルズは正式にイズンガルズと手を切ることを決め、ノルンヘイムと同盟を結び直した。

 ヘズガルズの王子がノルンヘイムの王女に縁談を持ちかけた正確な理由は、僕にもわからない。それでもヘズガルズはイズンガルズ派から離反した。ノルンヘイムの王を暗殺する片棒を担いでしまったのだから、ヘズガルズはもうノルンヘイムに頭が上がらないだろう。

 そんな混乱の中、予定より少し遅れはしたもののエイルはひっそりとヘズガルズへと嫁いでいった。陛下の葬儀にだけ参加し、父を目の前で喪っても負けずに異国の地からノルンヘイムを守ろうとする気丈な王女として民に別れを告げて。


「エイルは悲劇の王女になって、ヘズガルズから主導権も奪えた。……ねえシグ、これで満足か?」

「ん? ああ、そうだな」


 僕とシグルズ、二人しかいない王の執務室でシグルズはくつくつと笑った。

 戴冠式は一年後、シグルズが十八歳になった時だ。亡き陛下に敬意を表し、成人までは王と名乗らないとシグルズは公表した。だからまだシグルズの立場は王子に過ぎない。

 それでも、シグルズはもうこの国の支配者だった。元からずっと実権を握っていたのは、陛下ではなくシグルズだから。

 たとえ玉座が空席でも、それについての混乱は一切ない。シグルズは周囲の期待通りの手腕を発揮し、外交面でも内政面でも素早く今後の対応を決めて手を打っていた。


「王としての機能も意味も残っていない男でも、最期は華々しく飾った舞台を用意したいと思ってな。愛娘の結婚を見届けて、我が治世の礎となって死ねたのだ。父上もさぞ喜ばれたことだろう。父上の死は民に深い傷を残した。これで、多少のことでは世論も和平には傾かんさ。民が求めるは、徹底的な敵の蹂躙のみよ」

「エイルは……どこまで、知ってたんだ?」

「何も知らんさ。昨日、ヘズガルズに発つ前に、お前と同じことを訊いてきたがな。私のおかげで父上が救われたと、嬉しそうに発っていったわ」

「……そっか」


 自分は何も間違っていないとでも言うように、シグルズは優しい目をしていた。それこそシグルズが持つ、憎み憐れみながらも嫌いになれなかった父王への愛の形だったからだろう。


「ねえ、シグ。……もしも僕が、君にとって価値のないものになっても……君は僕にも、最期にふさわしい舞台を与えてくれる? たとえ今の僕が君に用済みだって判断されても、僕は、君を輝かせるための礎として再利用してもらえるのか……?」


 呪われた僕こそを、シグルズは認めて愛してくれた。だけど身の程知らずの卑しい僕を、彼の側近のくせにエイルに恋い焦がれてしまった愚かな僕を、彼は最期まで見捨てないでいてくれるのだろうか。

 シグルズは一瞬きょとんとして――――笑いながら、僕が望む通りの答えを与えてくれた。


* * *

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