わたくしの見通
お兄様が聖鐘教の排斥を宣言なさってから、あと一月半で四年目が過ぎようとしています。
あの日以来、大陸の勢力図は思った通りの方向に塗り替わってくれました。
まず、聖鐘教の聖職者の亡命。おめおめと尻尾を巻いて逃げ去る者達にかまけている暇はありません。彼らについてはすでに押収できるだけの金品も押収していましたから、彼らに残された価値あるものと言えば自分の命ぐらいのものでしょう。着の身着のままの彼らのその後に、興味はありませんでした。
次に、お兄様に希望を見出した諸国の白髪金目と紫色素の流入。悪徳貴族や聖職者達を一掃したおかげで、有用な彼らを保護する手はずはすぐに整いました。一度迫害の苦しみを知る者達のよく懐くこと。想像通り、彼らはお兄様のために働くいい駒になってくれています。
おかげでノルンヘイムの国力はさらに上がり、イズンガルズとも水を開けていました。その分見慣れない者が王宮を闊歩することも増えましたが、お兄様の傍に寄る者に対しては厳しくチェックしています。今のところ、お兄様に物語で見た数々の甘言を囁く不届き者は出ていません。
そして、我がノルンヘイムを包む諸国間の緊張。聖鐘教を排したノルンヘイムは諸国の反感を買い、特に聖鐘教の総本山であるスカジガプ教皇国との関係は悪化の一途をたどるばかりでした。
ですが、ノルンヘイムはもともとイズンガルズと大陸の覇権を争う二大大国です。そのような地位にいたので、ノルンヘイムに追従する国も少なくありませんでした。お兄様の外交手腕もあって、イズンガルズ・スカジガプ側との争いも机上の睨み合いだけで済んでいます。もちろんその危うい均衡は、そのうち崩すつもりなのですが。
わたくしが滅ぼすべき害悪、終焉の獣スルト。あれを討つ鍵は、実はこの不安定な情勢にあります。
かつて再臨の鐘が鳴り響いて―もしかしたら神は、スルトの破壊活動に対する警鐘のつもりでこれを鳴らしていたのかもしれません―スルトが世界のほとんどを破壊した時、ほんのわずかですが生き残った命がありました。そして創世の鐘が鳴り、数少ない生存者の手によって世界は再建されたのです。力を放出しきったスルトは再び眠りにつきました。
そして今、再び目覚めようとしています。もしかすると、もうすでに目覚めていて水面下で活動しているのかもしれませんが。
スカジガプには、聖剣……と呼ばれているものがあります。その剣こそ、かつてスルトによる破壊を生き延びた人間が作った宝具であり、聖鐘教が掲げる「天使」の偶像でした。しかるべき時にはこの剣に宿る天使が罪深き魂に裁定を下す、とかなんとか。
もちろん、この剣をスルトが依り代にしているという事実はありません。ですがこの剣は、他の剣とは違う特別なものでした――――この剣を打った鍛冶屋は、邪神の寵愛者だったのです。
スルトによって故郷も愛する者も奪われた鍛冶屋は、燃え上がる憎悪を糧に剣を打ちました。すべてを破壊しつくさんとスルトが放った炎を思いながら、炉で輝く火を見つめていました。スルトを討つ武器を造るため、命の灯火を燃やし尽くしました。そうしてできあがった獣殺しの剣は、スルトと同じような業火の力を宿していたのです。
スルトと渡り合うことができ、なおかつスルトを殺すことができる剣。一人の天才が打った奇跡の剣は、銘を偽剣レーヴァテインと言いました。広く知られた逸話ではありません。わたくしがこれを知っているのは、物語の中で聖鐘教の無能さに見切りをつけた“主人公”が偽剣レーヴァテインの本当の役目を知る出来事があったからです。
