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僕の警戒

* * *


 一週間前、朝から城が騒がしかった日があったそうだ。その日の前夜にシグルズがあんな宣告をしたものだから、頭の凝り固まった奴や欲の深い奴が押し掛けたんだろう。それは僕も予想できていたことだったので、わざわざ登城してシグルズに会うことはしなかった。どうせシグルズも忙しかっただろうし。


「どうした、カイ。ずいぶん面妖な顔をしているぞ?」


 ……ただ、その判断は間違いだった、と思わざるを得ない。こうして嬉しそうに微笑むシグルズと、彼が自慢気に見せびらかしている見慣れない調度品(・・・)を目にしてしまったからだ。この部屋にはシグルズと、その調度品しかない。これから人が住めるような部屋になるのか、それとも別の調度品(・・・・・)が並ぶことになるのかは、シグルズにしかわからなかった。


「あ、ああ……。あのさ、シグ。ソレ(・・)、本当にここに置くのか? エイルがなんて言うか……」

「当然よ。私がそう決めたのだ、エイルも文句などはあるまい」

「……」

「そ、そっかぁ……」


 気の強そうな双眸が、無言で僕を睨みつけている。思わず目をそらした。シグルズは意にも介していないけど。

 ここは王太子のための離宮、小ペルレ宮殿だ。王太子になったときにシグルズがこっそり造らせていた、こじんまりとした小さな城。城と言うより館と言ったほうがいいかもしれないこの場所は、かつての王弟の所領、今はシグルズの直轄の領地トレーネンブルクの(まち)にある、いわば領主の館の別館だ。周囲を迷路のような生垣に囲ませてあるから、めったなことでは人も寄りつかないだろう。

 もともとあった領主の館―王弟が住んでいた場所だ―は再利用しているにもかかわらず、何故わざわざここを造らせたのか不思議だったけど……なんのことはない、彼の遊戯(しゅみ)のためだった。


「ひとまずこの者は、この館で飼うことにした。空の離宮に役目ができたのだ、館も喜んでいるだろう」

「ええっと……世話とか、どうするつもり? 使用人を雇うのか?」

「そうだな。信頼できる者なら雇い入れてもいいかもしれん。近々口の堅い者を雇い入れなければな。その時は品定めを頼むぞ、カイ。ふさわしい者が決まるまでは私がこの手で面倒を見るさ」


 鞭を持ったシグルズは、空いている手で椅子をうっとりと撫でる。椅子は嫌そうに身をよじることもなく、涼しい顔をしていた。決して快感を享受しているわけではなさそうだけど、嫌がっているようにも見えない。意志が固すぎて、羞恥とか嫌悪とかを感じる心が麻痺している……僕には、そういう風に映った。僕の目は、この椅子が持つ強靭で高潔な――――ある意味で狂った精神力が視えていたから。

 この様子だと、これからシグルズはここに入り浸ることになりそうだ。……少なくとも、今シグルズが腰掛けているその椅子に、彼が飽きてしまうまでは。飽きたら飽きたで、僕が様子を見にきたほうがいいんだろうか。僕の実験場があるのも、このトレーネンブルク領だし……。


「ずいぶん気にいったみたいだね。椅子になるぐらいなら僕やエイルでもできるけど?」

「お前達では意味がない。なにせこの女は、私に正面から口答えをして論戦を挑んだのだ。面白い女だろう?」


 無邪気に目を輝かせ、シグルズはくつくつと笑った。ますますこの椅子をエイルに見せてはいけない。僕の、エイルの幼馴染としての勘……それから、シグルズの崇拝者としての勘がそう言っていた。


「リーヴァ、お前が私になんと言ったか、カイにも聞かせてやるといい」

「望むところよ、悪逆の王子様。何度だって言ってあげる。……わたしは、あなたの悪徳も暴逆も赦しましょう。そのうえで、愛も知らない獣のようなあなたの心を必ず変えてみせるわ。あなたの哀れな性根を叩き直して人の道を教えるまで、わたしはどんな辱めにも屈しません!」


 宣戦布告にしては間抜けな体勢だったが、彼女の気迫はひしひしと伝わってきた。気の強そうな目をしたその椅子もとい、全裸で四つん這いになったその少女の名前はリーヴァというらしい。その素性は知る由もないが、タイミングからしてシグルズに直談判したどこかの貴族の娘か聖職者だろう。シグルズに気に入られるとは、ずいぶん災難な(うらやましい)ことだ。

