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クラス替え


 春休みも終わり、陽気と共に桜の花が舞う頃、俺は始業式に出席するべく澪標学園の校門をくぐった。この学園はマンモス校であることに加え、様々な研究機関や企業の関係組織を内包しており、年度の始めは賑やかさで鼓膜が潰れそうになる。

「……あぁああぁああ煩い」

 正気を失いそうなほどの喧騒に頭皮を掻きむしりながら通り抜け、俺は高等部のある第六校舎の下駄箱へと到着した。随分と早めに登校したはずなのに、視界を埋め尽くす人、人、人、有象無象の群衆共。吐き気が止まらない。全て火炎放射器で焼き払えたら、どれほどの快感か。

「ちッ」

 思わず零れた舌打ち。それは不快な群衆へのものと言うより……彼らを責められない自分への非難であった。

 学年は一年生から二年生へと上がるに従って、当然ながら発生する重大な出来事――クラス替え。今日、この日、新たなクラスが下駄箱の前に張り出されているのだ。それは気にもなるだろう。

 俺は人混みの中を掻い潜り、何とか下駄箱に辿り着く。俺の名字は『いさか』なので、出席番号では最初の方になる。上の方から生徒の名前の一覧を眺めれば、簡単に発見することが可能だ。俺は……二年三組か。

「……」

 そして同じように、『いちじょう』も、出席番号としては最初の方だ。同じクラスだとしたら、すぐ近くに名前が羅列している筈なのだが――――それが無かった。

 念の為に他のクラスをざっと見渡すと、しばらくして彼女の名前は見つかった。二年一組の最初に、彼女の名前が載っている。

 俺と一条は、違うクラスだった。

 だから何だという訳では無いが、妙な虚脱感が全身を襲う。彼女とは別に友人でもなければ恋人でもない。違うクラスになろうが変わらずに校舎裏で会えるだろうし……いや別に俺達は校舎裏で会っているのではなく、偶然同じ場所で昼食をとっているだけの〝ぼっち〟同士なのであって、って俺は一体どこの誰に言い訳しているのだ?

 ぐるぐると脳内で螺旋を描く思考の渦に放り込まれ、しばし二年一組の下駄箱の前で放心してしまう。周囲の群衆は邪魔そうにしているが、知ったことではない。

 そんな自失呆然としていた俺に、言葉を掛ける人物があった。

「……何やってんの、あなた」

 聞き慣れた、可愛らしくも冷たい言葉。

 長い黒髪を揺らしながら、一条つくしが俺を呆れたように見ていた。

「あなたの名前なら、三組の所にあったわよ」

「あ? あぁ、そうか」

 どこか上の空で返事をすると一条は不思議そうに首を傾げるが、すぐに興味を失ったらしく下駄箱の掲示を見上げる。どうやら自分の名前を見つけたらしく、「あ、あった」と声を上げた。

「へぇ……ふふん。やっとあなたみたいな下劣な人間と離れられるのね。清々したわ」

 いつもの調子で嫌味ったらしく言い放つ一条。しかし俺は言い返す気もおきず、「まぁ、そうなるな」と簡単な相槌を打つのみであった。

「これから、違うクラスな訳だ」

「えぇ、そうね」

 何故か彼女の顔を見る気分ではなく、地面を眺めながら俺は当たり障りない言葉を選び、絞り出す。

「だから何だという訳でもない。これからもよろしく頼むぞ、一条」

 ちらりと彼女に視線を向け、上っ面の笑みを口元に浮かべる。それに対する一条の反応は「はぁ?」という嫌悪感丸出しの声だった。

 それから彼女は何かを思案するように目を閉じ、しばらくして無言のまま踵を返して立ち去ってしまった。その後ろ姿を眺めながら、何でもないように装って二年三組の下駄箱へと向かうのであった。





 今日は始業式と言うことで、授業は午前中で終わりだ。しかし俺の母親はパートに出てしまっている為に帰っても食事は無く、弁当を持たされていた。午後に授業はないが、校舎裏で食事を取ろうとカバンを持って立ち上がる。

 周囲には見慣れないクラスメイト達。せっかくだからどこそこで昼飯を食べようだの、こんな日くらい部活休みにしてくれだの、朗らかに彼等は会話を交わしている。そういえば龍ヶ崎の奴や縣委員長とも別のクラスになってしまったなぁ、と、ぼんやりと思い至った。

 弱くなったなぁと、そう素直に思う。かつて中学で人間関係に失敗し、独りっきりで学生生活を送ろうと誓った一年前の自分とは大違いだ。俺の高校デビューは一体全体どこで失敗をしたのか……決まっている。あの日、校舎裏に一人の侵入者を許してしまった瞬間からだ。

「……」

 下らない感傷だ。そんなだから中学の頃の俺は、親友を裏切ったのだ。深く考えすぎるのは俺の悪癖に違いない。今は取り敢えず昼食に向かおうと教室を出た、その瞬間のことである。