もちろん聖鐘教は、偽剣の真実を知りません。単純に、偽剣に宿った炎の力から偽剣を天使の偶像とみなしているだけです。まったく、無能にもほどがありますね。
もっとも、スルトが偽剣レーヴァテインの存在を無視しているのは、聖鐘教が掲げる「天使」が馬鹿らしすぎて歯牙にもかけておらず、偽剣の真の存在意義に気づいていないから……という仮説も成り立つので、その点だけは聖鐘教の愚かしさに感謝していますが。
物語中のとある分岐の中で、“主人公”はノルンヘイムで革命を起こしてお兄様を討ち、虜囚の身だったイズンガルズの姫君を助け出すことで大陸の争いを収めます。
聖鐘教からその功績を称えられた際、“主人公”は褒美として偽剣レーヴァテインを求めました。そして偽剣レーヴァテインを手に、スルトとの最終決戦を迎えるのです。
偽剣レーヴァテインがあれば、あの獣を討伐することができます。
ですが、わたくしには“主人公”のような功績を立てる手段がありません。
正攻法では偽剣を譲ってもらえないのです――――ですから、スカジガプごと手中に収めてしまうことにしました。
火種はとうに撒きました。ノルンヘイムにおける聖鐘教の排斥という、特大の火種です。カイを頼りに、スルトらしき不審者を探していますが、いまだそのような不審者がお兄様の近くで出没したという報告は受けていません。時間稼ぎは大成功のようです。
これまでの間に、聖鐘教……ひいてはそれを擁護する諸外国との戦争の準備も整えました。どうせ偽剣の正しい使い方も知らない烏合の衆の手元にあるより、わたくしが偽剣を使ったほうが鍛冶屋も喜んでくれるでしょう。
聖鐘教が行う差別は悪だと国内はもちろん属国および同盟国に知らしめたことで、聖鐘教の力はかなり削ぐことができています。あとはスカジガプを陥落とし、どちらが勝者かを見せつけるだけ。戦利品として、堂々と偽剣レーヴァテインを奪わせていただきましょう。
もちろんイズンガルズと宝玉も、お兄様の手中に収めていただきます。いまだに尻尾の掴めないスルトが不穏ですが……偽剣レーヴァテインさえ手に入れることができればこちらのものです。スルトを殺し、お兄様の願いを叶える日が来るのはそう遠いことではありません。
「ねえお兄様、そろそろ大きな戦を仕掛けてもいい頃合いではございませんか?」
お父様が気力を失って以来、お兄様は国王代理として堂々と采配を振るっていらっしゃいます。年齢を理由に即位の儀こそ執り行えていませんでしたが、来年でお兄様も成人年齢となる齢十八。戴冠の日は近いでしょう。ただその前に、お兄様は大陸を平定なさるおつもりでしょうけれど。
すでにお兄様は王位継承者としての立場も能力も盤石なものにしています。幼い頃に即位していれば、恐れ多くもお兄様を傀儡にしようとする摂政が立ってしまったかもしれませんが、今ならばその心配もありません。
「そうだな、エイル」
当然と言った様子で玉座に座り足を組んでいるお兄様は、わたくしの提案に微笑を浮かべて鷹揚に頷かれました。
その隣に立つカイは、佇まいだけでもわかるほどいつも通りの陰気な様子を見せていますが、開戦と聞いた瞬間目が昏く光ります。謁見の間にいたごく一部の有力貴族は不安そうな顔をしましたが、口を開く許可を与えられていない彼らが何かを言うことはありませんでした。
「イズンガルズ、そしてスカジガプへ使者を送るがいい。無条件で即刻我が国に降伏せよ、とな」
「し、しかし王太子殿下……」
話を振られ、ようやく外務大臣がおずおずと口を開きます。お兄様からの勅令だというのに、何を戸惑っているのでしょうか?
