わたくしの邂逅
「人の価値はどこで決まる? 生まれか、見目か、才能か? ならばそれらを持たざる者は等しく無価値であると? 劣った者は足蹴にされ、踏み躙られても構わないと?」
白髪金目にも聞かせるために、今日の演説は静謐な夜の中で行われていました。
特別に開かれたこの演説会は、お父様から全権をゆだねられたお兄様が催したものです。
やはり王妃を処刑して以降、お父様は統治者としては無気力になってしまわれました。今ではお父様は多少の口出しと最後の承認をするぐらいで、実質的な政務はお兄様や大臣達が行っているようでした。
「いいや、そのようなことがあっていいわけがない! 無論生まれがよく、見目がよく、才能がある者が正しく評価されるのは道理であろう。だが、それはあくまでも成果を評してのこと。他者の努力を否定することはもちろん、他者を虐げる免罪符にもなりはしないのだ!」
集った民達に向けられるお兄様の玉音が凛として響き渡ります。今日というこの日は、きっとノルンヘイムの歴史に刻まれる貴重な一ページになるでしょう。
「見ての通り、私は瞳に紫の色を宿している。我が妹、王女エイルは髪に紫を。白い髪と黄金の瞳を持つ友もいる。今でこそ王族の末席に加わってはいるが、寵姫の母を持つ私達兄妹はもともと私生児に過ぎなかった。そのうえ、私達の母はすでにない。……今ここで民に問おう。母なし子の私生児、紫の色素を持つ私達兄妹も、お前達にとっては侮蔑の対象か? 石を投げつけ、唾を吐いてもいい存在か?」
宮殿下の広場がしんと静まり返ります。当然です、そのようなことが許されていいはずがありませんもの。もしもここで傲慢にもお兄様に礫をぶつける輩がいたら、地の果てまで追いつめてでも罪の重さを理解させてあげないといけません。
「では何故、お前達は紫の色素や白髪金目を持つ隣人にそれをするのだ? 彼らがお前達に何をした? お前達が差別する理由は、“周りがそうしろと言ったから”ではないか? 私達を虐げないのは、私達が王族だからではないか? 私達もただの人間であることに変わりはない。だが、王族の血こそが私達兄妹を迫害から守る盾だというのなら、私はこの盾を迫害される他の民のためにも行使しよう」
私はきっとそのために、王族としてこの世に生を受けたのだ――――そう語るお兄様の声音には、一切の迷いなどなく。そのたたずまいは、唯一絶対の支配者そのものでした。
「もしも法がこの理不尽を定めたのなら、私がその法を変えてやる。もしも神が定めたのなら、私はその神の教えを嗤い信仰に背を向けよう。詭弁を吹聴していわれなき迫害を推し進める存在など、救いの主と呼べはしないのだから!」
不安そうな顔をする者、一筋の期待に縋るような目をする者。宮殿のバルコニーから彼らを見下ろすお兄様は、一呼吸置いて自信に満ちた笑みを浮かべました。
「さぁ人よ立ち上がれ! 罪なき罪の贖いを求められ、無意味な罰を下さねばならない日々は終わりにしよう! ゆえに、ノルンヘイムが王太子シグルズ・ヴィンタケーケン・ハルメニア・ノルンヘイムの名においてここに宣言する――ノルンヘイムは聖鐘教を廃し、紫色を身体に宿す者と白髪金目を持つあらゆる民への差別を許さない!」
*
今日はとてもいいお天気でした。どこまでも広がる澄み渡った青い空の下、穏やかな風が吹いています。絶好のピクニック日和ですね。お兄様と出かけられないのは残念ですが……汚いシミがこの世界から一つ消せると思えば心も軽くなるというものでしょう。
わたくしがお兄様に聖鐘教の弾圧をお願いしてから早半年。お兄様はとても迅速に、聖鐘教の国教認定の取り下げと民の改宗に向けた準備を進め、その宣言のための演説をしてくださいました。それがつい昨夜のことです。
今日からその法律が施行されます。今日を境に、このノルンヘイムにおいて聖鐘教は異端となっていくのです。