 

「ははっ、楽しみだ! リーヴァ、ぜひとも私に教えてくれ、お前が謳う人の道とやらを!」

「……ッ! も、もちろん……です……!」

 

 笑い声と共に鞭がしなる。痛みのせいかリーヴァは一瞬びくんと揺れたものの、体勢を崩しはしなかった。今のところ、シグルズに向かってあんな啖呵を切ったことへの後悔はしていなさそうだけど……さて、彼女はいつまでもつのかな。


「この女はな、父上や他の臣下もいる前で堂々と私を非難したのだ。誰もが呆けた顔をしていたが……まったく、どこで見抜いてきたのやら」

「一目見ればすぐにわかるわよ、あなたの腐りきった中身のことなんて。その淀んだ心を洗い流して、正しき愛で満たすことこそわたしの使命に違いないわ」

「よく吠える。せいぜい私を長く楽しませるのだぞ?」


 シグルズはリーヴァの顎を掴みあげて、強引に目を合わせる。それでもリーヴァが不敵にそう言い放つと、シグルズは獰猛に笑った。……まともな人間は、いなさそうだ。


*


「ねえカイ、このお人形さん、処分してしまっても構わないのではなくって? なんだかとっても汚れていますもの」

「落ち着きなよエイル。シグのお気に入りだぞ、僕らが勝手に触っていいものじゃない」


 この数日でリーヴァの待遇が劇的に変わった、ということもなく、リーヴァは変わらず何もない部屋にいた。多少傷跡は増えているが、どうせ後でシグルズが治すだろう。ドアや窓には中から開けられないような鍵がつけられているせいか、拘束具の類はない。相変わらず裸だけど、寒くないんだろうか。

 シグルズが自領の視察に行っていること自体は、宮廷でも噂になったが疑問視されてはいなかった。王都の様子が落ち着いたから直轄領の様子も見に行くのだろう、誰も彼もがその程度の認識だ。それでもエイルには、この領地にシグルズの気を引く“何か”があることはすぐに勘づかれてしまった。

 今日は募集をかけていた使用人候補の面接の日だから、僕も小ペルレ宮殿に行かないといけなかったんだけど……家に押しかけてきたエイルに「カイも知っているのではありませんか? 王女の名において命じます、洗いざらい白状なさい」なんてシグルズそっくりの顔でおどされた。風の魔術で転移し(にげ)ようとしたものの、逃がすまいとしたエイルに強引に抱きつかれてしまって、引き離す暇もないまま結果的に小ペルレ宮殿まで連れてきてしまったわけだ。都合のいい時ばかり王女としての名前を持ち出してこないでほしい。シグルズ自身はエイルに隠すつもりはなかったみたいだから、強く拒絶もしづらいし……。

 案の定、リーヴァを見たエイルはずいぶんとご立腹のようだ。今まで見たことがないくらい不穏な目をしている。笑顔の圧に負けて連れてきてしまったのは僕とはいえ、もうすでに胃が痛かった。


「あなたは……そう、あなたが王子の腐敗を助長させているのね。そこの魔導師と同じように。王子を本当に想うなら、すぐに身を引くか心を入れ替えるか選びなさい。……いいえ、やっぱりその必要はないわ。王子ともどもわたしが導いてあげるから」

「ずいぶんと高慢な方ですこと。貴方に何がわかるというの? 聖人気取りはおよしなさいな、お兄様のお耳に入れるのもおぞましい妄言を垂れ流さないでくださるかしら?」

「聖人ぶっているつもりはないわ。わたしは、わたしのなすべきことをしているだけよ」


 エイルとリーヴァの間でばちばちと火花が散っている。しばらく睨み合いが続くと思われたものの、先に目をそらしたのはエイルだった。エイルは僕に対してかがむように仕草で伝える。かがんでやると、エイルは耳元で囁いてきた。


「カイ。この女から何か変なものは視えませんか? たとえばおぞましいとか、気持ち悪いとか、嫌悪を催すようなものです」

「それはわからないけど……そうだな、彼女は自分が正しいと信じて疑っていない人間だ。それは独善かもしれないけれど……もし聖女なんてものがいるとすれば、その言葉は彼女にふさわしいだろう。それぐらい、リーヴァの心は眩しいから」


