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校舎裏見守り隊

 広大な敷地を誇る澪標学園、高等部のある第六校舎と特別教室のある第八校舎を結ぶ渡り廊下。五階に設置されたその廊下は見晴らしが良く、学園を一望出来た。

 そんな渡り廊下に立っているのは、高等部の生徒二名。髪を金髪にした軽薄そうな男子と、双眼鏡を持った真面目そうな女子である。二人は窓ガラス越しに、同じ一点を見つめていた。

「……ふぅーッ! 堪んねぇなぁ!」

 両手をポケットに入れたまま、男子生徒はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて叫ぶ。

「ちょ……龍ヶ崎、あいつらの会話を教えてよ!」

 それに対して双眼鏡のレンズ越しに同じ場所を凝視していた女子は、突然テンションが上がった男子に驚きながら詰問した。

「おれの読唇術もパーフェクトって訳じゃねーんだから、あんまり自信はねーけど……ぷぷ、伊坂っち、どうやらキスされるとでも勘違いしたみたいだぜ」

「……へー……あぁ、あれは花びらを取っただけか」

 彼女の双眼鏡越しに映るのは、校舎裏で会話する二人の生徒。伊坂京久と一条つくしである。京久は狼狽えた様子であり、対してつくしは腰に手を当て得意気に何かを喋っていた。

「……それにしても龍ヶ崎、この高さから二人の唇の動きを読めるって、どんだけ視力良いの……? マサイ族か何か?」

「イインチョー、舐めてもらっちゃ困るぜ。何せおれっち、忍者の末裔。これくらい朝飯前さ」

 くくッ、と歪な笑みを浮かべる男子生徒――龍ヶ崎光の態度に対し、呆れ顔の女子生徒――縣架純は理解を放棄したような大きな溜息を吐いた。

「それよりイインチョー、何であの二人の仲を気にするん? 一条とイインチョーって、仲悪かったよな?」

「はぁ? そんなの決まってるでしょ」

 光の恍けたような問い掛けに、架純は広い額に薄らと血管を浮かせながら眉間に皺を寄せる。

「あの二人の不純異性交遊の現場を抑えて、告発してやるんだから。理事長の孫だからって好き勝手してきたあの女に天誅をくわえてやる」

「……そりゃそりゃ」

 拳を握って鼻息荒く宣言した架純に対し、光は涼し気に微笑むだけであった。その瞳は何かを見抜いているようである。

「と言うか、龍ヶ崎。アンタの髪の色もワタシの基準で言えば、随分とアウト気味なんだけど」

「おっと、藪蛇!? ま、まあまあイインチョウー、ここは貴重な情報をリークしてるってことで、何卒ご容赦願いますよ本当!」

「……ふん、まぁ呉越同舟って奴か」

 嫌悪感に満ちた眼光で睨んでいた架純であったが、どうやら納得したらしく双眼鏡に視線を戻した。

「……と言うか、それはこっちの台詞だよ。龍ヶ崎、アンタはどうして二人を見守っているの?」

「にゃーん。まぁ大親友である伊坂っちの恋路を応援してやりたいという想いがねぇでもねぇんだが……一番は、つくしちゃんだわなぁ」

「……」

 京久に伝えたら激怒しそうな発言があった気がしたのだが、話の腰を折るのも悪いと思って架純は沈黙を通した。

「おれっちとつくしちゃんは、幼馴染みなんだわ。家同士が仲良くてね」

「へぇー、知らなかった。龍ヶ崎家って、そんな大きな家なの?」

「それがびっくり、ど田舎の糞小さな家なんだわ――扶桑の創始者と、おれっちのひい爺さんが友達だったってだけでな」

「そういうことかぁ」

 架純の脳裏には、理事長室に飾られた八咫烏の印が刻まれた煙管と持った、一人の男性の肖像を思い浮かんでいた。この澪標学園を創設した扶桑グループの初代社長・一条尊月。彼の名は全国に広まり、今や日本経済を支える巨大グループである扶桑重工業を知らぬ者は居ない。