お兄様の演説は、数日としないうちに国内外へ広まるでしょう。王都に滞在中の他国の外交官や、聖鐘教の大教会の有力聖職者達はすでに大慌てで、彼らの対応に追われて早朝から王宮も少し騒がしくなっていました。
国内の関係各所に根回しはしていたものの、どうしても混乱は避けられなかったようです。……法の施行まで横槍を入れられないように、他国の者や聖職者達に対しては内密にしていたせいもあるでしょうが。
「ええい、お前達では話にならん! 国王はどうした、王と直接話をさせろ!」
とある部屋の前を通ると、扉の向こうからそんな声が聞こえてきました。ずいぶん高圧的な物言いです。他国からの大使というより、聖鐘教の関係者のように思えます。
「どうかなさいましたか?」
礼を欠いた振る舞いをする者に、こちらが礼を尽くす必要もないでしょう。ノックはしないでドアを開けてみます。わたくしに付き従う侍女や扉の前に佇む騎士が少し慌てた素振りを見せましたが、わたくしを制止する者はいませんでした。
「どうしたも何も……おお、エイル王女。貴方のような幼い子供……ひっ!?」
でっぷり太った禿頭の聖職者は、わたくしを……正確にはわたくしの後ろを見て息を詰まらせました。一体何があるのでしょう。わたくしも振り返ってみましたが、特におかしいところはありません。
「そ、その化け物……噂に聞く、使い魔……」
ああ、アラーニェちゃんのことでしたか。
カイからアラーニェちゃんを返してもらってからは、王宮を歩く時は大体いつもアラーニェちゃんと一緒にいます。ですから城の者達もすっかりアラーニェちゃんに慣れてくれたのですが、きっとこの聖職者はあまり王宮には近寄らないのでしょう。確かに見ない顔でした。
「可愛いでしょう? わたくしの言うことを聞いてくれる、とっても賢い子なんです」
アラーニェちゃんの頭を撫でると、アラーニェちゃんは嬉しそうにしてくれました。やっぱり、わたくしのアラーニェちゃんは世界一可愛いです。……その場にいた騎士や侍女、官僚達がすっと目をそらしたのは何故でしょう?
「申し訳ありませんが、お父様もお兄様もお忙しくって。官僚達では不足だというのなら、わたくしがお話をお伺いいたします」
「は……はは、ご冗談を!」
聖職者は乾いた笑い声を上げます。その目が浮かべているのは恐怖だけではなく、わたくしに対する侮蔑も含まれていました。こんな子供に何ができる、とでも言うように。……むぅ。わたくしは、お兄様の妹ですのに。
「このたびのこと、貴方様におかれましては突然のことで驚くのも無理はないかと存じます。ですが狡猾な貴方様のことですから、事前に知らせていたら国外へ逃げてしまうでしょう? それではわたくし達が困るのです。お兄様にたてつく目障りな害虫は、一匹残らず駆除しませんと」
「……はい?」
「献金の着服、修道院で日常的に行われている孤児への虐待と暴行、聖職を理由にした一般市民への横暴、そして脱税と贈収賄。お兄様達との拝謁が叶う聖職者は、それらの腐敗に関与していないまっとうな者だけです。貴方様がどの教区を預かっている方で、どんな貴族とつながりがあるかは存じ上げませんが……官僚達が対応している時点で、未来はもう決まっていましてよ?」
この半年、お兄様はしっかり準備をなさっていましたもの。
不正を行っている教区、私腹を肥やす聖職者、信徒の皮を被って甘い汁をすすったり進んで差別を助長させたりする卑しき者。まっとうに運営されている教区、清貧を美徳として真面目に生きる聖職者、神に縋るしかできない無害で無力なただの信徒。その選別はとうに済んでいます。
今日お兄様の演説に際して異議を申し立ててきた聖職者達は、ほとんどが王都か王都に近しい場所に教会を構える者達です。汚職と癒着の証拠はざくざく出てきました。
そういった輩は、官僚が陳情を聞く体で油断させて誘い出して投獄するのです。もちろん、不徳の貴族達にも相応の罰は与えます。聖鐘教に与する貴族など、お兄様の治世には不要ですから。