「これまでは水面下でのやり取りのみで、直接的な衝突は抑えてくることができました。ですが、そのような宣戦布告をなされば、諸外国からさらなる反感を買うことは必至です。せめて国王陛下の承諾がございませんと」
「私は陛下より全権をゆだねられている。それにこれは、民の権利と命を守るための戦だぞ。今もなおイズンガルズの旗下では悪習に苦しめられている民がいるのだ。それを見過ごすわけにはいかん。イズンガルズとスカジガプは徒党を組んで正義を成した我々を糾弾し、己の利権のためだけに我々を貶めようとしている。相手は我々を異端と切り捨てていつまでも古い因習に縋る野蛮人なのだ、対話ではこれ以上解決できないだろう?」
「外務大臣。我が国の軍事力、技術力、そして生産力から考えて、諸外国を敵に回しても数年は問題なく戦える。同盟国の助力があればなおさらだ。勝ち目のない戦などではない。何より殿下がおっしゃっているのは大義のための戦なのだ、何を及び腰になる必要がある? 後ろめたいことでもあるのか?」
「戦争費も十二分にございます。此度の戦に勝利すれば、さらなる利益も得られるでしょうな。民の暮らしが潤うのですよ? ノルンヘイムとイズンガルズ、真の大国がどちらなのか、わからず屋達に示すいい機会にもなりましょう」
お兄様に賛同するように、元帥と財務大臣がじろりと外務大臣を睨みます。外務大臣は慌てて周囲を見回しますが、不安そうな顔をしていた者達は揃って彼から目をそらしますし、宰相をはじめとしたお兄様に賛成する者達は冷たい目を彼に向けていました。
自分の擁護に回ってくれる者がいないとわかるや否や、外務大臣は委縮したように下を向いてしまいました。お可哀想に。物の道理がわからないからそうなるのです、一つお勉強になったでしょう。
「エイル、もう下がっていいぞ」
「はい。失礼いたします、お兄様」
お兄様のお言葉に難色を示したのは、外務大臣をはじめとする一握りの有力貴族でした。彼らがただ心配性なだけならばいいのですが……根回しがきちんと行き届いているか、今一度確認する必要がありそうですね。
*
外務大臣のお屋敷からイズンガルズの国章が印字された金塊が発見されたので、宮廷は大騒ぎです。
イズンガルズから元外務大臣に送られた密書の内容からして、イズンガルズの間諜が彼に近づいたのはごく最近のことのようでした。もちかけられた密約は、彼と彼の家族の身の安全と引き換えにイズンガルズの間諜や兵士の入国を秘密裏に手引きすることです。隠れて聖鐘教をまだ信仰していた彼はそれに飛びついたのでしょう。
売国奴だった元外務大臣は外患誘致罪で死刑になり、一族は取り潰しになりました。次の外務大臣は誰になるのかしら。月が変わる前には決まるといいのですけれど。
「何はともあれ、これで開戦の障害はなくなった。先に本格的な侵略を行おうとしたのはイズンガルズのほうだ、これで誰も文句は言うまい。国内の世論も開戦に傾いている」
「お兄様、いつからあの方を泳がせていたのです?」
「放っておいただけさ。臆病者の分際で、こそこそと目障りな動きをしてはいたがな。どうせ潰すのであれば、意味のある死を迎えさせてやるのが慈悲というものだろう?」
「仰せの通りです、お兄様」
調べたところ、あの時不安そうにしていた貴族の中でも何人か不穏な動きをしている方がいました。もっとも、ただ臆病風に吹かれていただけの方のほうが多かったのですが。他国と繋がっている疑いがある方については、その後ろに何がいるかを確認してから叩くつもりです。
「そうだ。お兄様、お父様はどうなさるおつもりなのですか?」
「ん? ああ、そうだな。父上にもそろそろ救済を与えるべき頃合いか」
素敵です! お父様がようやく現世の重荷から解放されて、お母様と再会できるだなんて! 次は何物にも邪魔されず、愛し合うお二人でいられることでしょう。あの狂ってしまったお父様を救ってくださるなんて――――やっぱりお兄様は、お優しい方です。