 まさにシグルズの対極にいるような、圧倒的な光。リーヴァが放っているのはそういったものだ。すべてを塗りつぶすその美しい輝きは、ある種暴力的ですらあった。

 きっと彼女は本気でシグルズを憐れみ、シグルズを正道とやらに導こうとしているのだろう。その使命のためなら、どんな受難も厭わない。これが聖人(きょうじん)でないならなんだと言うのか。シグルズやエイルとはまた別の意味で、頭のおかしい人間だ。


「そうですか。……いいこと、カイ。もしもわたくしが言ったような不愉快なモノが視えた相手がいたのなら、それが誰であっても速やかに殺しなさい。絶対に慢心などせず、持てる力を持って滅ぼすのです」

「……? エイルが言うならそうするけどさ」


 エイルの言葉の意味はよくわからなかったけれど、とりあえず頷いておく。それだけエイルの目が真剣で、表情も硬かったからだ。僕が肯定すると、エイルは少しだけ安心したように微笑んだ。「よくわからないモノが視えた時は、必ず報告してくださいな」それだけ言って、けれどすぐに表情がまた暗くなる。


「リーヴァなんて女、物語には……。運命が変わったというの……?」

「エイル?」

「なんだ、来ていたのか」


 がちゃりとドアが開く。「お兄様!」さっきまでの暗い顔はどこへやら、エイルは弾け飛ぶようにシグルズに抱き着いた。シグルズはそんなエイルの頭を撫でつつ、僕に向かって「もう候補者達が集まっているぞ、お前も早く来い」とだけ言って去ってしまう。エイルはしがみついたままだった。なんだかんだでエイルも同席することになりそうだ。

 リーヴァに視線を戻しても、彼女は我関せずと言った様子だった。シグルズが改心するまでは、逃げろと言われても逃げないつもりだろうか。仕方ないとため息をつき、僕も部屋を出ていった。


「……あれ」


 なんだ、まだ全員集まっているわけじゃなかったのか。廊下を一人の少女が歩いている。十三、四歳ぐらいの、あどけない子だ。その容姿も本質も、取り立てて目を引くほどのものがあるわけでもない――――それなのに。

 一瞬だけ、僕の目に映る彼女の本質が揺らいだ気がした。普段なら気にも留めない程度の、小さな雑音だ。それでもエイルのあの言葉が気になって、じっと彼女を見つめてしまう。


「うっ……」


 あああああああああああああああああああああああ!? いやだいやだいやだ、なんだ、なんだ、なんなんだよあれ!!!!!


「ぁ……あぁぁぁ……うぇっ、えっ、ごふっ……」


 吐き気が抑えられない。震えが止まらない。涙がとめどなく溢れてきて、粗相しながら崩れ落ちる。マスクのせいで吐しゃ物が口元に溜まる。呪文が、うまく、詠唱できない。

 無我夢中でマスクを下ろした。吐き出された物がぼとぼとと垂れてローブが汚れたが、気にしている暇もない。それでもなんとか最も強い炎の魔術をソレに向かって放つ。ソレが悲鳴と共に燃えていくのを、僕はただじっと見ていた。


「死んだ……か……?」


 まだまとわりついてくる生理的な嫌悪と恐怖から逃れるように、なんとかそれだけ呟く。

 ……ああ、そうだ、服を着替えて身を清めてこないと。これからシグルズと一緒に使用人候補の面接をしないといけないんだ、この格好じゃ人前に出られない。気を紛らせるようにそんなことを思いながら立ち上がって、


「――ざぁんねん。そう簡単にはもぐりこませてはくれないか」

「ひっ……!?」


 男でも女でも、老人でも子供でもない声が響いた。慌てて周囲を見回す。廊下には誰もいなかった。さっき燃やした、少女の亡骸もどこにもない。


「ここはいったんサヨウナラ。ハジメマシテは、いつかの時まで取っておくとしよう。コンニチハを言うころには、そのおめめを曇らせないといけないね」

「あ……れ……?」


 僕は、何をしてたんだっけ?


「うわっ!? な、なんだこれ!?」


 なんてひどい格好をしてるんだ、僕は!? 

 どうしてこんなに身体が汚れているのか、まったくもってわからない。わからないけど、このままこんな無様な姿でいるわけにはいかない。だってこれからシグルズと一緒に、使用人候補の面接をしないといけないんだから。


* * *

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