登城した者の中には、上層部の腐敗とは無縁に生きてきた司祭や修道士、修道女達もいるでしょうが……聖職者としての階級が下がれば下がるほど、王族に直接陳情できるほどの気概がある者も減っていきます。
まとめて話を聞くことにしているので、お父様とお兄様だけでも十分捌ける数でしょう。そしてそのその数少ない彼ら彼女らこそが、まだチャンスを与えるに値するとお兄様が定めた者達でした。
それはお兄様が見せる慈悲です。これから行う宗教弾圧に正当性を持たせるために、民に示す飴なのです。
悪行を行ってきた聖職者と信徒には決して揺るがない判決を、善行を積んできた聖職者と信徒には選択肢を。すなわち、信仰を捨てて生きるか、肩身が狭くなる中でなお信仰に縋って生きるか、潔く信仰とともに死ぬか、です。
一つ目を選ぶのであれば、その者はまたどこか別の形で善行を積みながら生きていけるでしょう。
二つ目を選ぶのであれば、その者は己を曲げなかった代償にいずれ石を投げられる側に転じるかもしれません。
三つ目を選ぶのであれば、その者は自身のすべてを捧げた聖鐘教と共に散る栄誉を得られます。これで無慈悲な処刑が名誉の自死に早変わりするのです。
わたくし達の目的は、聖鐘教から力を失わせることです。とはいえ、長年民の心に根付いていた信仰という価値観がそうすぐに変わるとは思えません。ですから、ひとつまみの余地を残すのです。それが二つ目の選択肢の意味でした。
お兄様があのような演説をなさった今、聖鐘教が掲げる紫色と白髪金目への認識はただの差別として定義されました。今後国内の世論は逆転し、これまで迫害してきた者が迫害される者へと転落するでしょう。
ですが、力なき者が群れ集い、公的な権力に抗おうとしたところで、彼らにとっての旗印は存在しないのです。聖鐘教の残党には、もはや何もできません。
彼らが他国へ流れ、他国がノルンヘイムに戦を仕掛けるのも想定のうちです。もとより隣国イズンガルズとは戦争をしなければいけませんでしたし。
それに、周辺諸国にも紫色素と白髪金目はいるのです。他国でいまだに差別される彼らがノルンヘイムにやってくるのは自明の理でした。
周辺諸国でノルンヘイムと匹敵する国力を保有しているのはイズンガルズだけです。邪神の加護という名の異能を持つ紫色素達がお兄様に忠誠を誓うことが容易に予想される今、仮に諸国が束になって挑んできても十分渡り合えるだけの戦力はありました。
「貴方達もご苦労様。その様子では、事情聴取もはかどらなかったでしょう。もう捕えて結構ですよ」
「ぎょ、御意!」
「何を――離せ! 私を誰だと思っている!」
官僚に命じると、彼らはすぐに動いてくれました。暴れ出そうとする聖職者を、控えていた騎士達が抑え込みます。ほら、わたくしでもちゃんと務めを果たすことができました。
さて、いつまでも長居をするわけにはいきません。もうここには用事もありませんもの。
部屋を出て回廊をしばらく歩いていると、ふと足が止まりました。何の気なしに振り返ってみると、一人の修道女が侍女に連れられて歩いていました。
「……」
わたくしやお兄様よりも年上の、十五、六歳ぐらいの修道女です。けれど彼女のしゃんと伸びた背筋とまっすぐ前だけを見据える眼差しは、まるでこれから戦地に赴く歴戦の将軍のような佇まいでした。肩の上で切り揃えられた髪こそ愛らしい桃色ですが、修道服よりも軍服のほうが似合っていそうな少女です。
ここにいるということは、彼女も異議の申し立てに来たのでしょうが……纏う修道服はとても簡素なものです。汚職で私腹を肥やしてきた側の人間には見えません。引き結ばれた唇は、きっとお父様かお兄様の前で初めて開かれるのでしょう。
わたくしは前を向いてまた歩き出します。修道女達の足音が背中から聞こえ、やがて遠ざかっていきました。