『二年三組、伊坂京久。二年三組、伊坂京久。至急、理事長室にまで来てください』


 全校放送によって、俺は理事長より呼び出しをくらった。





 理事長室は教員棟の最上階、即ち六階に存在する。エレベーターに乗って上がった先には、広い部屋、高級そうな絨毯とソファー。奥には三本脚の烏の紋様が刻まれた煙管を掲げる壮年の男性の画が飾られている。そんな如何にも金持ちな雰囲気の漂う豪華な部屋である……筈であった。

「え?」

 理事長室に入った俺は、その光景に愕然とする。絨毯は捲り上がり、窓ガラスは残らず割れ、ソファーは破かれ綿が零れ、理事長の愛用していた机に至っては真っ二つに割れていた。

 何だこれは? テロリストにでも襲撃されたのか? と訝かしむ俺の元へと「おお、伊坂君。よく来てくれた」と、この部屋の主である澪標学園理事長・一条尊空が歩み寄ってきた。一条つくしの祖父であり、この広大な学園と、それに伴って行われている膨大な計画を統括する大人物。普段であれば上等な和服を身に纏った白髪の老翁といった表現が相応しい方なのだが……頬は汚れ全身は萎びれており、珍しく杖を突いて歩いている。

「り、理事長……これは一体、何があったのですか?」

「ふむ……話せば長くなるので、簡潔に述べるとしよう」

 沈痛な面持ちで、理事長は覇気のない言葉を告げる。



「君は明日から、二年一組だ」



「…………………………はい?」

 予想だにしない理事長の言葉に、俺は面食らう。

 え? 何? 俺のクラスが、何だって?

 そんな俺の混乱を察したのか、理事長は弱々しい手を俺の肩に乗せる。

「良いかね? 如何に理事長の孫娘と言えど、贔屓は出来ない。例えクラス替えという些末事でも、担当教員達のことを考えれば、私の口出しすべき話ではないのだ」

「はぁ……いや、自分のクラスはともかく、この部屋の惨状は一体……」

「この部屋は通りすがりのテロリストに破壊されただけだ、気にするな。そんなことより君は書類のミスだとか手違いだとかで二年三組になってしまったのだが、実際は二年一組だった――そういうことなのだ」

「…………………えぇ」

 何もかも諦めきったような表情の理事長に、俺は困惑の声が漏れる。これは……つまり、そういうことなのか?

「伊坂君。君は聡明な生徒だ……私の言いたいことは分かるね?」

 縋るような老人の瞳に、俺はたじろいだ。要約すると……つまりは、まぁ、認めるのは非常に業腹なのだが、俺の望む形になるのだろう。

 そして、それは彼女の望む形でもあるのだ。

「理事長……この部屋を荒らしたのは、随分と可愛らしいテロリストだったのですね」

 俺の言葉に、理事長は目を丸くする。しかし自分の話が俺に通じたことを理解したのだろう。肩を落とし、深い溜息を吐いて言った。

「嗚呼……幾許か、可愛がり過ぎたらしい」





 俺が校舎裏に行くと、まぁ当然のように一条は座って、魔法瓶に入った紅茶を飲んでいた。どうやらメインのサンドイッチやらパンやらは食べ終わったのだろう。……制服の所々が汚れ、両手も微かに傷が付いており、どうやらどこかで暴れて来たような形跡があるのだが、俺は見ないことにした。

「……お爺様に呼び出されたみたいね」

 憮然とした様子の彼女に、どこか既視感を覚える。あぁ、一条と遭遇してからしばらくして、同じように理事長から呼び出されたことがあったのだ。『孫娘をよろしく』と、まぁ、そんなことを言われたような記憶がある。

「あ、あぁ……何でもクラス替えに不備があったらしくて、どうやら本当の俺のクラスは二年一組らしい」

 ペラペラと、我ながら上手く回る口である。詐欺師の才能でもあるのだろうかと、自分を過信しそうだ。

「へぇ」

 俺の言葉に対し、紅茶を飲み干した一条は皮肉気に唇を歪める。

「あーあー、そっかぁ。残念ねぇ、ようやくあなたと違うクラスになれたかと思ったのに、また一年同じクラスなの? 勘弁してちょうだい」

「ははは、勘弁してほしいのは俺の方だぞ。ぬか喜びをさせるんじゃない」

 毒の含んだ台詞に対して俺が朗らかに笑って返すと、一条も「ふふ」と満足そうに笑う。伊坂京久の視線と一条つくしの視線はこの時、確かに交わっていた。

 俺達は、この校舎裏で結ばれた関係が心地よくて、きっとそれ以外になるには、まだ経験も感情も、何もかもが追いついていないのだろう。

 いつか変わらなければいけない時が来るのかもしれない。それでもまだ、今だけは、このぬるま湯に漬かっていたい。

「はーぁ、せっかく二年生になったのに、代わり映えしないわねぇ。こーんな不景気な顔した男と、ずっと一緒だなんて」

 両手を地面に突いて上半身を反らし、青空を眺めながら一条は呟く。どこかその貌は、晴れ渡る春の空のように温かく、柔らかな表情をしていた。

「あぁ、俺もこんな我が儘女とずっと一緒なんて、気が狂いそうだ」

 だから俺もうそぶきながら、そんな風に優しく笑って、春の陽気に身を任せるのであった。


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