「っつー事情で、おれっちはつくしちゃんの過去を知ってんだ。期待ばかり掛けられて、人格を顧みられなかったアイツが、歪んでいく様子を」

「……へぇ」

 光の言葉に、架純は短く相槌を打つだけである。彼の持つ軽薄さが消え、そこには悔恨の色が滲み出ていたのを感じ取ったからだ。

「そんな訳で、おれっちは期待してんのさ。伊坂っちが、彼女の救ってくれるんじゃねーかなって」

 ひひ、と引き攣ったような笑い声を上げ、光は恥ずかしそうに頬を掻く。

「……ちょっと見直したな」

小さく呟いた彼女の言葉に、光は「え、何だって?」と首を傾げる。もう一度その言葉を口にする気は起きず、架純は「何でもない」と言って、双眼鏡を通した景色に意識を移した。そして、その光景に絶句する。

「……え?」

 壁際に座った一条つくしと、その身体に覆い被さる伊坂京久。その情景は、余りにも情熱的なものであった。

「ちょ、ちょちょ、龍ヶ崎! 読唇術! 二人の会話を読み取って!」

「お、おお!? 壁ドン!? この流れで壁ドン!? 伊坂っち責め過ぎだろ!!」

 校舎裏で巻き起こっている情事が、まさかそこまでの展開に及ぶとは思いもよらなかったのだろう。光と架純は固唾を飲んで校舎裏を眺める。緊張からか、二人の拳は自然と強く握り締められていた。

 少年は少女の身体を追い詰め、その顔を近付けていく。二人の唇が触れ合う――その寸前、鼻と鼻が僅かに触れた。

 我に返る二人――そのまま色っぽい雰囲気になるはずもなく、少女の手に寄る暴力の嵐が巻き起こっていた。

「……」

「……」

 双眼鏡を手に眺めていた架純も、怪し気な眼力で監視していた光も、これには言葉もなく、がっくりと肩を落とした。

「まぁ……あの二人らしいっちゃ、らしいか……教室に戻ったら遠まわしに弄ってやろっと……」

 力なく言って歩き出す光。そろそろ昼休みも終わる頃合いであり、撤収する時間だと判断したのだろう。だからこそ、彼がその言葉を耳にしていたのかは定かではない。

「何やってんの、一条さん……チャンスだったのに」

 双眼鏡を瞳から放した縣架純が、心の底から残念そうな貌で、そんな言葉を口にしたのを――



「おーっす、伊坂っち。マラソンでもしてきたん?」

「はぁ……はぁ……まぁ、そんな感じだ」

 何とか五時間目の直前に教室へと戻って来た俺に対して、龍ヶ崎から不愉快な言葉が投げ付けられた。普段でさえ鬱陶しいのに、疲労感に満ちた状況で言われると不快指数が爆発的に上昇する。

 ちなみに一条はしれっと教室に戻っており、教科書とノートを用意して授業の準備を万全に整えていた。おのれ、無関係みたいな貌でペン回しをしやがって

「なぁなぁ、伊坂っち。昼休みに話してたんだけど、キスってのにも種類があるらしいぜ?」

「……あぁ? 舌入れるか否か?」

 机の中から教科書を出している間も喋り続ける龍ヶ崎に憤りを感じながら、ヤケクソ気味な応答をする。一々言葉を精査している余裕がないのは、疲労が理由なのだろうか。自分で自分が分からない。

「まー、それもあるけど、外国の方じゃ細分化されるらしいんだわ。例えば……」

 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて、龍ヶ崎は僅かに声量を上げて、言った。


「鼻と鼻をくっつけるエスキモーキスってのは、愛情表現として人気なんだってな」


 その後、俺が机から出そうとしていた教科書が勢いよく地面に雪崩落ち、後ろの方の誰かさんの席からガタッ! という激しい音と共に筆箱が転がり落ちて、中身が勢いよく散らかった。

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